第一章 深き水の蛇-1
私は早々に諦めたのだが、パンドラまで『友達がダメだという私も結構です』と辞した。その事を思い出すと、胸の奥が妙にくすぐったい。
――ああ、彼らの仲間だろうな――
そのとき兜の下で困った匂いさせていたのが、精強な甲冑姿の武装神官だ。
彼らの同胞が、この地下水路に鎮圧機構として展開しているのだろう。
――しかし教会が動いているとなると、少しばかり面倒だな――
魔物が棲みついたという噂に討伐隊が組織されたのか、あるいは行方不明者を探すために捜索隊が結成されたというところだろう。
どちらであっても、単独でお節介を焼こうとしているパンドラにとっては好ましい相手ではない。
千年前の聖女を崇め、女神イーミオの讃える教会の武装神官たちは排他的だ。
彼らは苛烈な信仰心を示すため、ときに強硬手段に出ることでも広く知られている。
もし彼らに見つかれば、『聖女』と同じ紅蓮明星のローブを着込んだパンドラが、望まぬ烙印を押される可能性がある。
――あまり見つかりたくない相手だな――
「それなら任せてください」
私の言葉に、パンドラの指先が虚空を踊った。
これまで見たことのない幻刻文字が生まれ、ふわりと毛皮に張り付く。自分の前足がうっすらと透ける。
透明化の魔術だ。
――こんなことも出来るのか――
「はい。新しく覚えたんですよ。役に立ちそうですか?」
――ああ、十分だ。これで比較的ラクに進めるようになる――
「それは良かったです。頑張ったかいがありました」
尻尾をブンブン振るパンドラ。その小さな躰から溢れるように透明な七匹の魚が生まれた。
空を泳ぐ七匹の魚。彼女の守護者である透魚たちだ。
「じゃあ、皆さん。ちょっと水路の先を見てきてくれますか?」
ヒレの長い魚達はパンドラの周囲をクルリと回ると、それぞれが分岐した水路の先へと矢のように飛んでいく。
人目をさけて普段は飛ばさない使い魔たちは、あっという間に見えなくなった。
「あわわっ、やっぱり頭がフラフラします」
――パンドラ。無理をせず視界を半分渡せ――
泳いでいった透魚を見送り、パンドラに声をかける。
「ありがとうございます。ウィル」
七対の目と完全に同調するのはひどく難しいらしいので、その視覚の半分を肩代わりする。
――うっ、やはりキツイな――
「大丈夫ですか、ウィル」
――まだ慣れてないだけだ――
目が八つになったような違和感に、頭痛に似たものを感じる。
彼女の母は透魚を完全に支配下に置けたらしいが、使い魔を継承したばかりのパンドラでは完璧には扱えないらしい。
目を閉じたまま、パンドラから預かった透魚の視覚情報が三つの『窓』になる。
――どこにいる――
匂いと音は辿れないが、透魚たちには早馬を凌駕する速度と、あらゆる障害物をすり抜けられる特性がある。
やがて透魚のうちの一匹が、闇の中にオレンジ色の光を見つけた。
暗い水路の中で武装した神官たちが松明を掲げ、鈍色のメイスを振るっている。
――いた。一番左の通路の先だ――
おそらく二十人ほどだろう。
聖別を受け、祝福された白銀の鎧と白墨色のマントを汚水で穢しながら、広間のような水路で何かと戦っている。いくつかの水路が交差する広間の天井は高く、松明の生み出す山吹色の光もそこまでは届かない。
揺れ動く影の中で、無数の影が水を跳ね飛ばしている。
交錯する闇と光の中で蠢くのは、天井をつくほどの巨体。
六つの首を太く長い首と、ずんぐりとした胴体に二対の足をそなえた異形の蛇。英雄殺しとして名高い魔獣ヒュドラだった。
――街の地下にヒュドラだと!――
透魚を通じて目にした光景に驚愕する。
体高はおよそ人の背丈の四倍。首の数が少ないので、まだ幼体のようだが武装神官が太刀打ちできる相手ではないのは明らかだ。
――こんな厄介な魔獣が野放しになっていたのか――
多くの都市は魔封じの結界で覆われている。
魔素を含んだ生き物を阻む結界は、いわば網のようなもので、鼠のような小さな生き物の侵入までは完全に防げるものではない。おそらく、どこかから魔素の少ない赤子の頃に、街の結界を抜けて水路に迷い込み。水路の鼠や昆虫を食べることで成長したのだろう。
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