第一章 聖都の闇-5

 ――私は見せるために魔法は使ってはいないのだがな――


 胸をくすぐる淡い想い戸惑いながら、周囲に意識を巡らせる。

 幸いにして、この付近にはパンドラを傷つけるような存在はいないようだ。


 ――大丈夫だ。パンドラ、こっちに来い――


「はい。すぐ行きます」


 道が確保されたことを伝えると、彼女が段差のある水路へとよじ登ろうとする。


「あれ、あれっ……ウィル。ごめんなさい、登れないです」

 ――仕方ないな――


 どうにも運動神経がよくない不器用な登り方に眺め、やれやれと上からローブを咥えて引っ張り上げる。


「ひゃっっ⁉」


 まるで首根っこを噛まれて運ばれる仔猫のように、彼女を通路の一角まで運んでから口を離す。愛用の紅蓮明星のローブが汚れないように、埃を風の魔法で吹き払っておくのも忘れない。


「ありがとう、ウィル」


 礼などいらない、と言いかけてニコニコと微笑むパンドラに疑問を覚える。彼女はなにを笑っているのだろうか。


 ――どうした? なにがおかしい?――

「ううん。でもウィルは姿は違っても、優しいところは前とぜんぜん変わってないんですね」


 何をバカな、と尻尾でモフッとパンドラの頭をはたく。


 妙に照れくさいのは『我』の頃の記憶のせいだろうか。

 羞恥しゅうちがすぐ表情に出る人間種ならば、おそらく耳まで朱に染まっていたことだろう。人でなくて良かった。


 ――パンドラ。もっと明るくできるか?――

「はい。もっと照らしますね」


 胸をそわそわさせる感情が誤魔化ごまかすように言葉を紡ぐと、パンドラの指が虚空をサラサラと舞い『光輝』の意味を込められた幻刻魔法が放たれる。


 一本の横線と、放射状に広がる枝線で成り立つ『光輝』の幻刻魔法は太陽を連想させる象形文字だ。


 周囲が真昼の明るさになり、水路を満たしていた全ての闇が祓われる。


「これでどうですか?」

 ――十分だ。昼間と変わらない――


 ふわふわと周囲を巡回する幻刻魔法の文字は、精霊郷で舞うという輝翅蝶きしちょうのようだ。


 炎とは異なる光に照らされた闇の先を見据え、氷の上で冷えた肉球をあげる。 


 ――では行くぞ――

「ああ、待ってくださいよ」


 光に驚いて逃げていく気味の悪い虫や、ねずみなどの小動物に気付かぬようにスタスタと先を急ぐ。冒険に憧れているわりに、パンドラは虫などが好きではないのだ。


(こういうところは、どこにでもいる娘と変わらないんだな)


 どこか微笑ましい気持ちになりながら、狐尾の先を進む。


「ウィル、匂いってこっちからするんですか?」


 迷いなく歩く自分の背後から声を掛けられて、尻尾を一振りすることで返事。


 パンドラはあまり鼻が良くない。

 ふわふわした獣の耳と尾を持つが、五感は人間とあまり変わらないようだ。この鼻がもげるほどの匂いに悩まされないのだから、少しだけ羨ましい。


 彼女の種族に関してはよく分からない。かつての『我』は幻狐げんこ族と呼んだらしいが、その頃の記憶はないので正確な部分は分からない。


「行方不明の子たちは見つかるでしょうか?」


 その質問を黙殺して、わずかに進むペースをあげる。

 子供ばかりが行方不明になっていることを考えれば、犯人が何者であっても答えは明るいものではないだろう。しかし、それを口にするのは残酷だ。


 ――待て。パンドラ、そこで止まれ――

「どうしたんですか、ウィル。なにか見つけましたか?」


 唐突に視界に入ったモノに立ち止まる。

 視線を地面に向け、目に入ったのは足跡だった。水路が交差した足場に残る人の痕跡が、魔光まこうに照らされている。


 ――誰か水路にいるようだな――

「誰かって、だれです?」

 ――いま調べてみる。警戒しておけ――


 その質問を解消するために、足跡の残る狭い足場へと近づく。


 古いものではない。むしろ数時間前に踏み荒らされたように、まだ周囲に微細なホコリが舞っている。

 数は複数。匂いだけではなく、足跡のサイズが異なっている事でも分かる。それでいて、その靴の規格は揃っている。スパイクをそなえた特徴的な足跡と、金属の匂いが足甲ソールレットであることを教えてくれる。


 足跡の主たちは武装をしているようだ。

 この街で武装した集団とくれば、該当する存在は限られる。


 ――武装神官ぶそうしんかんだな。聖女教会せいじょきょうかいの威光を示すための鉄槌てっついたちだ――

「えっと……武装神官って、教会に立っていた鎧の人たちですよね?」


 礼拝を求めるも、「犬はダメだ」と追い払われた数時間前の記憶が蘇る。

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