第一章 聖都の闇-1

 声高に物語を口にする宣伝者を遠巻きに眺めながら、パンドラは街の入口で買った案内図には見つめている。

 四つ折りの案内図には、この歴史と大まかな地図が描かれていた。


 いくつかの観光名所と、聖女教会を讃える文言。宣教師せんきょうしはいつでも布教活動に余念がないようだが、パンドラの興味は宗教よりも美しい街並みに注がれていた。 


「はぁー、すごいですねアルベイン。見どころがいっぱいですよ」

 ――じゃあ、いろいろと行ってみるか。時間はあるんだし――


 眼をキラキラさせるパンドラ。その好奇心を満たすため、街中を散策することにした。


聖将せいしょうと聖王の像ですよ。後ろの人が聖盾せいじゅんパトリスですって」

 ――意外と二人は小柄だったんだな。いやパトリスが大きいのか?――


「ねえねえウィル、この泉。お金を入れると願いが叶うそうですよ」

 ――願うのは止めないが、金貨は入れるなよ――


「すいません、犬は入れないんです。お嬢ちゃんだけ入るかい?」

「なら結構です」

 ――私の事を気にしなくていいんだぞ――

「ウィルと一緒じゃないと意味がないですよ」


「これすごく美味しいですよ」

 ――うん。たしかにチーズが絶品だな――


 そうして街の外れにある聖人の像を眺め、コインを投げ込むと願いが叶うという泉に一番価値の高い銀貨を投げ込み、まだ新築らしき美術館でペット同伴だという理由で断られて、最後に公園でチーズをたっぷり掛けたチキンの照り焼きを口にした。


「もぐもぐ……あれ?」


 少しだけお行儀悪く紙包みの鶏肉を頬張り、気ままな観光を続けているとパンドラが足を止めた。


「ねえ、ウィル。さっきから水の音がしませんか?」

 ――今更か。街に入った時からずっとしているぞ――


「それは気づきませんでした。やっぱりウィルのお耳はスゴイですね。それに可愛いです」

 ――……可愛いかどうかは知らない――


 妙なことを口走るパンドラから視線をそらして、音に意識を向ける。

 耳をすませるでもなく水の音が聞こえる。どうやら地下に、少なくない水が流れている場所があるようだ。


「なんで、お水の音がするんでしょう」

「ああ、それは下水道だよ。かわいいお嬢さん」


 その疑問に答えたのは、街の入り口ですれ違った行商人ぎょうしょうにんの男だった。

 灰色の髪の青年は、毒のない笑みを浮かべている。


「あなたは、さっきの……」

「やあ、また会ったね。こんなところで再び出会うとは輪廻りんねの神イーミオの導きかな」


 男はにこりと笑い、丁寧に一礼する。


「覚えていてくれたのですね」

「子犬を連れて旅する若い巡礼者なんて滅多に見ないからね。どうしても印象に残るさ」


 灰色髪の男は軽い口調で破顔する。さきほどの馬車はなく、代わりにそれなりに重量のありそうな荷物を背負っている。


 さきほど見かけた女性は、楚々そそとした態度で寄り添っている。商人とともに旅をしている巡礼神官といったところだろう。


「あの、げすいどーってなんですか?」

「街の排水を川に流すための管のことさ。管っていっても、オーガーも通れるくらいの大きさだけどね」

「へえー、そんなのがあるんですね」


 知らないことに興味を惹かれたのか狐耳を隠すフードが揺れる。


 その様に意識が緊張する。人に触れ合うことになれていない彼女は、他人への警戒心が薄い。人を疑うことを知らないパンドラの分まで警戒する必要がある。

 この街に獣人が少なかったので、パンドラの正体がバレては不利益があるかもしれない。


「じゃあ、この下にも街があるんですか?」


「いやいや、下水道はただの水路さ。流れ込む川の水を利用しているだけで、川の上に街を作ったという方が正しいかも知れないね」

「ふえー、すごいですね」


 帽子の下で耳がワサワサと動き、ローブを尻尾が揺らすたびにハラハラする。周囲の大気を操り衣服を波打たせているが、やり過ぎれば違和感を呼ぶだろう。


「この街は一度魔族の侵攻で大部分が壊されたからね。そこを聖女が清め、聖王が建て直したのが今から千年前のことだよ」

「あ、知ってます。さっきも話している人がいました」

「そう、それからアルベインは聖女と聖王を祀る都市になったわけさ」


 私の心配をよそに、灰髪の男は街の歴史について語っている。


「ところで君は一人なのかい。見たところ巡礼者のようだけど」


 彼はまだ子供にしか見えないパンドラを見下ろして、少し心配そうな声を出す。その匂いに悪意はなく、純粋に彼女の身を案じているようだ。


「一人じゃありませんよ。ウィルと一緒です」


 男から投げかけられた言葉に、パンドラは私を抱きかかえることで答える。ブランと吊り下げられた子犬のような私が男の目に映っている。離してほしい。


「これはこれは、頼もしい騎士さまだ」


 男の表情が、驚きから柔らかいものに変わる。

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