第一章 狼と少女-5

 もっとも使い古された旅の定型文に、門番を兼ねる男は疑問を抱かなかったようだ。そもそも荷物が旅のための背嚢と杖だけなのだ。巡礼という言葉も嘘ではないのだから、虚偽看破の術を使っても無駄だろう。


「通行料はあるかい?」

「はい、これ」

「エストリス銅貨か。まあ、いいだろう」


 銅貨を収める音が聞こえ、滞在証である焼印の施された木片を手渡してくるのが分かった。渡された滞在表には一週間の期限が切られているはずだ。


「良い巡礼を、お嬢ちゃん」

「ありがとうございます」


 関税官がパンドラに挨拶をし、そして思い出したように付け加えた。


「でも最近、魔族が入り込んだらしいから気をつけなよ。なんでも狼の魔族だそうだ。赤いフードなんか被っているから、お嬢ちゃんも油断したらガブッといかれちゃうぜ」

「それって『赤いずきんの女の子』ですか?」

「ああ、そうさ。昔から狼は女の子の天敵だからね」


 街への出入りを管理する男は、少しだけ心配そうな声をかけた。そこに悪意の匂いはない。


「俺にもアンタくらいの子供がいるからな。ちょっとしたお節介さ。この街の夜は霧が深くなる。きちんと宿をとって、夜には出歩くんじゃないよ」


 ムッとしながら背嚢の隙間から顔を出すと、男が税関所から身を乗り出していた。

 失礼な。私がパンドラを傷つけるとでもいうのだろうか。


「ありがとうございます。でも大丈夫です。オオカミさんは私の大切なお友達ですから」

 ――っ⁉――


 屈託のない言葉に男は目を丸くして、関税官はなにかを口にする。

 だが男とパンドラのやり取りは少しも耳に入らず、私はパンドラの背負う背嚢の中ひとりで、心臓の奥がふわふわする感覚に身悶えるのだった。


※※※ 


 忠告通りにそこそこの値段の宿を取り、街の中を散策することにした。


 かつて魔王を斃した竜の勇者と、その一行が守り抜いたという自由都市の中はとても賑わっていた。

 聖女教会の巡礼地の一つとして知れ渡る街は、多くの巡礼者や行商人が雑踏を作り、人魔戦争から千年たった今も宗教という組織の強さを見せつけている。


 大通りの建物の大半は白く、聖女がまとっていた衣装を模しているらしい。

 そんな白塗りの街を、赤いローブを着込んだパンドラはウロウロとさまよっていた。


 その傍を小さな獣の姿で歩く。背嚢の中は窮屈だったので自分の足で歩くことにしたが、失敗だったかもしれない。石畳の地面は、子犬の肉球には硬く冷たいのだ。


「すごいですね。大きな建物ばっかりです」


 周囲には石灰石の建物が立ち並び、ガロガロと音を立てて馬車が通り過ぎる。

 いままで見てきた村や町とは違い、みっちりと敷き詰められた街並みは圧迫感すら感じるほどだ。


「わあ、すごい。あの窓すごいですよ。ガラスです」

 ――そうだな。この街は豊かみたいだな――


 鎧戸に混ざって、透明度の低いガラスがはめられた窓も見受けられる。ガラスは高級品なので、経済的にも恵まれているのだろう。


「なんだか、すごく賑やかですね。こんなの初めてです」


 目抜き通りには露天も多く立ち並び、食品から貴金属に至るまで盛んに購買が行われている。果物に食肉、はてはアクセサリーまで並んでいる。


「見てくださいウィル。あれが聖女の像だそうですよ」


 彼女が指差す先には高い尖塔があり、その窪みに白亜の彫像が飾られている。


「すごいですね。聖女様は高いところが好きだったんでしょうか?」


 伝説にも語られる十聖の一人。その繊細な彫刻品に熱い視線を送りながら、パンドラは少しズレたことを口にする。聖女セレスティアに対する風評被害も甚だしい。


 ――聖女は慎ましい性格だったと記述があったのだが――

「でも、高いところは気持ちがいいですよ? ウィルは嫌いですか?」


 ――極東の島国には煙とウマシカは高いところが好き、という慣用句があるそうだ――

「むむっ、それ微妙にバカにしてる気がするのですけど」


 尖塔を眺めるパンドラの横で、ちょこんと「おすわり」をしている私に向かって彼女は眉をひそめる。


「近くまで行きませんかウィル」

 ――オススメはしない。人酔いしそうだ――


 パンドラはワクワクを隠せない様子だが、尖塔の周りには沢山の人だかりができている。人が壁のようになっていて近づくのも難しいほどだ。

 記念碑を兼ねた尖塔の前では、勇者たちと魔王軍が矛を交わしたアルベイン攻防戦を宣教師が誇らしげに語っている。


「うーん、興味あるんですけど……ウィルと一緒にあそこに入るのは難しいですね」

 ――人に揉みくちゃにされるのは勘弁してほしいな――

「どこか人の少ないところはあるでしょうか?」

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