第一章 聖都の闇-2

(侮っているわけでも、バカにしているわけではなさそうだ)


 生き馬の目を抜く世界で、硬貨の数だけを気にしている商人とは思えない顔つきだ。

 どこか人懐こい男から目をそらし、連れ合いの女に目を向けると堅果ナッツ色の瞳をした女性と目が合う。だが色の深い目からは、どんな感情も読み取れはしない。


「でも夜は出歩かない方がいいね。暗がりや人気のない裏道は避けた方がいいよ」


「えっと、狼が出るんですよね」

「それもあるけど、地下に魔物が棲みついているらしい。ここ数ヶ月で何人も行方不明だというから君も気をつけるんだよ」


 そういって男は地面を軽くトントンと踏みしめる。

 恐ろしげに言うが、言葉ほど怯えの匂いはしない。


「魔物ですか」

「ああ、聖女様が守った街に魔物が棲みつくとはゾッとしない話だね。子供を中心に行方不明が多発しているそうだ。まったく教会は何をしているんだか……」


 あまり信仰心がなさそうな言葉を口にするが、連れ合いの修道女は軽く手を合わせて静かに祈るだけで口を挟んではこなかった。


 ――しかし、この男――


 なんとも厄介なことを『教えて』くれたものだと内心で辟易する。


 上から降ってくる視線をできるだけ見ないようにしていると、修道女が男のすそを引いた。女の鈴を振るような声が耳に届く。


「アル。そろそろ時間です」

「ああ、すまない。ではこの辺で失礼するよ。名乗りが遅れたけど、ボクはアルジャーノン。君たちの旅が無事であることを願っているよ」


 アルジャーノンと名乗った男は、短く聖印を切る。その旅慣れた仕草に、パンドラが少し遅れて返礼をする。


「えっと、私はパンドラです。そちらも、どうか良い旅を」

「ああ、神の導きがあればまた会おう。それとオオカミくんも」


 さりげない笑みを残して、アルジャーノンが去っていく。

 私は石畳みの冷たさを感じながら、この後に訪れる厄介事を想像し、一人で溜息を漏らすのだった。


 ※※※ ※※※


「ねえ、ウィル」

 ――ダメだぞ――

「な、なんで何も言ってないのに反対するんですか?」


 日が落ちて早速かけられた第一声に拒絶を表明する。明確に拒否すべきだと心に決めていたことを、パンドラの掛け声に対して迷うことなく実行した。


 ――なんの話か分かっているからだよ――


 夜に包み込まれた宿は静かで、かすかな物音が階下から聞こえてくるだけだ。


 ――旅人は寝る時間だ。夜は眠るものだからな――


 すでに夕食を終え、閉じた窓から染み込む闇に任せて寝るだけだというのに、パンドラは外套がいとうを脱いだだけの格好だった。


 ゆえに、彼女から投げかけられるであろう提案に対する答えは決めていたのだ。


 ――子供を探しに行くのも反対だし、魔物退治などぜったいにダメだ――

「うっ、なんで分かったんですか」

 ――分からいでか。ずっと地面の気にしていたであろう――


 彼女の言わんとする事を先んじる。

 間違いなく、昼間に聞いた失踪しっそう事件に介入しようとすることは分かっていた。


「でもウィル、行方不明の人とかいるんでしょう。そんなの放っておけないですよ」


 また無用のお節介を焼こうとする少女をたしなめるも、パンドラはベッドの上に座ったまま距離をつめてくる。ダメ、と言われて「はい」と頷くつもりはないようだ。


 ――まったく。これは私たちの出る幕じゃないのがわからないのか?――

「子供が行方不明になっているんですよ。そんなの知ったら放っておけないですよ」


(はぁ、あの男はとんでもない面倒を持ち込んでくれたものだ。パンドラがすっかり興味を持ってしまったじゃないか)

「ねえ、ウィル。探してあげましょうよ」


 真っ直ぐな目で見つめるパンドラに、胸に湧いた想いを飲み込む。


 危険だからやめろ。バカな行動は慎め。そんな言葉で諭したところで無駄だろう。


 彼女は物語を愛している。多くの書を読みふけり、物語に自分を重ねる姿も、これまで幾度となく目にした。

 御伽噺や冒険への憧れは、パンドラの中に常にある。戦争などの争いは好まずとも、いかにも英雄譚的な物語への扉があれば興味を引かないはずがない。


 さっきまで読んでいた本も、主人公が洞窟にもぐり大冒険を繰り広げるという趣旨の小説だ。

 そして旅での人助けは物語の花形であり、同時に彼女は縁もゆかりもない戦いを止めようとするほど世間知らずのお人好しだ。


 二つが揃えば、彼女の気持ちが動いて当然だろう。


「子供たちが助かれば、新しい本が読めるようになるんですよ」


 昼間に訪れた路地裏の本屋での一幕を思い出す。

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