陰と香水と、漆黒の心。
「おれたちを元の体に戻せ!! 黒帝魔女リフィリア!!」
「ええ、いいわよ」
約束の日。ロズリー姫とアルセムは泉を訪れ、黒帝魔女リフィリアと再会した。ロズリー姫は剣を構え、アルセムはその陰に隠れ、いよいよ黒帝魔女との激しい戦闘が始まる……と思いきや、リフィリアはあっさりと入れ替え魔法の解除を
リフィリアは不思議な色をした香水を放り投げ、ロズリー姫にキャッチさせた。
「それは、私の『魂入れ替え魔法』が1回だけ使える、魔法の香水。元の体に戻りたければ、それをお互いに振りかけるといいわ」
「……」
「ただ、体から魂が抜けると気を失っちゃうから、眠ってもいい場所で使いなさい。お姫様の部屋には素敵なベッドがあったし、そこなんかがいいんじゃない?」
「……おれがこの香水を使うと思うのか?」
「あら、警戒してるの? 何かの
「当たり前だ。おれたちの魂を入れ替えて、元の体に戻して、お前は何がしたかったんだ」
「面白そうだったから、入れ替えただけよ。人間より上位の存在である私が、下等な生物で遊んだだけ。私はシアン先生として、一番近くで楽しませてもらったから満足よ。プリンセス・アルセム」
「……!」
ロズリー姫はギリリと奥歯を噛み、黒帝魔女リフィリアを
「逆に聞くけど、私が罠を張る理由って何? 女体の騎士アルセム、男体の王女ロズリー……心と体が一致しない今のあなたたちなんて、いくらでもオモチャにできるというのに」
「くっ……」
「まあ、香水を使うか使わないかは、あなたたちの自由。元の体に戻りたくないなら、使わなければいいわ。ふふっ、もう少しその体で……お姫様やってみる?」
「……おれが元の体に戻ったら、真っ先にお前の首を取りに来るぞ。黒帝魔女リフィリア」
「できるものならやってみなさい。でも、大切な孤児院とお姫様を守りながら、私とまともに戦うことができるかしら? ふふふっ、アハハハッ……!!」
泉の水面に転移魔法陣が現れ、日傘を差した黒いドレスの魔女は、高笑いと共に姿を消した。
残されたのは、魔法が込められた怪しい香水。ロズリー姫は構えていた剣を降ろし、自分の手の中にある香水をじっと見つめた。
* * *
「ん、んーーーっ」
ぐーっと、大きく
天蓋付きの華やかなベッドで、眠り姫は目を覚ました。王子様のキスなんかなくても、ロズリー姫は自力で起きることができるのだ。
「あっ! 声が……わたしの声っ! ということは、体もっ……!」
魔法の香水は『魂入れ替え魔法』を発動し、護衛騎士アルセムとロズリー姫の魂を、元の体へと戻した。一週間の男女入れ替わり生活は、これにて終了。
ロズリー姫はスカートの上から、自身の太ももの付け根辺りにさりげなくそっと触れ、今の自分が女性であるということを確認し、プリンセスドレスがよく似合うその体型に
「ほっ……。アレが、付いてない……。あの汚らわしいものが、なくなってる……」
男だった時は体にあった、アレ。
入れ替わり生活を経て、ロズリー姫は男性の裸体を直視できるようにはなったものの、アレが『欲望のバロメーター』であり『性欲の発生装置』でもあることを知り、アレを忌み嫌うようになった。純粋で美しい愛を好み、常に淑女であるようにと育てられたお姫様にとって、欲望のままに形や大きさを変え、少女の
事実、アルセムと二人きりで過ごした夜も、自分自身の汚らわしいアレに恐怖し、抑えきれない欲に思わず泣いてしまったりもしたが、その時はパートナーであるアルセムが優しくなだめ、『その体』でしっかりと受け止めてくれたので、なんとか乗り越えられた。
「はっ! そういえば、アルセムは!? わたしが元に戻ったのなら、きっとアルセムも……」
くるりと振り返ると、さっきまで隣で眠っていたアルセムも、ちょうど目を覚ましたところだった。
「元の体に……戻ってる……」
そう言いながら、寝起きのアルセムは自分の
「あっ……。アルセム、またおっぱい触ってる」
「ん? ロズリー……の姿をした、ロズリーか。ということは、入れ替え魔法は無事に解けたんだな。よかった」
「あなたって、すぐ胸に手が伸びるんですね。イヤらしい人」
「えっ!? な、何を怒ってるんだ!? これは、自分の体を確かめてただけで……! おれがおれの胸を触って、何が悪いんだよっ!」
「男か女か、胸の膨らみを手のひらで感じないと、判断できないの? わたくしと入れ替わっていた時も、そうやって平然と何度も触っていたの?」
「そ、そういう言い方っ……!」
「触った?」
「……少しは触ったけど」
「わたくし、アルセムのそういう下品な部分が嫌いですの。わたくしという淑女の前では、あなたは常に紳士であるべきですわ」
「分かってるよ! 騎士として恥ずかしくないようにはしてるだろ!」
「今後、わたくしの胸に許可なく触れることを禁じます。なるべくジロジロ見るのもやめてくださいまし。いいですわね?」
「く……!」
ぷくーっと、ほっぺたを膨らませて怒る、おてんば姫。おてんば姫に振り回される、護衛騎士。いつもの平和な日常が、やっと戻ってきた。
二人は顔を見合わせて、少しだけ笑った。そして、二人の笑顔が自然に消えた後、アルセムはロズリー姫から顔を背けて、ベッドを降りる準備を始めた。
「……護衛騎士アルセム。もう行ってしまうのですか?」
「ええ。まずは本日帰還される国王様に会い、兵士を配備してもらいます」
「やはり……戦うつもりですのね。あの魔女さんと」
「魔女の軍勢は、ロズリー姫様や孤児院の子どもたちだけでなく、この国の全ての人間を襲おうとするハズ。国王様の兵には、みんなを守ってもらいつつ、安全な
少年騎士が望んでいるのは、悪しき魔女との一騎討ち。人を守る騎士として、王国を
少女はそれを聞いて、少年の左腕を掴み、自分のそばへと抱き寄せた。
「行かないで……なんて言っても、あなたは行ってしまうのでしょうね」
「はい。おれは、ロズリー姫様が暮らすこの国の平和を守りたい」
「あなたがいない平和なんて、わたくしは望んでいません。……だから、必ず無事に帰ってきて。アルセム」
「分かったよ、ロズリー。もう二度と不安にさせたりはしない」
「あまり遅くならないでね。手作りのアップルパイを用意して、あなたの帰りを待ってるから」
「ああ。楽しみにしてる」
会話は終わった。
しかしそれでもなお、少女は少年から離れようとはせず、少年も少女のそばにいた。触れ合う体温が
「……えへへ。もう少しだけ、ここであなたを感じていてもいい?」
* * *
ゼディア王国に、国王が帰還した。
しかし、すぐに面会可能とはいかず。まずは、国王の帰還を
「おれを……他国に売る!?」
「その通りだ。我がゼディア王国第四王女ロズリーの護衛騎士、アルセム・ロシュフォードよ」
立て膝をついて敬意を表していたアルセムだったが、国王から唐突な話を聞かされて、思わず立ち上がってしまった。
「どういうことですか!? 国王様!!」
「残念ながら、わしには娘しかいなくてな。
「それが……この国の王子となる男ですか?」
「そうだ。だが……もちろん、ただでもらえるわけではない。交換条件として、向こう側はゼディア王国にいる一人の騎士の
「えっ!? どうして、おれを……!?」
「お前の剣の腕を、高く評価しているそうだ。将来的には、女王が持つ護衛騎士団の団長という地位も用意しているらしい。ワハハ、騎士としてはこの上ない
「は、はい……。評価してもらえることは、大変ありがたいのですが……」
「む? どうしたアルセムよ。何か気がかりなことでもあるのか?」
「おれはロズリー姫の護衛騎士です。彼女を守り抜くことこそが、おれの使命だったはず……!」
「ワハハ、心配には及ばんよ。ロズリーにも、やっと引き取り手が見つかったのだ。南にある小国の王子が、ロズリーを第三夫人として迎えてくれることになった」
「ロズリーが、結婚……!?」
「
「そんな、急すぎる……」
残された時間は、あまりに少ない。
アルセムは、いつも自分の名を呼んでくれるロズリー姫のことを想い浮かべ、少しだけ顔を伏せた。
「……考える時間をください。国王様」
「ダメだ。これは政治戦略であり、国王からの命令だ。お前には考える時間も権利もない。黙って従え、少年騎士よ」
「ですが、これではあまりにも……!!」
「孤児院は……どうする? お前が素直に命令に従うなら、わしの兵を警備に立たせてやろうと思ったのだが」
「なっ……!?」
つまり、素直に命令に従わないなら、もう孤児院で暮らす
「では、三日後の朝に迎えをよこそう。それまでに、家族や友人との別れを済ませておけ。少年騎士アルセムよ」
「……失礼します」
グッと拳を握りしめたまま、アルセムはゼディア国王に背を向けて、王の間を去った。その肩は少しだけ震えていたが、誰もそれに気付くことはなかった。
アルセムが去った後、近くで今の会話を聞いていた大臣が、国王に
「しかし、よいのですか? アルセムは確かに腕の立つ騎士です。手放す戦力としては、少々もったいない気もしますが」
「確かにそうだが……ヤツは敗戦国から来た戦争孤児だ。わしはな、怖いのだよ。故郷を滅ぼされた恨みの刃で、いつ寝首をかかれることか」
「なるほど。だから、ヤツを
「ああ。近くには置けないが、手放すには惜しい。高く売れる機会があるなら、売ってしまいたいと思っていたのだよ」
国を守る騎士として、どれだけ勇敢に戦い、どれだけ強くなったところで、アルセムの「敗戦国から来た戦争孤児」という身分は変わらない。国王はアルセムを全く信用せず、いつ反乱を起こすか分からない危険分子として扱っていた。
「ではなぜ、アルセムをロズリー姫の護衛騎士などという役職に
「グフフ……あまりはっきりとは言いたくはないが、ロズリーなら殺されても構わない姫だからだ」
「えっ!?」
「三人の姉と違い、ロズリーは出来が悪いのでな。政治的な利用価値は低く、いずれ王家としてもその存在は恥となろう。それならせめて、わしの盾となって名誉ある死を迎えてもらいたかったのだよ」
「盾……? つまり、アルセムの恨みの刃を受け止めるための?」
「理想のシナリオはこうだ。『王族に恨みを持つアルセムが反乱を起こし、近くにいたロズリーを殺す』。ロズリーは悲劇の姫としてこの世を去り、アルセムは大罪人として処刑。さらに、わしは国民から同情され、少なからず国民感情も味方につけられる」
「なるほど。それを期待していたわけですね」
「そうはならなかったがな。グフフ……何にせよ、厄介者たちが処分できて一安心だよ」
「……」
外で話を聞いていたアルセムは、一言も発することなく、その場を静かに離れた。
*
「おかえりなさい、アルセム。こちらも、キノコ妖精さんたちに授乳し終わったところですわ」
「けぷっ」と、小さなゲップをしながら、すやすやと眠る6体のキノコ妖精たち。ロズリー姫は、全員を自分のベッドに寝かせ、我が子を可愛がる母親のように添い寝をしていた。
「どうでしたの? 最上級魔女さん討伐の作戦会議は」
「ああ、その話は……できなかった」
「えっ? どうして?」
「それが……」
アルセムは、自分とロズリー姫がこの国を離れることになるという話をした。
そして、それを聞いたロズリー姫は、アルセムが思っていた通りの反応をした。
「い、嫌ですわ! そんなのっ! わたくし、そんな結婚は望んでいませんっ!!」
「……」
「二人で、国王様に抗議をしに行きましょうっ! 『わたくしたちは愛し合っているので、ずっと一緒にいたいのです』って!」
「待て、ロズリー。そんな簡単な話じゃないんだ」
プンスカと怒りながら部屋を出ようとするロズリー姫の手を、アルセムはぎゅっと握った。
「アルセム……? 手を、放してっ」
「ダメだ。行かせない」
「まさか……国王様の命令に、従うつもりではないでしょうね?」
「……」
「ねぇ、アルセムっ! なんとか言って!」
しかし、返答はない。アルセムはそれでも無言だった。
煮え切らない態度に
「痛てっ!? このバカっ! やめろ、ロズリー!」
「やめませんわ! このまま、ヒモでお互いの手を固く結んでしまいましょう! 離れ離れになんか、絶対にならないようにっ!!」
「落ち着けって! おかしなことばっかりするな!」
「おかしいのはあなたの方っ! わたくしを、もう不安にさせないって、約束したのにっ!! ずっとそばにいるって、約束してくれたのにっ!!」
「……!」
ロズリー姫は、瞳に涙を浮かべて叫んでいた。
「はぁ、はぁ……アルセムっ! わたくしは誰の指図も受けないっ!! どんな手を使ってでも、あなたと一緒にいますっ!!」
「ロズリー……」
「あなたは!? あなたはどうしたいのっ!? 言って!! 教えてっ!! あなたの本当の気持ちをっ!!」
「……!」
ロズリー姫はそんなアルセムを、不安げに見つめていた。最悪の答えだけは出さないでほしいと、ひたすらに願って。
「……」
そして、ついに答えが出た。
瞳に光を失ったアルセムは、ロズリー姫の手をパシンと振り払い、彼女に背を向けて語り始めた。
「おれは、もうロズリーの護衛騎士じゃない」
「え……!?」
「孤児院のみんなは、おれの家族だ。おれは家族を守らなくちゃいけないんだよ。だからもう……ロズリーのことは守れない」
「アルセムっ!」
「ごめん、ロズリー。……ここからが大事な話なんだ。よく聞いてくれ」
* * *
夜が来た。
「ふふっ。明日は満月ね」
泉のほとりには、夜なのに真っ黒な日傘を差している女が一人。彼女こそ、アルセムの宿敵である最上級魔女のリフィリアだ。
「……来ると思っていたわ。力なきニンゲンは、いつも私の力を借りようとすがりついてくるから」
リフィリアは、自分の背後にいる人物に声をかけた。
月明かりに照らされて、その人物の姿は次第に明らかになっていった。
「ねぇ、お姫様? そんな泣き
「……!」
そこにいたのは、ロズリー姫だった。
護衛騎士もつけずに、たった一人。瞳孔は完全に開ききり、その顔にはもう、いつものような明るさはない。
「ワケを聞かせてくれる?」
「この国に、失望しました。大切な人に、裏切られました。……だから、わたしっ、ここまで一人で来たのっ」
「あらあら、それは辛かったわね。復讐するだけの力くらいは貸してあげるけど、あなたは何をお望みなの?」
「ゼディア王国の崩壊と……アルセムを永遠にわたしのものにしたい」
「ふふっ、アハハハッ!! やっぱり、あなたたちって最高ね!!」
リフィリアはくるりと振り返り、不思議な色をした香水を取り出すと、ロズリー姫に向かって放り投げた。
ロズリー姫はそれをキャッチすると、自分の手のひらの中のそれをじっと見つめた。
「これは……入れ替わりの香水……?」
「いいわ。面白そうだし、お姫様のお願いを叶えてあげる」
「ありがとうございます……。リフィリア様……」
「明日の夜、私は魔物の軍勢を率いて、ゼディア王国を
「足止め……?」
「そうね、ここにベッドでも置いておくわ。満月の空の下、崩壊する城を背景に、国を捨てた騎士と姫様が、一晩かけて身も心もドロドロに溶け合って、混じり合うなんて……素敵だと思わない?」
「……」
「あら、あんまりウケが良くないわね。あの騎士さんのこと、好きじゃないの?」
「いいえ。大好きな人です」
「ふふっ、それなら良かったわ。明日の夜は、一緒に楽しみましょうね」
「はい……」
世界が、闇に染まる。
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