ウソと子どもと、生誕の愛。


 王城の図書室。

 それは、城で暮らす勤勉な者たちが、書物しょもつから知識を得るための場所。国の歴史、料理のレシピ、魔法の呪文、薬の調合方法などなど、ここに保管されている書物たちが、求めれば求めた通りの知識を与えてくれる。

 

 忙しい朝の時間が去った後、穏やかな陽光が差すこの場所へ訪れたのは、ゼディア王国の美しき第四王女こと、ロズリー・ピアメル姫だった。ぎっしりと背表紙が詰まった本棚から、ロズリー姫は「ゼディア王国魔物大全」と書かれた大きな図鑑を手に取り、細腕ほそうでに抱えて、そばにあったつくえの上まで運んだ。


 「はぁ……はぁ……。えーっと……多分、妖精のページに……あっ! あった、『下級魔草マシュルン』……!」

  

 息が上がり、ほっぺたも少し赤い。本日のロズリー姫は、まるで風邪でも引いているかのような様子。

 ロズリー姫は「下級魔草マシュルン」の項目を開くと、一度荒くなった呼吸を整えてから、そこに書かれている文字を指で追いながら読み進めていった。


 「繁殖期の寄生……。マシュルンは雌体したい妖精ようせいであるため、他の生物のオスとメスに寄生して、特殊な生殖せいしょくを行う……。求愛行動をしているオスとメスを見つけると、それぞれの生殖の器官に、順番に寄生していく……」


 つまり、アルセムとロズリーは「求愛中のオスとメス」だと、キノコ妖精に判断されたというわけだ。あまり嬉しくない言葉にムッとしながら、ロズリー姫は文章の続きを読んだ。


 「まず、オスの体に寄生して精胞子を作らせ、体外に強制排出……。そして、メスの体に寄生して卵胞子を作らせ、蓄えた精胞子を卵胞子に注入する……。こうして受精胞子を作り終えたマシュルンは、最後に母体となるメスの体内と侵入し、『母性ホルモン』を分泌しながら、消滅する……。えっと、『母性ホルモン』とは……」


 必要な知識は確かに得られた。しかし、読むペースはだんだん遅くなり、最後には続きを読めなくなってしまった。


 「はあ……はあ……もう、ダメだっ……」


 バタンと閉じた図鑑をまくら代わりにして、頭から机にす。まるで、授業中に居眠りをする学生のような、体を「くの字」に曲げたポーズだ。

 そして、両足が開き始める。大股を広げるなんて、上品なお姫様がしていいポーズではないが、プリンセスドレスのスカートのなかで小さく震えているキノコ妖精が、股を閉じてお淑やかに座っていることを許してくれない。

 

 「うあっ……! はぁっ、はぁっ……こんな姿、誰かに見られたら……」


 ガタンと椅子イスが倒れる。腰が浮く。

 ロズリー姫は、お尻をつき出すような体勢で、下半身を立たせた。体内のキノコ妖精はそれでも大人しくはならず、大股開きを強制してくる。

 その姿はまるで、背後からの情愛じょうあいを求める、いやしくて下品な……。


 「姫様? ロズリー姫様っ!? 何をなさっているのですか!?」

 「……!?」

 

 突然現れたのは、図書室を管理している室長の女。本棚の森の中で、泣き声にも似た小さな震え声を聞き、不思議に思ってこちらにやってきたのだ。

 ロズリー姫は、自身でも気づかないうちに、吐息に声を乗せていた。


 「どうかおやめくださいっ! そんな、はしたないお姿っ……!」

 

 そして、見られた。身悶みもだえている様子を。


 (マズい……!)


 変態王女だと、呼ばれるわけにはいかない。姫様を守る護衛騎士が、姫様の名誉を傷つけるなど、絶対にあってはならないことだ。

 高貴な姫をつくろう。ロズリー姫はすぐに机から離れ、左右に開いていた足をピタッと閉じて、お上品に直立した。


 「ふーっ……ふーっ……」


 キノコ妖精は、まだ小刻みにブブブ……と振動を続けている。「早く下品に足を開け」と、訴えかけるかのように。

 ロズリー姫は、スカートの上からさりげなく下腹部を押さえ、暴れるキノコをどうにかしずめようとした。「頼むからもうやめてくれ」と、心の中で何度も叫んだ。


 「ひ、姫様……?」

 「いや、あの……えっと……なんでもないっ!」

 「えっ?」

 「ちょっとフザけただけだよっ! 冗談だってば! あはははっ!」

 

 ロズリー姫は無理やり笑った。上手い言い訳は思い付かない。

 室長の女は、まだ困惑している。


 「姫様、本当に大丈夫ですか……? もし何か、お悩みがあるのなら」

 「本当になんでもないんだっ!!! おれはこれが普通なんだよっ!!! 何も……おかしいことなんてないっ!!!」


 ロズリー姫はツカツカと早足で、逃げるように王城の図書室を出ていった。


 *


 「ややっ、ロズリー姫! おはようございます!」「おや、姫様。ごきげんよう」「あら、姫様? どちらに行かれるのですか?」


 図書室を出ても、城の中は使用人だらけ。

 ロズリー姫は一人一人に向けて「ウフフ……ご、ごきげんよう」と、作り笑いを振り撒きつつ、誰にも会わない場所を求めて歩き回った。


 (のんびり会話をする余裕もない……!)


 キッチンを急いで通り抜け、さらに奥にある扉をガチャリと開けると、そこはもう城の外。外部から食材などを搬入はんにゅうするための勝手口かってぐちだ。


 「よし、この辺りなら誰も……」

 「わぷっ!?」

 「うおっ!? なんだ!? 誰だっ!?」


 むにゅっ。

 扉を開けた瞬間、いきなり謎の女の子が正面から突撃してきた。ロズリー姫の胸はクッションのように柔らかいので、お互いに衝突のダメージはない。


 「きゃーっ! ぶつかっちゃった! ごめんなさーいっ!」

 「いや! こちらこそ、ごめん……!」

 「……あれ? もしかして、お姫様っ!?」

 「えっ!? お前……もしかして、カトレアか!?」


 カトレア。

 ロシュフォード孤児院で暮らす、11歳の女の子。15歳のアルセムにとっては、妹のような存在だ。

 きらびやかなプリンセスに憧れを持っていて、アルセムがロズリー姫について語ると、いつも目を輝かせている。早起きが得意なので、アルセムが屋根裏のベッドで寝ていると、いつも大声で起こしにやってくる。

 

 「わあぁっ……! 今日のドレスも素敵っ! お姫様、かわいいねっ!」

 「カトレアっ! どうしてこんなところにいるんだ?」

 「いつもみたいに、東の森で採れた山菜さんさいや木の実を、売りに来たの! 今回は、アルセムお兄ちゃんと一緒に森へ行ったから、木の実がいっぱい採れたよ~!」

  

 そう言うと、カトレアは嬉しそうに自分が背負っているカゴの中を見せてくれた。


 「へぇ……。これ、全部売り物か。まるで商人だな」

 「うん! いっぱい売って、いっぱいお金を稼ぐの!」

 「ははっ、何か欲しいものでもあるのか? オモチャや洋服ぐらいなら、おれが買ってやっても……」

 「ううん、孤児院のためだから! みんなで生活するために、お金を稼ぐの!」

 「えっ!?」

 

 「孤児院のため」。その言葉を聞いて、カトレアを見る目が変わった。ほほえましい「商人ごっこ」だと、妹を小馬鹿こばかにしていた笑いが、消えた。


 (知らなかった……。孤児院で暮らすみんなのために、カトレアも色々がんばってくれてるんだな)


 数年前まで、「アルセムおにぃちゃん、いっしょにあそぼー」と、常にアルセムにくっついて甘えん坊だったカトレアが、今は自分より幼い弟や妹たちをやしなうために、商売をしている。かつては小さくて可愛いだけだったあのカトレアも、年齢を重ねて大きく成長し、今や立派なお姉ちゃんになっているのだ。

 ロズリー姫の中にある「アルセムお兄ちゃんの心」は、どんどん熱くなっていった。


 「カトレア、お前は本当に……大きくなったな」

 「ひゃっ!? どうしたの、お姫様っ!?」


 湧き上がる感情が抑えきれなくなり、ロズリー姫はカトレアにハグをしていた。

 孤児であるカトレアは、両親からの愛を充分には受けられなかった。でも、今の家族はみんなカトレアのことを愛しているし、「アルセムお兄ちゃん」にとって、お前はこれからもずっと大切な妹だからな。……そういうメッセージを込めたハグ。

 涙さえこぼれそうなロズリー姫の耳元で、カトレアは正直にボソッとつぶやいた。


 「わっ、おっぱいおっき……」


 その一言で感動は薄れ、なんだか恥ずかしい雰囲気になってしまった。ロズリー姫はこれ以上胸が当たらないように、スッとカトレアから離れた。


 「あのさ、カトレア……。それは今関係ない」

 「でも、かわいいし、セクシーだし、良いことだと思うよっ! アルセムお兄ちゃんも、きっと大きいおっぱい好きだしっ!」

 「なっ!? ち、違うっ!! っていうか、なんでそこで、おれの……アルセムお兄ちゃんの話が出てくるんだっ!?」

 「だって、前に会った時、悩みごとをわたしに言ったでしょ? 『アルセムは本当に、わたくしのそばから離れることを望んでいるのかも……』って」

 「えっ? ロズリーがお前に、そんな相談を……?」

 「でも、大丈夫っ! お兄ちゃんは絶対に、お姫様から離れたりしないよっ! だって、アルセムお兄ちゃんはきっと、お姫様のことも、わたしたち家族と同じくらい──」

  

 その先の言葉は、聞いていられなかった。


 「んうっ……!?」

 

 体内にいるキノコ妖精が、最も刺激を感じやすい部分に触れてきた。下半身の筋肉が、一気にキュウゥッ……と引き締まり、思わず腰が抜けそうになる。もう普通に立っていることさえ、許してくれない。

 

 「ふ……ふぅっ……! はぁっ……はぁっ……」

  

 このままでは、座り込んで動けなくなってしまう。ロズリー姫は大きく息を吐き出し、そばにある壁に左手をついて自重じじゅうの支えとした。

 

 「お姫様、どうしたの!? 大丈夫っ!?」


 異変を感じたカトレアが、心配そうに近づいてくる。ロズリー姫は、優しいカトレアの頭の上に右手のひらをぽんっと置き、汗をびっしょりかいた笑顔で答えた。


 「大丈夫っ……。もう誰も、不安にさせたりはしないっ……!」


 *


 (とにかく人目を避けないと……! どこか、一人になれる場所へ……!)


 それだけを考えて、ロズリー姫は再び城の中を歩き回った。そうして彼女が最後に辿たどり着いた場所は、ロズリー姫自身の部屋だった。

 天蓋てんがい付きのベッドに飛び乗り、オーロラのように美しいカーテンをサッと閉めてしまえば、誰の目にもつかない一人きりの空間が作れる……と思った矢先に、シアン先生が扉を開けて部屋に入ってきてしまった。

 

 「姫様? どちらにいらっしゃったのです?」

 「ふーっ……ふーっ……。図書室で……勉強をしてたんだ……。それでちょっと疲れたから……今から少し……休もうとしてたんだよ……」

 「そうですか。では、しばらくベッドでお休みください。本日予定していた美容のレッスンは、後日に致しましょう」

 「あはは……。じゃあ、おれ寝るから……悪いけど部屋から出てくれないか」

 「いいえ。今日はあなたから目を離さないと、今決めました。私は静かに見守っていますので、どうぞご自由にお休みください」

 「えっ!? いや、それは困るっ!! あんたに見張られてたら、落ち着いて眠るなんて──」


 ロズリー姫の乱暴な言葉をさえぎるかのように、シアン先生は人差し指を立てた。指先のポワッとした光と共に、しつけの魔法が再び発動する。


 「できませんわよっ!! ……きゃっ! シアン先生、またわたくしに魔法をおかけになりましたのねっ!?」

 「イビキなどかかれてはたまりませんので、しばらく魔法はかけたままにしておきます。常に淑女でいることをお忘れにならないように」

 「……!」


 ロズリー姫は、シアン先生に聞こえるように舌打ちをしようとしたが、躾の魔法のせいでそれは不発に終わった。

 仕方なく、ロズリー姫は不満げな顔をしたまま、大きな枕に自身の頭を沈ませた。

 

 (仕切りとなるのは、カーテン一枚だけ……。お互いの姿は見えないが、声や物音は聞こえる。カーテンの向こう側にいるシアン先生に、バレないようにするには……)


 静かに、とても静かに、太ももを動かしていく。そして、自身に寄生しているキノコ妖精をなるべく刺激しないように、スカートの中でゆっくりと大股を開き、M字に開脚しようとした。


 (くっ! これ以上は足が開かない……! この体勢で、やるしかないのか……)


 ひたいに汗をかきつつ、細腕を包むプリンセスグローブをキュッと引っ張り、準備は万端。ロズリー姫はドレスのスカートをできるかぎり捲り上げ、股ぐらの奥の見えない場所へと、右手を潜り込ませた。

  

 (あっ! キノコの笠だ……! よーし、こいつを掴んで、引っこ抜いてやるっ!!)

 

 何層も重なるふわふわした布の中で、少し固い部分を見つけた。ロズリー姫はその根っこを掴むと、細腕に力を込めてググッと引っ張った。


 (ぐ……ダメだっ、抜けないっ……! でも、手応えはあったな……! これ以上、ロズリーの体の中には行かせないぞ……!!)


 ダメだったが、諦めなかった。騎士としての誇り高い精神を持つ少年に、諦めるという言葉はない。ひたすら前進し、姫様をおびやかす敵を討つ。


 「はぁっ……はぁっ……」


 キノコ側からも宿主への抵抗が始まり、先ほどと同じように、ブブブ……と振動しだした。

 ロズリー姫自身の感覚でも、下腹部の非常事態はもう充分に伝わっている。体内で触手が暴れ、ビリビリと臓器がしびれるような激しい痛みと、ビクンと体がってしまうような凄まじい快感が、何度も込み上げてきている。


 (抜けろっ、抜けろっ、抜けろっ……! ロズリーから出ていけっ!!)

  

 それでも退かず、ただ前へ進む。

 かつて自分を受け入れてくれた、姫様のために。彼女の名前を汚さないために。

 

 (大切な姫様の……ロズリーの心と体は、誰にも傷つけさせはしないっ!!)


 ブチブチと、触手が千切ちぎれる音がする。受精胞子が作られる前に、キノコの寄生が終わろうとしている。

 勝利の時は目前だった。が……。

 

 「ロズリー姫様っ!!? なんてはしたない声をお出しになっているのですかっ!!?」

 「えっ……!?」

 

 突然、シアン先生がヒステリックな叫び声をあげた。

 高貴な淑女であるロズリー姫の「はしたない声」を聞いて、カーテンの向こうで取り乱しているようだ。


 「こんな時間から慰撫いぶを始めて、しかもそんな……いやらしい声まで出すなんてっ!!」


 心当たりのない出来事だった。


 (いやらしい声……!? おれがっ!? いや、そんなハズは……!)


 声どころか物音も立てないように、気をつけていた。静寂を意識をしていた……ハズだった。

 何かの間違いなんじゃないかと、シアン先生に聞き返そうとしたところで、ロズリー姫は自分の「左手の位置」にハッと気がついた。

 

 (胸の上……!? まさか、無意識に触っていたというのか!? ロズリーの……む、胸を、おれが、こっちの手でっ!?)

 

 豊かに膨らんだその上に。何も指示していなかった左手が、自然にそこにあった。右手の動きに合わせるかのように、勝手に動いていた。

 そんなこと信じられない、と思っていても……。

 

 「きゃんっ……♡」


 左手をどかそうと少し指を動かしただけで敏感に反応し、声が漏れてしまう。それが何よりの、事実の証明でもあった。


 (い、今みたいな声を……出したのか……。おれが、無意識に……。なぜそんなことを、無意識でやってしまったんだろう……)


 男の体では一度もしたことがない行為を、女の体になってから無意識にしてしまった。

 

 (つまり、この体が覚えているのか……?)

 

 * * *


 ─────────

 ~ 5年ほど前 ~

 ─────────


 「『月夜のレッスン』?」

 「ええ。昨日から始まりましたの」


 10歳のアルセムとロズリー姫。

 ゼディア王国の西にある湖で、魚を獲ったり貝を集めたりしてたくさん遊んだ後、二人は岩場で休んでいた。少年アルセムは薄手のシャツと短パンを一枚、少女ロズリー姫は白いワンピースを一枚という、水遊びにてきした服装をしている。


 「わたくしも10歳になったので、そろそろ始めた方が良いのだそうです。レッスンはこれから月に一度。場所は、わたくしの部屋のベッドですわ」

 「ベッドで練習? へぇ、何をするんだろう。枕投げとかかな?」

 「いいえ。昨日は初回のレッスンでしたので、一冊の本を読みましたわ」

 「本? ベッドで本を読むだけか?」

 「ええ……。わたくしが読んだのは、その……体についての本でしたの……」

 「カラダ?」

 「アルセムのような男の子の体と……わたくしのような女の子の体が……挿し絵には描かれて、いて……」

 「ん!? ろ、ロズリー!?」

 

 いきなり服のそでをぎゅっと掴まれ、アルセムは思わず振り向いた。そこには、分かりやすいくらいに緊張し、顔を真っ赤にしているロズリーがいた。


 「もしっ! もしも……! もし、もしっ!!」

 「うわっ、なんだっ!? どうしたんだ!?」

 「わ、わわ、わたくしは、確認をしたいだけっ! 本で読んだことのっ! 確認をっ!」

 「落ち着け、ロズリー! 何を言ってるのか分からないぞっ!」

 「か、仮にっ! アルセムがっ! その……そうしたいのであれば、ですけどっ!!」

 「うんっ……!」

 「もし、わたくしに……体を、見せたいのであればっ! 今ここでっ! お、お洋服を、脱ごうという気があるならっ!」

 「え?」

 「わたくしも、その気持ちに答えっ、てっ、みみ、見せ合いっ、とか!」

 

 ロズリー姫が何かを言おうとしているが、まだ幼いアルセムには、その意図が全く伝わらなかった。

 

 「いや、おれは別に……服を脱ぎたいとは思わないけど」

 「……!!」 


 ガーン。

 ロズリー姫はショックを受けた。ここでアルセムの方からエスコートをしなかったせいで、ロズリー姫はただの「はしたないハレンチ姫」になってしまったのだ。

 

 「うぅ……うわああぁ~~~んっ!! アルセムのおバカさん~~~~っ!!」

 「お、おいっ、ロズリー!? なんだ!? どうした!?」


 ザバンッ!

 恥ずかしさに耐えられなくなり、ロズリー姫は湖に飛び込んだ。

 その日以降、ロズリー姫が『月夜のレッスン』についてアルセムに語ることは一度もなかった。


 * * *


 ──────────

 ~ それから5年 ~ 

 ──────────


 「はぁっ……はぁっ……。そういう……こと……でしたのね……」

 

 合点がてんが行く。


 (つまり、ベッドの上で男に恥をかかせないように、夜の技術を磨いたり、自分の性感を高めたりするレッスンを、『月夜のレッスン』と呼んでいたのか……。他国の王子や貴族を『深夜の社交会』で満足させて、外交や政治を上手く進めることが、王女の役割だから……。5年も前から、そのための準備をしてたんだ。ロズリーは……)


 優雅で華やかに見えるプリンセスの生活にも、庶民には計り知れない苦労がある。それを今、身を持って体感している。


 「5年も、かけてっ……身体に、染み付かせて、いきましたのねっ……。この……胸の先にあるっ……感度の、高さっ……」


 左手が止められない。


 「んっ……」


 瞳を閉じ、快感まで味わってしまった。

 一度始めてしまったら、そうなるようにきざまれている。誰のためにここまで自分を調教したのかは知らないが、ロズリー姫がもう「子どもの体」をしていないことくらいは、性体験にとぼしい少年でも分かった。


 (何が……『おれたちは大人にならなくちゃいけない』、だよ……! ロズリーは、ずっと前から大人になる準備を始めてるのに……いつまでも子どものままなのは、おれの方じゃないか……!!)


 護衛騎士としても、幼馴染みとしても、愚図ぐず

 情けなさに涙がこぼれる。


 (ごめんっ……ロズリー……。おれは今まで、お前のことを何も分かっていなかった……!)


 のどの奥から、抑えきれない感情が溢れる。


 「あっ……ああぁっ……」

 「いい加減になさいっ!! あなたはこの国の姫なのですよっ!!?」

 

 シアン先生はロズリー姫の声を聞いていられなくなり、さらに強力な魔法を発動した。

 それにより、ロズリー姫の両手両足の筋肉が弛緩しかんし、四肢の全てがだらんと脱力した。


 (ああ……もう動けない……。シアン先生が魔法でやめさせたんだな……)

  

 手足の力を奪われ、ロズリー姫は何もできなくなったが、彼女自身でもその判断は正しいと思っていた。『おれ』が今やっていたことは、他の誰かにしか止められない。


 「これは罰の魔法です。今から24時間、そこでそのまま過ごしなさい。その間に、自分の行いを反省すること」


 シアン先生は、冷たく言い放った。

 ロズリー姫は静かに呼吸を整えながら、シアン先生が今言った言葉の『違和感いわかん』に、少しだけ目を細めた。


 (24時間……? 躾魔法だけならともかく、人を動けなくするなんて高度な魔法を、24時間も……? それを軽々しくできるのは、並大抵の魔法使いじゃないぞ。まさか、シアン先生の正体って……)


 ロズリー姫が真相に近づき始めたところで、今度は彼女の足の方から声が聞こえてきた。


 「ましゅ……ましゅーっ!!」

 「……!」


 キノコ妖精マシュルン。せっかく寄生しながら受精胞子を作っていたのに、宿主やどぬしに追い出されそうになって、プンプンと怒っている。

 そして、「もう容赦はしないんだから!」と言いたげに、再びプリンセスドレスのスカートの中へと潜り込んできた。


 (お、おいっ……! 今はダメだっ! やめろっ!! 来るなっ!!)

 

 先ほどとは違い、今度は全く抵抗ができない。ここから先はもう、すがまま。

 

 「────!!!」


 * * *


 「やっぱり、アルセムは知らなかったんだ。わたしが第四王女だってこと……」


 その日の夜。場所はロシュフォード孤児院。

 屋根裏部屋の質素なベッドから、天窓に映る星空を見上げて、護衛騎士の少年アルセムは一人でポツリと呟いた。


 「いつかバレるとは思ってたし、その前にちゃんと話そうとは思ってたけど……。なんで今まで黙ってたのかな、わたし」

 

 お腹にあるシャツのすそから、右手がススッと入り込んでいく。しかし、何か目的がある手付きではない。

 ただ、アルセムの素肌に触れていたかっただけ。『わたし』の気持ちが落ち着くのは、その瞬間だけ。

 

 「あなたの前では、一番のお姫様でいられるから、かな……? ふふっ……アルセムはずっと、わたしのこと、すごいお姫様だと思ってたよね……」


 右手に続いて、左手も癒しを求めた。

 「そんなに寂しがり屋さんなら……」と、アルセムは自分のシャツをパサッと脱ぎ捨て、左手にも自由を与えた。


 「体が入れ替わってしまったから、もうお互いに隠し事はできない……。アルセムの方も、わたしの裸とか……見てるのかな。……見てるよね、きっと。男の子だし」


 何かを塗りたくるかのように、上半身を優しく丁寧に撫で回した。

 残るは下半身だけ。本では見たことがある。淑女として抵抗はあるものの、一人きりの夜は興味の方がどうしても強い。


 「今度会ったら……本当の気持ちを話そうね。アルセム」


 * * *  

 

 そして朝。

 

 「んあ……?」


 こちらは、パチリとお目覚めのロズリー姫。

 どうやら口を開いたまま眠ってしまったらしく、ぷるんと紅いくちびるの端から、だらしなくヨダレが垂れている。


 (ヨダレをきたいけど、手が動かないんだよな……。魔法の効果が24時間なら、まだしばらくは……)


 次第に感じたのは、全身を包むじっとりとした湿り気。不快に思うほどに、体が濡れている。


 (汗もヤバい……。太もものあたりが、特に酷いような気がするな。風呂にでも入って……ああぁ、勝手に服を脱いだりしたら、ロズリーにまた嫌われるかな……)


 さらに、畳み掛けるように、お腹がグゥ~と鳴った。

 その拍子に口から出そうになったのは、「腹も減ったしなぁ……」という、ただの呟き。しかしそれさえも、今はお姫様らしい言葉遣いに変わってしまう。

 

 「お腹もすきましたわ……。どなたか……どなたでもよろしいので、わたくしの体を拭いて、ご飯を食べさせてくださらないかしら……」


 どなたでも。

 その呼び掛けに、答えるかのように。


 「ましゅ、ましゅ……ましゅっ!」

 

 ロズリー姫の胸の谷間から、小さな妖精がヒョコっと顔を出した。


 「えっ!?」

 「ましゅーっ!」

 「うえぇっ!? キノコっ!? どうしてそんなっ……わたくしのお胸からっ!?」

 

 現れたのは、キノコ妖精マシュルン。あの極悪な寄生生物だ。

 だが、やけに小さい。手のひらよりも大きいくらいだったマシュルンが、今は親指くらいの大きさしかない。そして、違和感がもう一つ。


 「ましゅ!」「ましゅー……」「ましゅ?」「ましゅっ」「ましゅ~♪」


 順番に出てきて、合計は6体。


 (小さくなって、数が増えてる……!? おれが寝ている間に、一体何があったんだ!?)

 

 ロズリー姫は、自分が眠る前の記憶を辿った。

 最後に見た景色は、キノコ妖精に体内への侵入を許してしまったところ。そこから先は、あまりにもショックで気を失ってしまった。

 その後、キノコ妖精が順調に活動を続けていたとしたら……。図鑑に書かれていた通りの手順に進んだとしたら……。


 (じゃあ、こいつらは……)


 ロズリー姫の顔から、サッと血の気が引いた。


 「この子たちは……わたくしから産まれましたの……!?」

 

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