ハグと信頼と、騎士の試練。
* * *
その夜。
「ロズリー……? ロズリーなのか!? おれになってるのは!」
「ほ、本当にアルセムなの? アルセムが、わたしの姿に……!?」
王城にて、二人はやっと出会えた。
「わたしに……じゃなくて、ロズリー姫に会わせてください!」という騎士の願いと、「おれを……じゃなくて、護衛騎士アルセムを城へ呼びなさい!」という姫のワガママが、その日の夜になってやっと叶ったのだ。
落ち着いて話せるように、周りに誰もいない場所を求めて、二人はロズリー姫の部屋に入った。
「おれの
「遊びだって言ってた。あと、そのことを他の誰にも言うなって」
「黒帝魔女め……。魂を
「黒帝魔女さんは、『一週間後にまた泉で会いましょう』って言ってたけど……」
「会ってどうなるか、だな。素直に元に戻してくれるとは思えないが」
「うん……」
天蓋付きのベッドの柱に立て掛けてある、
しかし、その手に剣は馴染まない。ロズリー姫は剣身に映る自分の顔をじっと見つめ、眉間にシワを寄せた。
(この体で、おれが戦うしかないのか? それとも、ロズリーに剣の
アルセムがアルセムの体で戦ったとしても、勝てるかどうか分からない強敵だ。精神と肉体が一致しない人間が戦ったところで、おそらく
「くっ! どうすれば……!」
不安な気持ちは
「アルセム、大丈夫……?」
「えっ?」
「何か、わたしにできることがあるなら……」
「あ、ああ! いや、大丈夫だよ!」
しかし、心配そうな顔を向ける少年騎士に対して、お姫様は無理やり笑顔を作ってみせた。
(そうだ……。黒帝魔女に襲われた時、ロズリーは自分の命を犠牲にして、おれを助けようとしたんだ。守るべき姫様に、もうあんなことさせちゃいけない……!)
ロズリー姫は剣を置き、鼻でフンと笑った。
「おれは強い。だから、心配しなくても大丈夫だ。正義の騎士は、悪い魔女には負けない」
「アルセム……」
「体が入れ替わっていようが、おれはおれで、お前はお前だよ。ゼディア王国の姫、ロズリー・ピアメル様は、この護衛騎士アルセム・ロシュフォードが、必ずお守りします」
「はい……!
「……それに、魔女と戦う方がよっぽど楽だろうしな。ここでの生活よりも」
「え? そんなに大変だったの?」
「しゃべり方、立ち方、歩き方、メシの食い方。全て、お上品じゃないとダメなんだ。ちょっと足を開くのもダメなんて、厳しすぎないか」
「まあ、その程度は
「げっ。お前も厳しいこと言うなぁ」
「ふふっ。よろしければ、お教えして差し上げてよ? わたくしの、この振る舞いを」
まるで高貴な女性のように、少年騎士アルセムが優雅に
「お前はどうなんだよ。おれの体での生活は」
「一応、うまくやれている……と思うよ。今のところは、だけど」
「そうか。孤児院のみんなのこと、よろしく頼む。おれだって信頼してるからな、お前のこと」
「大丈夫。わたしに任せて」
「もちろん、おれも協力する。何か困ったことがあったら、すぐに教えてくれ」
「困ったこと……? あっ!」
「うん? どうした?」
「あ、あるのっ! 困ったことっ!」
困り
「ん? ロズリー?」
「今日、森で魔物さんと戦ったとき、いろいろあって……ズボンの中に入ってしまって、出てこなくなってしまったの。それが、その状態のままだから、あの……なんというか……!」
「えっ!? はあ!?」
「と、とりあえず、見てくれる……?」
アルセムは視線を下に降ろし、
ロズリー姫はぽかんと口を開いたまま、少しの間固まっていた。急に押し付けられた情報が多く、すぐには飲み込めない。ただ、
ロズリー姫は口を閉じ、一呼吸置いた後、心にある勇気を呼び覚ました。
「よ、よし分かった。とりあえず見るぞ」
「うんっ。わたし、見ないからっ」
アルセムは直視する勇気がないらしく、ぎゅっと目をつぶっている。ロズリー姫はゴクリと
「えっ……!?」
そこにあったのは、キノコ。
「うわあぁっ、なんだこれ!? キノ……コ……!? キノコが生えてる!? いや、キノコになってるのか!?」
信じられないものを見た。
まだ現実を受け入れることができず、ロズリー姫はズボンの中を覗くのをやめ、アルセムのベルトを締め直した。
「何がどうなってるんだよ、これは……!!」
「そ、そんなにおかしい状態なの……?」
「おかしいっ!! だって、こんなところにキノコなんて生えるわけないだろっ!! おれの体で、何をしたらそうなるんだ!」
「だから、その……! 東の森で、キノコみたいな魔物さんに襲われてっ! どうしていいか分からないから、アルセムに見てもらおうと思って……!」
「東の森、キノコの魔物……? じゃあ、こいつの正体はマシュルンなのか!?」
「アルセム、知ってるの……?」
「ああ。下級魔草マシュルン……」
森に住むキノコの妖精。暗くてジメジメした場所を好み、普段はひっそりと暮らしているが、
「つまり、マシュルンに寄生されてるんだろうな。その下半身は」
「き、寄生っ!? わたし、寄生されてるの!? 大丈夫なの!? それはっ!」
「さあ……。下級の魔物だから、人間への害はあまりないはずだけどな。ただ、大丈夫とも言い切れない。どんな力を秘めているのか、解明されてない魔物も多いから」
「じゃあ、寄生をやめさせて! 魔物さんを取って!」
「取った方がいいんだろうけど……。うーん、取れるのか? これ」
ロズリー姫は再びアルセムのベルトを緩め、下半身の状況を確認した。それと同時に、アルセムもまたぎゅっと目をつぶった。
(なるほど……。よく見たら、生えてるんじゃなくて、包んでるんだな。まるで
ロズリー姫は冷静に分析し、アルセムを見上げて尋ねた。
「触っていいか? ロズリー」
「えっ!? さ、触るの?」
「もしかしたら、取れるかもしれないんだ。試してみないと分からないけど」
「取れるなら、やって! わたし、アルセムに任せるからっ」
「分かった。じゃあ、ちょっとじっとしててくれ……!」
ロズリー姫はプリンセスグローブの
(
右手のなかで、小さな鼓動を感じる。
「よし、引っ張ってみよう。行くぞ、ロズリー」
「う、うんっ……!」
「せーのっ!」
ぐぐっと力を入れ、真上に引っこ抜こうとする。
しかし、寄生の触手がしっかりと
「くそっ、ダメか。この体じゃ、腕力が足りないのか……?」
「でも、今少し取れそうじゃなかった?」
「ああ、手応えはあった気がするな。もう一回やってみよう」
「うんっ。お願いっ」
こうして、キノコに力を入れ、力を抜く作業を、何度か繰り返した。抜けるには至らなかったが、少しずつ触手の力が弱まっているような感覚はあったので、ロズリーとアルセムは諦めずに続けていた。
ただ、マシュルンの方も自分への攻撃に気付き、無抵抗のままではいなかった。
「はぁ……はぁ……。な、なんだか、体が変……」
先に異変を感じたのは、宿主であるアルセム。
ロズリー姫はそれに気付かず、まだ夢中でキノコと
「えいっ! このっ! ふぅ、もう少しなんだけどな……」
「あ、アルセムっ! 何か変なのっ!」
「ちょっと待てよ、ロズリー。多分もうすぐいける。けっこう良いところまで来てるんだ。ここでやめられないって」
「違うのっ! 聞いてっ!」
「よし、そろそろ……ん? あれ?」
しゅるしゅると、キノコから寄生の触手が伸びる。その狙いは、自分を引っこ抜こうとしているロズリー姫の右手。
ものの数秒のうちに、ロズリー姫の手には触手が絡み付いた。そして、もう逃がすまいとガッチリ固定した。
「うわっ!? マズいっ!」
「アルセム、もういいっ! わたしから離れてっ!」
「そうしたいけど、離れられないんだよっ! おれの手にも絡み付いてきてっ!」
「さ、さっきから体が変なのっ! これ以上は、わたし、おかしくなりそうっ! もうやめてっ!」
「やめてるって! もう掴んでないっ! ただ、手がくっついてるんだっ!」
騒ぐアルセムと、喚くロズリー姫。
キノコは自らの存在を主張し始め、ブブブ……と小さく振動しだした。宿主の肉体に
「ダメっ……。そんなに、震わせないでっ……」
少年騎士アルセムは、少女のような情けない声を出しながら、いっそう強く目をつぶった。
「何かっ……出そうっ……。やめてっ、出したくないっ」
「落ち着け、ロズリーっ! 気持ちを
ビクンと脈打ち、どんどん何かを蓄えていくキノコ。その先がどうなるか知っているからこそ、ロズリー姫は
しかし、我慢の限界が来る。
「あっ、あっ……。わ、わたしっ、もう……無理っ……」
「ロズリー! ダメだっ!!」
「出ちゃうっ……」
ボフンッ。
「えっ……?」
キノコの開いた笠の裏から、青いガスのような気体の
「うっ……! けほけほっ! なんだ、これっ! 変な臭いがするっ……! げほっ……!」
想像とは違うものが、想像とは違う場所から出た。
悪臭に耐えかね、ロズリー姫は顔を遠ざけつつ、自分の手で口や鼻を塞ごうとした。触手が絡み付いている右手を、グッと強く引っ張って。
「ましゅーっ!?」
すぽんっ。
「うおっ! 取れたっ!?」
キノコが引っこ抜けた。それと同時に、マシュルンの寄生状態が解け、元の小さい女の子ような妖精の姿に戻った。ズボンから飛び出したマシュルンは、宙を舞った後、床をぽいんと跳ねた。
「や、やった! ロズリー、取れたぞっ! よかったな! ほら、見てみろっ!」
偶然にも、目的は達成。
ロズリー姫は喜んでアルセムを見上げた。が……。
「すんっ……。ぐすんっ……」
アルセムはすでに目を開けていた。そして、
「ロズリー? ど、どうして泣いてるんだ?」
「わたし、やめてって言ったのに……」
「えっ!? いや、あれはキノコのせいでっ!」
「ううぅ……。やだっ。もう、こんなの……」
「仕方なかったんだよ! でも、もう取れたしっ!」
「アルセムのせい。全部。アルセムなんて嫌い……!」
「はあ!? 元はお前が連れてきた魔物だろ。なんでおれのせいに」
少女の言葉を遮さえぎるように、少年は叫んだ。
「出ていって!!! この部屋からっ!!!」
*
「はー……」
きらびやかなプリンセスルームから、エレガントなお姫様が追い出された。
しかし、他に行く宛あてもないので、ロズリー姫はふてぶてしく腕を組みながら、か弱い少年騎士が泣き止む時を部屋の外で待っていた。
「なんだよあいつ。せっかく取ってやったのにさ」
別に「おれ」は何も悪いことしてないのに、と。部屋から追い出されてしばらくの間は、
「……!」
しかし、扉の向こうから悲痛なすすり泣きが聞こえてくると、心の中は反省へと移り変わっていった。
(いや、さすがに辛いだろうな……。ロズリーは女だし、お姫様だし、男の体で恥ずかしい姿を晒すことになってしまったのは……やっぱり耐えられないか)
さらに、自分が言うべき言葉も探していた。
(まずはごめん、かな……。おれがすぐにやめていれば、あんなことにはならなかったし)
そうして悩んでいるうちに、いつの間にか、すすり泣く声は消えていた。そして、少し無音の時間があった後……。
「……アルセム」
ポツリと。
扉の向こうから、声が聞こえた。
「ロズリー!?」
「護衛騎士アルセム」
「おい、大丈夫か!? さっきはごめん! まさか、あんなことになるとは思わなかったんだ! いや、お前にとってはショックなことだったよな!?」
「お入りになって。あなたにお話があります」
「お前、その口調……!」
気品のある、お姫様としての言葉遣い。声のトーンは
扉の奥にいる少年は、「お前は護衛騎士として部屋に入って来い」と、外にいる少女に向けて言っている。
「わ、分かりました。ロズリー姫様」
*
「……」
「……」
重い空気。静寂に
(ロズリー、怒ってるのかな。うぐぐ……何を考えてる顔なんだ、あれは……)
タラリと、冷や汗が垂れる。ロズリー姫はひどく緊張して、呼吸も上手くできていなかった。しっかり反省をしているので、いっそ大きな声で怒鳴ってくれとさえ思っていた。
しかしアルセムは、怒鳴ったりせずに静かに口を開いた。
「ハグ、しませんか?」
「えっ……!? ハグ!?」
抱き合うこと。
「ええ。そちらから来ていただけるかしら?」
「おれがお前に、ハグするってこと……ですか!?」
本来なら、すぐに断っている。「護衛騎士と姫」は、そういう
しかし、今は負い目がある。この流れでは、拒否することはできない。
「わ、分かりました。姫様の
一歩ずつ、相手に近づく。
そして一番近くまで来ると、最後は勢いに任せて、目の前にいる少年をぎゅっと抱きしめた。
「こ、こういう感じ、ですか?」
「ええ……」
体が密着する。ロズリーの大きな胸が、アルセムの硬い胸板に、むにっと押し当てられる。
こちらからは抱いた。あとは向こうから抱かれるだけ。ロズリーはドキドキしながら目をつぶり、その時を待った。
「ん!?」
む、ぎゅーっ!!!
ハグにしては強すぎる。
(うわっ、なんだ!? ロズリーのやつ、やけに力を入れてるな……! 体が入れ替わってるせいか……?)
ロズリー姫は驚いて目を大きく開き、その強いハグの原因を分析した。
男女の筋力の違いなのか、それとも感情が
「もう逃がしませんっ……!」
アルセムは、ロズリー姫を
「え!? ちょ、ちょっと、待っ」
「じっとして。すぐに終わりますから」
「お、終わるって、何が!?」
「ほら、そちらをご覧になって」
「ま、マシュルン!? さっきおれが取ってやったやつだろ!?」
「ええ。取ってくれてありがとう。わたくしに、あんな
「お前、やっぱりまだ怒ってるのか……?」
「お礼に、同じ気持ちを味わわせてあげますわ。どうやら魔物さんも、あなたの体に寄生したいようだし」
「なっ……!?」
小さな魔物はフリルをめくり上げ、プリンセスドレスのスカートのなかへと侵入した。そのままモゾモゾと進み、ロズリー姫の左脚へと到着すると、今度はその脚を登り始めた。
「ヤバいっ! マシュルンが、おれにっ!」
「暴れないでください。ちゃんとその体で、魔物さんを受け入れて」
「ふ、ふざけるなっ! そんなの嫌だっ! 離せよ、ロズリー!!」
「これで平等でしょう? わたくしとアルセムは、お互いの体をもっとよく知らないと」
「やめろっ!!」
ジタバタと暴れても、少女の体では少年の
そして、ついに……。
「う゛っ……!?」
入ってきてしまった。その場所にとっては、ずいぶん太くて大きなキノコが。
(そ、そんな……ところに……)
一瞬、ヒヤリと心臓が冷える。
痛みや快感より先に、背中がゾワッとするような気持ち悪さに貫かれた。
そして、指先や口元の筋肉がフワッと
「あっ……」
ビクンと体が動く。太ももにキノコの笠が触れ、ドレスのスカートのなかの状況が、宿主であるロズリー姫にも明確に伝わった。
侵入してきたのは、キノコの胴体部分。つまり、開いた笠の部分は体外に出ている。
「う、ウソだろ……。こ、こんなこと……」
「間違いなく、あなたの体で起こっていることですからね。女性になるということが、ご理解いただけまして?」
「はぁ、はぁ……そんなっ……」
少年は腕の力を緩め、拘束を解いた。
少女は解き放たれたが、慣れない感覚に上手く立つことすらできず、ペタンと床にへたりこんでしまった。
「と、取って……くれ……。頼む……」
「いいえ、取ってあげません。あなたは魔物さんの生態にお詳しいみたいですし、自力で取ってみてはいかがかしら? キノコを愛した……変態王女様」
「おれが……変態王女……? やめてくれ、そんなこと言うのは……! ちゃんと謝るから、許してくれ……!」
「もちろん、許してあげてもいいですけど。アルセムが最後まで、わたくしの護衛騎士でいてくれるのなら」
「どういう……意味だ……!?」
そして護衛騎士アルセムは、ロズリー姫に背を向けて語った。
「わたくしの名誉をお守りなさい。常に誰に見られても恥ずかしくない、『ロズリー姫』でいて。間違っても、
「何事もないように振る舞え、と!? マシュルンに寄生されてることを、他の誰にも知られるなと言うのですか!?」
「わたくしの護衛騎士なら、わたくしの名誉くらいは守っていただかないと。できないとは言わせませんわ。わたくしたちは、お互いに信頼し合っているのでしょう?」
「うっ……。そ、その言葉は……。いや、でも、万が一ってこともあるだろ!? そうなってもいいのか!? お前の体なんだぞ!!」
「別にそれでも構いませんわ。どうせわたくしは……わたしなんか、第四王女だし」
「な、何だよそれっ……!」
「アルセムがその体を大事にしてくれないなら、もうロズリー姫は終わり、ということです」
「おい、待てっ! はぁ、はぁ……まだ話は、終わってないっ……! 行くな、ロズリー!!」
「ふふっ。それでは、ごきげんよう」
少年騎士は振り返ることなく、そのまま部屋を出た。腰が抜けて、まだ立ち上がることすらできないお姫様を、そこに置き去りにして。
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