片割れのイヤリング

@idahoi0919

片割れのイヤリング

「久しぶりに来たけど、なんか雰囲気変わったねー」

 109に足を踏み入れたのと同時に、ヒカルは感嘆のため息を漏らした。

「変わるでしょ、そりゃ」

 端的に事実を述べると、がくりと彼女は肩を落とす。

「なんか切なくなってきちゃった」

 眉尻を下げながら、ヒカルはエスカレーターの方へと足を延ばす。

「何、どこ行こうとしてんの」

「え? CECILだけど」

「そこも閉店したって」

「ええぇーっ!」

 耳の奥にキンとくる大声で、ヒカルはあふれ出る驚きを露わにした。

「うそー、うわ、マジで泣きそうなんですけどーっ!」

 うなだれたヒカルの右耳には、ハート形のイヤリングがぶら下がっている。私は左耳に手を伸ばし、片割れのそれを指先で触れてみた。

 片割れを渡し合ったイヤリングには、特別な意味がある。

 小学校五年生の頃、なけなしのお小遣いを握り締め私達は109のCECILにやってきた。そして私達は、このイヤリングに一目ぼれをした。だけど、お揃いで買う持ち合わせなど無く、お金を出し合って一対のそれを購入し分け合ったのだ。

 鮮明に残っているその記憶を思い返していると、ヒカルが私の顔を正面から覗き込んだ。にや~っとした気持ちの悪い笑みは、「あなたの胸中、筒抜けですよ」と同義であった。

「まぁ、いっか。思い出はなくならないしね」

 こぼれ落ちそうな笑顔を浮かべながら、ヒカルが私の肩を抱く。

「だといいけど」

 視線を逸らしてそう言うと、ゆっくりとしたエスカレーターが私達を二階に運んでいた。

 跡地に行くのかと思いきや、上りと下りの狭間でヒカルは立ち止まってしまった。

「なくなってるものを確認するエネルギーはないや」

 そう言って私の腕を引き、ヒカルは真横にある下りエスカレーターに足を乗っける。

「お茶しにいこ」

 唐突な提案に、私はため息をつく。これは、彼女だけに通じる肯定の意。どこへでもお供しますよ、の代わりなのだ。


 道玄坂のロイヤルホストは、喧騒に波がある。日によってゆるやかだったり急だったり、まるで先の見えない坂道みたいで、私はとても気に入っている。

「ごめん。もう、お腹いっぱいだわー」

 ずずずと、ロイヤルファッジサンデーがこちらに向かってやって来る。チョコアイスが乗っかったままのスプーンを手に取り、私は生クリームをすくいとった。

「んま」

「くそーっ。ぺろっといけたあの日は、もう戻らぬのか…っ!」

「戻らないね、もう二度と」

「悲しいこと言うなしっ」

 芝居がかった仕草でヒカルがテーブルに突っ伏す。ヒカルはその体勢のまま、「ごめん」と、聞かせる気のないセリフを吐いた。

「いいよ、私は全然いけるし」

 スプーンを進ませながらそう言うと、

「…違う、もっと別のこと」

 今度は聞かせる気満々で、ヒカルが私の目を見る。私はその視線を、受け取ったふりで左に流した。

「もう、ぼちぼち時間だね」

 上映時間が迫っていることを告げると、ヒカルの上半身がびくりと跳ねた。そ

「お手柔らかにお願いします」

 眉間にしわをよせたその顔が面白くて、私はその口に無理矢理アイスをねじ込んだ。


 ゆるやかな坂を登った先に、その映画館はある。一階がイベントスペースで、二階が映画館になっている単館系の映画館だ。そして今は、記念すべきヒカルの初出演作が上映されている。

「あんたは観たの?」

「観てないよ、試写に呼ばれるような役じゃないし」

「実は真犯人だったりして」

「だったら最高だね」

 券売機でチケットを買い、薄暗い劇場に足を踏み入れる。シートに腰を沈めると、唐突に予告編が始まった。本篇が始まると、内容の把握もそこそこに私はヒカルの登場を今か今かと待った。


『この辺りで、この男を見かけませんでしたか?』

『さぁ……』


 やっと出てきた。

 連続殺人事件の犯人を追う刑事に話しかけられるという、よくある場面のよくいるヤンチャな女の役だった。ヒカルの後頭部越しに、刑事が持っていた写真をフォーカスしていたので、ろくに顔もわからない。

 ひとつ空いた右側の席に視線を移すと、彼女の口ははっきりと「もうでない」と言っていた。それがおかしくて、ついうっかり「ぶはっ」と吹き出してしまう。

 作品と関係のない反応に、観客達は敏感だ。見えない視線を八方から感じ、咳払いでその場をなんとか取り繕った。


「あのこはさ、7つ下のヒモ男と暮らしてるんだけど。実はその二人、血がつながってるんだよ」

 聞いてもいない裏設定を、ヒカルは矢継ぎ早にしゃべっている。

「どうしようもないクズで、金食い虫以外の何者でもないんだけど、なぜか手離せないんだよね~」

「そんな彼女の葛藤が、あの『さぁ』に凝縮されてたわけだ」

「そうなのよ~。塩梅むつかしかった~」

「ねぇ、次は? なんか撮ってたりしてるの?」

 何の気なしに訊ねると、涼し気なヒカルの目元がくるっと丸くなった。

「え? ないよ、あるわけないじゃん」

「何、辞めたの? もったいなくない?」

 金輪際、スクリーンにヒカルが映し出されることがないなんて。由々しき事態だと思った。

「役者の世界のこととか全然わかんないけどさ、続けられるだけ続けたほうがいいんじゃない? さっきみたいな役でもさ、あんたがやると、ほんとに実の弟ヒモにしてんのかなとか、思えるもん」

 早口になっている自分に若干引きつつも、私は自身の思いを伝えた。

「ま、もちろん、そのつもりでいたけどさ…」

 ヒカルは、困ったような笑みを浮かべている。その笑みに、私はくすんだ苛立ちを覚えた。

それを消すために、なんでだ、どうしてだと追及すべきだ。だがその答えは、私達のこれからにとてつもない不都合をもたらす気がした。

「あれ」

「ん?」

 ヒカルの右耳にぶら下がっていたイヤリングが、いつの間にか消えている。

「落としたんじゃない?」

「え?」

 なんのことだと、ヒカルはあからさまに困惑している。

「だから…」と説明しようとしたが、それがひどく煩わしい。私は早々に説明を放棄し、もと来た道を引き返していった。

「待ってよ」

どこかに落ちているはずのそれを、早く、見つけなければ。


 映画館、ロイホ、109を巡ったが、イヤリングの落とし物は届いていなかった。一縷の望みをかけて交番に向かい、私は事情を話した。

 しかし、交番の巡査は、なぜか腑に落ちない顔をしている。

「えぇと…そのイヤリングが、もう一組あるってことですかね?」

「もう一組…? いえ、違います。私が付けてるやつの、もう片方です」

「あの、付いてるのとは違うんですか?」

「え?」

 おそるおそる、私は右の耳たぶに手を伸ばす。そこには、ヒカルの右耳に付いていたはずのイヤリングがあった。それに触れたまま、私は外で待っているはずのヒカルを探した。

「ヒカル、ヒカル!」

 張り上げたところで、声は雑踏と足音に吸い込まれるだけだった。でも、そのどれかに、きっとヒカルが混ざっているはずだ。

「どこ! ねぇ!」

 子供のころから大人になるまで、ずっと一緒にいた友達を探す。どこかに行こうとしている人、帰ろうとしている人、全員を引き留めてやりたいぐらいだった。

「落としましたよ」

 ふと、すべてのノイズが消え去る。そして、「チカ」という声だけが、脳の真ん中に響いた。私の名を呼ぶ声に振り向くと、ヒカルが笑っていた。

「ほんとに落としてどうすんの」

 ほれと、私の手のひらにイヤリングを落とす。

「ごめん」

「できれば、なくさないでほしい。ま、約束はしなくていいけど」

「うん、ごめん」

「じゃあ、今日のところはここでバイバイだね」

「あんたは? 帰るの?」

「うーん、もうちょっとブラブラしてから、出発しよっかな」

「そっか、わかった」

 それぞれの行先を確認したら、あとは見送るだけ。地味に重要なのは、どちらが見送る側になるかだ。

「じゃ、行くね」

 見送る側になるのは、どうやら私の方らしい。

「ばいばーい」

 来週もこの場所で、みたいなテンションで彼女がスクランブル交差点の方へと歩いていく。その背中はすぐに見えなくなり、やがて消えた。私は両手の人差し指で、揺れるイヤリングを軽くもてあそんでみた。

 さて、帰るか。

 また来るよ。心の中でそう呟きながら、私はJRの改札口へと足を踏み出したのだった。

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