第22.5話 独白④(長崎の少女視点)【2022/12/14 加筆修正】

 翌日のこと。

 夜遅くから降り始めた土砂降りの雨は、朝になっても当然のように降り続いている。私はそんな雨中を構わずに歩き出した。向かうのは山上さんじょうの家だ。お役御免やくごめんだと伝えられていたとしても、彼に会いたいと思った。

 理由は自分でもよくわからない。

 ただ一分一秒を惜しむ気持ちで足を動かす。

 雨を吸った両足はまるで鉛のように重たい。


 家へと到着すると、そこに彼の姿はない。

 家の中はもぬけのからだった。もしかしなくても出かけただけだろう。しかし無性むしょうに不安になってしまう。彼はどこへと行ってしまったのか。私はあせる気持ちに流されて外へ飛び出そうかとしてしまう。すると庭先にあるガレージの明かりがともされていることに気がついた。

 雨ガッパのまま向かうと、はたして彼はそこにいた。

 ガレージの地面に座り込んでしまい、なにやら作業をしている。こちらには気づいた様子がない。しばらく黙って見ていると、彼は呑気のんきに鼻歌なんてものをし始めだした。

 少々、カチンとくる。

 長崎は今日も雨だった?

 ええ、そうですよ。全身ずぶ濡れになるほどの大雨だよ。


「佐藤さん、怒るよ」

「なんで!?」


 苛立いらだちまぎれに声をかけると、おどけたような反応がある。そんな彼のいつもの様子に、不覚ふかくにもホッと安堵してしまった自分が悔しい。


「あれ、どうしたの?」

「別に。暇だったから」


 彼はそれ以上深く理由を尋ねてこない。ただ雨に濡れた私を気遣って、お風呂を沸かしてくれた。私はその心遣いを受け取ることにして、素直に湯船にかった。

 熱いお湯に浸かっていると、いくぶんか気持ちも楽になってくる。ふうと息を吐くと、熱い吐息とともに、つっかえていた心のわだかまりも少しは抜けていく気がした。それでもまだ、いつもの調子は取り戻せそうにない。これではいけないと大仰おおぎょうに首を振る。彼の前では、いつも明るい妹分でありたいと思っているのに。


「……しまった」

 

 お風呂から上がると失敗をしたことに気づく。

 着る服がないのだ。

 正確には彼の前へと出ていけるような服がない。ここは祖父母の家であるから、替えの服は確かにある。しかしそれは、なんなら家族で共用をしてしまうような、よれたズボンと上着だけなのだ。とてもではないが格好つけて人に見せつけるものではない。なんなら気の知れた友人たちにすら見られたくはない姿だった。それをよりによって彼に見られる。考えたくない出来事だ。さりとて濡れたままの服をもう一度着るわけにはいかず、私は渋々とそれを着ることになる。


 姿見すがたみを覗いてみると、かざりつけもしない、ただの私がそこにいる。


 こんなちんちくりんな姿を彼にどう思われるか、想像すると憂鬱な気分になる。そんなふうに重いため息をつきながら脱衣所を出る。するとダイニングテーブルの上に一杯のカップがあることに気づいた。ホットミルクだった。周りを見渡してみても彼の姿はない、どうやらガレージへと戻ってしまったようだ。そうなるとこの一杯は私のために用意されたと考えてもよさそうである。


「まったくもう。なにも言わないのが格好いいと思ってる」


 思わず口をついて出る。

 彼はたまにこういうキザな行為をしたがる。ときにおぼこな私をからかっているのではないかと邪推じゃすいしてしまうこともあるが、総じて私の心は温まってしまうのだから小憎こにくたらしい。

 湯気をたてるカップへと口をつけて身体を温めながら、私は台所から片手鍋を取り出す。どうやら電子レンジでチンしただけのホットミルクを味わっていると、不満が出てきてしまった。温冷おんれいがまばらになっているし、表面に膜もついている。ミルクパンとの違いを教えてやる。


 調理を終えた私は、彼の分のホットミルクをたずさえてガレージへと戻る。彼は相変わらず作業場に座りこんで、カチャカチャとしていた。


「何してるの?」

「自転車の修理」


 尋ねるとそう答えられた。

 それはなんとまあ奇特きとくなことをするものだとは思ったが、そのことにはれずにホットミルクを手渡す。カップを押し付けるようなカタチになってしまった。今の自分の格好というものが気恥ずかしくて仕方なかったからだ。にも関わらず彼は「ありがとう」と言ってくれる。その台詞は私こそがするべきだった。

 彼の視線を追ってみる。

 もしかしたらこんな私の姿でも、彼はドキリとしてくれるのではないか。そんなふうに期待の気持ちをもって彼の眼を見てみたが、プイと外される。彼はそのまま私の方を一顧いっこだにすることはなかった。どうやら修理作業を優先されてしまったようだ。

 自転車に負けてしまった。

 女の魅力にとぼしいおのれうらむ。


「──でも自転車なんて誰も乗れないよ」

「へ?」


 そんなくやしさもあってか、つい自転車を修理することの意義について言及してしまう。そして改めて長崎の御国事情おくにじじょうというものを説明した。自転車なんて物はここでは稀物まれものだ。彼は目を丸くして驚いていたが、それでも興味が失せることはなかったようで、作業を中断することはなかった。

 モノを直すことも男の趣味しゅみうちなんだと彼は言う。

 そんなものなのかと、なんとなく納得した。


 それからは互いにモノを言うことはない。彼は自転車の修理に没頭していたし、私はそんな彼の姿を見つめ続ける。

 彼の手際てぎわは見事であった。止まらない手捌てさばきはれを感じさせて、正直なところ格好良かった。だからずっと見ていれた。精神を集中させ、一点を見据みすえ続ける彼の瞳を見ているだけで、胸のどこかが締め付けられるような感覚を覚えるのだ。

 耳にはただ、ざあざあという雨の音とカチャカチャと工具が鳴る音だけが響く。そんな時間だけが刻々と過ぎていく。


 この時間がいつまでも続けば良いのになぁ。


 ふと、そんなことを考えた。

 もう自分を偽ることはできそうにない。今まであれやこれやと理由をつけて、その感情から眼をそらし続けていた。だが、もう誤魔化すことができないところにまで来ている。私は彼にかれている。

 それを自覚すると、ついにタガが外れた。


「佐藤さん、あのさ──『外』の世界ってやっぱり楽しいの?」


 気がつくと私は、自分でも自分がわからなくなる言葉を発していた。溢れでる衝動しょうどうのまま、抑えきれない気持ちを彼へとぶちまけてしまっていた。きっとおかなしなこともたくさん言っただろう。

 私は暴走していた。

 だから、これではいけないと無理やりにでも心を落ち着けた。このままでは致命的ちめいてきな言葉を彼へと投げつけてしまう。それだけはなんとか踏み留まらなければならない。私が深呼吸をして「ごめんね、急にこんな話をして」と謝ると、彼は「いいよ、大丈夫だ」と首を振った。


「本当はさ、佐藤さんに聞きたかったのはこんな話じゃないんだ。ないんだけど──色々と抑えきれなくなっちゃった」


 そうなのだ。私が彼に本当に聞きたいことは、こんな話ではなかった。

 それは私の心からの気持ち。

 どうか届くのであればという、あわくて無遠慮な、お願いの言葉。


「佐藤さんに聞きたかったのはさ──」


 ねえ、佐藤さん。

 『外』の世界ってやっぱり楽しいの?

 私は嫌だよ。佐藤さんには、ずっとここにいて欲しいよ。

 だって、私には『外』に出る勇気なんてないから。

 お姉ちゃんみたいに奔放ほんぽうに、佐藤さんみたいに果敢かかんに、世の中を渡っていけるわけがない。

 それでもあなたがいてくれるなら。

 私だって『外』の世界に、『旅』に出る勇気が持てると思う。

 だからさ、隣においてよ。

 他の誰でもない、私を。


 ──そんなこと、言えるわけがなかった。



 そうして私は、とりとめのない言葉たちを語り終える。

 それは終始においてまとまりがなく、何が言いたいのかよく分からない話になった。まるで核心をつきもしない世迷いごとだった。

 当たり前だ。

 私の本心はついぞ、グッと胸の内に抑え込んでしまっているのだから。

 そこにはなんの意味もない。夢見がちな少女がポワポワと空想を語っただけ。彼にとっては、ただ苦笑して流すことしかできないモノだったであろう。

 

 だというのに彼は、笑いもせず、苦味にがみも見せない。ただ真剣に何事かを思いめぐらせていた。そうしてしばらく、考え込むような様子を見せたかと思うと、やがて私にこう尋ねてくる。


「田中ちゃん。自転車に乗ってみる気はある?」


 私が言えることじゃないかもしれないが、この人も大概たいがいわけのわからないことを言う人だ。そんな風に笑ってしまった。

 ガレージの入り口から光が差し込んでくる。

 どうやら雲の隙間から太陽がのぞいているようだった。

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