第22話 独白③(長崎の少女視点)【改稿済み】

 実のところ、その日のことは記憶が曖昧あいまいなところがある。

 彼を迎えての食事会、その当日のことだ。


 とても楽しかったのだ。


 私の家に、私の家族と彼がいる。

 豪勢な食事に、ほがらかな雰囲気。みんなが和気藹々わきあいあいと歓談する様子は喜びに溢れており、そんな中で私は料理の腕をふるっていた。

 並ぶご馳走ちそうの多くはおばあちゃんの料理だったが、私はその中にみずからの自信作を紛れ込ませていた。ドキドキしながら待っていると、ついにそれを彼が手に取る。そうして一口、はしをつけると彼はすごい勢いで頬張ほおばり始めた。まるで齧歯類げっしるいのようだった。そんな彼の姿を見たとき、私は吹き出してしまった。ひとしきり笑い転げた後は、ただただ嬉しかった。料理の勉強をしてきた甲斐があったと思った。幸せの光景とはこういうモノなのかと夢想して、私は大袈裟おおげさだと恥ずかしくなった。

 そんな晩餐ばんさんであったものだから、私はその日において何をしたのか話したのか、記憶の中にぽんやりとしているところが確かにある。けれど、その日の記憶を曖昧にさせた最大の原因は他にあった。

 その一言は、その日にあった出来事すべてを吹き飛ばしてしまった。


「ああ、田中ちゃん。明日の観光なんだけど、お休みにしようか」

「え、なんで?」

「明日は午前中ずっと土砂降りの雨らしい。そんな中で連れ回すのは気がひけるしな」

「えー、べつに構わないのに」


 彼がかけてくる言葉に、私はもっと遊びたいのだとぶうたれるような口を返す。なんだか声がうわずってしまい、びるようなひびきになってしまった。いつもの私であれば顔をしかめてしまうような失態であるが、今日ばかりはかまわないと思ってしまう。それほどまでに私は浮かれきっていた。


「まあ、そう言うない。それに明日はしておきたいことがある」

「ん、なになに。佐藤さんは何をしたいって言うのかな?」


 なんならお手伝いしてあげよう、そう思って口にした言葉だった。思い返しても嫌になる。私は本当に浮わついていた。すぐ後に、そんな浮かれポンチな自分を恥じることになるとは気付かずに。

 そして彼は何気ない様子で、その一言ひとことを放ったのだ。


「うん。に向かう計画をたてようと思ってさ」

「ぇ……」


 冷や水を浴びせるという表現が日本語にはあるが、的を射た言葉だと体感した。その言葉は、痛いほど冷たい水のように、私の体のしん強張こわばらせた。先ほどまでの温かい微熱は、一気に失くなってしまった。


 私は何を馬鹿なことを。


 真っ先にそんな言葉が思い浮かんだ。

 最初からわかっていることだった。

 彼は『旅人』である。

 この地に根ざした人物ではない、異邦人いほうじんだ。

 いつかは離れていなくなる……そんな人であったのだから。

 馬鹿な私はそんな当然のことを都合よく忘れていた。


 それから先の出来事は本当に記憶にない。

 私はただ、いつもの自分を演じる機械人形になってしまったから。まるで糸にひかれて踊りまわる傀儡人形マリオネットだった。そんな滑稽こっけいな人形劇を見て、笑う観客なんて一人もいなかった。


 けれどグルグルと回る思考の中で、ただ一つだけ理解できたことがある。


 私はよく『外』の世界について気にしていた、『外』の世界にはどんな光景があるのだろうと空想していた。その理由が判明したのだ。

 あこがれているのだと思っていた。しかし結局のところ、私は外界がいかいになんて欠片ほども魅力を感じていなかった。

 ただ彼が、彼こそが、『外』の世界からやってきた。

 それだけのことだった。

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