第109話 エピローグ④

「あ、恩といえば佐藤さん──」


 渡辺くんが思い出したかのように報告してくる。


「気にしなくてもいいのに」

「そんなわけにはいきません」


 それは彼に譲与した当たりくじについて、返却する目処めどがついたということだった。なんでも被害者の会を立ち上げたことによって事件解決の経費について色々と融通ゆうずうがきくようになったという。


「なんのお話?」


 めざとく山本さんが食いついてくる。なので俺が宝くじを当て、それを彼に譲り渡したという話をすると「それっていくらぐらい?」と聞かれる。正直に答えると、彼女は目をパチクリとさせて驚いていた。


「ここにいるみんなでパーティしても使い切れそうにないじゃない」

「あ、それいいですね」


 元々が泡銭あぶくぜになのである。どのようにして使い切るかと悩んでいたくらいなので、山本さんの言うようにお世話になった人たちのために使ってしまうのも悪くないようなが気がした。

 いつかまた、この場にいる全員で集まれる口実にもなるし。

 そのように提言してみると「それは素敵だし楽しそうだけれど、無理はしないように」と山本さんからたしなめられた。

 確かに刹那的な金の使い方である。だが、俺としては有意義な使用法だと感じたので真面目に検討することにしよう。


「あーだったら、そんときは彼女らも呼んでいいっすか?」

「彼女ら?」


 すると伊藤くんが彼にしては歯切れ悪く言う。

 追求してみると、彼は自らの彼女も一緒に集まりたいと言った。彼の新しい彼女というのは初耳であるが、その人物には心当たりがある。


「まさか広島の?」

「そっす。ちょい恥ずかしっすね」

「なるほどねぇ」


 肯定されて感心してしまう。

 そして旅先で出会った三人の女性たちの姿を思い出した。確かにまた遊ぼうと約束した仲であるし、集まれる機会があれば是非とも再会したい友人たちだ。会わない理由はない。

 

「楽しみだな」

「そうそう。佐藤さんってば、骨抜きにされてましたからね」

「ん、なになに?」


 渡辺くんが当時の思い出を振り返るように言うと、山本さんが問いただす。俺は特に考えもせず、楽しい気分のままに詳細を語った。


 おもだって語るのは俺が広島で出会ったピアスの女性についてだ。

 どれほどに俺が彼女に救われたか。

 いかにして彼女のその立ち振る舞いに心酔したのかということを語る。

 彼女は俺の天使様だ。

 そのように布教ふきょうにつとめたのであるが、ふと気づく。

 

 周囲が沈黙に包まれていた。

 はて? 少々調子良く語り切ってしまったが、そこまで変な話ではないはずだった。ちょっとしたオフザケの延長であるし、心に余裕のある大人ならば冗談だと流してくれるくらいのジョークだったつもりだ。

 それなのに彼らの顔をみると、全員が苦笑するように引きつった表情を俺に向けている。そんな中で、山本さんだけが愉快なものを見つけたというように顔を輝かせていた。


「えっと……って、うわ」


 突然、後方より強い力が加わる。

 両肩がガシリと掴まれていた。

 そして何が何やら分からない俺の両耳に、二つのささやきがある。


「佐藤くん?」

「佐藤さん?」


 しまった。

 冗談だと流してくれない、心に余裕のない人たちがいた。

 どうやら現実を直視したくないがゆえに必死に目をらし続けていたならば、すっかりと忘却の彼方へと追いやってしまっていたらしい。


「広島……もしかしてナンパ?」

「ナパッ──佐藤さんっ。そんな話、私聞いてないんだけどっ!!」


 肩にかかる圧力がギリギリと強められていく。まるで万力まんりきにかけられているようだ。振り返りたくとも後方を確認することができない。いやまず振り返りたくなどない。


「よし落ち着け、話せばわかる。話せばわかるぞ」


 必死に呼びかけて説得を試みる。一気呵成いっきかせい弁明べんめいするつもりだったが、横合いから絶妙な間をついて言葉が挟まれた。


「そういえばウチの義妹いもうとも佐藤くんに会いたがってるわ。佐藤くんのために手製の菓子を用意して待ってるって、いつ会ってくれるの?」

「どうしてそれを今言うのっ!?」

「さあ、何ででしょうー?」


 悪びれもなく事態を引っ掻きまわすのは山本さん。彼女は肩がひん曲がってしまうのではないかと危ぶまれる俺を見て、ケラケラと笑っていた。

 鈴木は憮然ぶぜんしているし、田中ちゃんのお義兄にいさんは苦笑して静観している。伊藤くんと渡辺くんも山本さんと同様に、面白そうにこちらを見ているだけだ。

 まったく頼りなるものがいない。

 高橋の声が間近に聞こえてきた。


「大丈夫だよ佐藤くん、ずっと一緒だものね」


 こわいこわいっ!

 今まで聞いたこともないような彼女の声音こわねに恐怖をビンビンと感じながら、俺は思考した。


 どうして俺は今、このような危機に陥っているのか。

 わからない。

 はなはだだ疑問である。

 しかし原因はわからないながらも、何かしらの対処をしなければ窮地きゅうちを脱することができないことはわかる。

 三十六計逃げるにしかず。

 いかに正当な大義名分がこちらにあろうとも、まずは目先の危難からのがれなければ話にならないのである。


 したがって俺が取るべき手段は緊急退避グレイトエスケイプ

 こんなときは尻尾しっぽ巻いて逃げろと、きっとスナフキンも言っている。


 俺は叫んだ。


「俺は旅にでるっ!」

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