第104話 みんなで恋だ愛だと騒いだ日⑬

 曇天どんてんの空の下。

 辺りは時間が経つにつれ徐々に月光の力強さが増し、静かで味のあるよいへとさしかかってきた。朧月夜おぼろづきよ。それはそれでなんとも風流なモノの一つである。しかしそんな中で俺たちといえば、とてもではないがシミジミとした優雅な時間なんてものは過ごしていなかった。


 とにかく慌ただしい。


 なにせ若い娘の簀巻すまきをかついで逃げる男と、それを嬉々として追いかける集団という構図である。

 まるで漫画だ。

 はたから見れば滑稽こっけいな喜劇のように見られたかもしれないが、当人としてはたまったものではない。


「なんなんだこれは」


 ぼやくしかないが、それで状況なんて変わらない。とにかく目先の危機を回避するためにこそ大学構内を疾走するしかなかった。


 途中で多くと接敵せってきした。

 奴らは揃いも揃って手にカメラを装備している。いったいどんなを写真におさめるつもりなのかはわからないが、俺にとって小っ恥ずかしいものになることだけは間違いないだろう。

 全力で逃げる。

 本来であれば人を一人、担ぎ上げているこちらが不利なことは間違いない。だが相手がおふざけで本気でないこと、そして俺がキャンパス内の裏道を駆使して逃走することにより、状況は均衡きんこうしていた。

 ときに学生の誰もが知らない秘密の裏口をくぐり抜け、ときに防空壕かと問いたくなるような地下施設に入り込み、やり過ごす。

 何故なにゆえに俺が大学構内の裏道事情に詳しいかというと、とある先輩による影響である。その風変わりな先輩に心内で感謝の念を送りつつ、俺はついに追っ手を振り切る。けれど相手は散開してこちらを探しているようで、いつ誰に見つかってしまってもおかしくない状況にあることは変わらない。


「ひとまずは、ここにっ」


 それなので一つの講義棟へと避難する。

 通常であればセンサーが反応して警備会社に通報されてしまうが、その棟だけは通年においてセキリュティが切れていることを把握していた。どこぞかの教授が起動させるのを面倒くさがって常態化してしまったらしい。セキリティの穴とはこのように実にしょうもない理由で発生する。


「だっ大丈夫なのかな、勝手に入って」

「大丈夫だよ」

「佐藤くんはなんでそんなこと知ってるの?」

「トラ先輩と夜通し徘徊はいかいしたからな」

「佐藤くん……」


 高橋から呆れたような視線を感じるが、気にしないことにする。酔って勝手に不法侵入をしでかしたのは先輩の方であり、俺はそれを押しとどめていたという大義名分がある。つまり諸悪の根源は先輩にあり、俺は悪くない。


「とにかく、この棟ならちょっとやそっとで見つかることはないから──まずはその縄をほどこう」

「そうしてくれると嬉しいかも」


 いまだに荒縄により拘束されている高橋を見て口にする。しかし棟内の廊下は薄暗くて細かい作業をするには不向きであった、かといって電灯をつけてしまうこともはばかられる。仕方ないので場所を変えることになった。


「どこに行くの?」

「ちょっと手元が明るそうなところにな、それまでもう少し我慢してくれ」

「構わないけど……佐藤くんは大丈夫、重くない?」

「実は肩口がしびれてきてる」

「それはちょっと女の子に対して失礼だよ」

「理不尽じゃないかそれ?」


 高橋を担いで廊下を進みながら、他愛ない会話をする。


「でもほんとに何なんだろう、ちょっとありえないよね」

「何が?」

「この状況がさ。そりゃだってさ、昔は王子様にお姫様抱っこで運ばれるみたいな妄想をしたことだってあるよ。それが実際には、乱暴に簀巻きにされて男の人の肩の上だよ。もう無茶苦茶」

「ああ確かにな。王子様とお姫様っていうよりかは、山賊にかどわかされた村娘だわな。昔の泥臭い時代劇で見たことがあるぞ、こんなの」


 俺がおどけると高橋がクスクス笑う。その笑顔はどこか気軽な雰囲気でどうやら何かが吹っ切れたように見える。


「さっきまで色々と考え込んでた自分が、なんだか馬鹿らしく思えてきたよ」

「いい傾向じゃないか」

「そうなのかな?」


 そうであれば俺としてもありがたい。

 そのようにして二人でカラカラと笑いながら進んでいくと、目的地が見えてくる。


「ついたぞ。ここならなんとかなるだろ」


 たどり着いたのは一つの中庭。

 ロの字をした建物の中央に設置されたいこいの広場は、廊下の暗闇よりは確かに明るかった。ほんのりと柔らかい光が地面から発せられているように感じられる。しかし中庭へと一歩踏み入ったところで、その明るさの原因が地面ではないことを知った。辺りをほんのりと照らす光は頭上からだ。

 それに気づいて仰ぎ見る。


「うわぁ、綺麗だね」

「確かにそうだな」


 中庭の天辺てんぺん。そびえる外壁によってポッカリと正方形に区切られた空の真ん中。その頂点に輝く大きな明かりが薄雲の奥からゆっくりと姿を見せたのである。

 今夜は満月であった。

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