第103話 みんなで恋だ愛だと騒いだ日⑫

 田中ちゃんは後ろ髪をなびかせて颯爽さっそうと俺のもとから去る。

 しかし外野がいや野次馬やじうま集団へと加わるや否や、そのままヒシと山本さんに抱きついて顔をうずめてしまった。そして抱きつかれた山本さんの方はというと、聖母のような慈悲の笑みを見せ彼女を抱擁ほうようしていたはずが、いつの間にかにブーブーと俺に野次やじを飛ばし始める。

 やめてくれ心が痛い。

 そしてそれを受けた周りの野郎どもが悪ノリし追従する、すると静かな夜中の学内にて俺への非難がこだました。近所住民に対して迷惑極まりないが、キャンパスの奥中においてはそれを注意する者は皆無かいむであった。

 しばらく放っておけば治まるかと思っていたが、何が面白いのかヤンヤヤンヤとエスカレートして最終的には当の田中ちゃんまで笑顔でブーイングしてくる始末である。

 もうなんかコレわかんねえな。

 とりあえず調子にのって「ジゴロ野郎」と俺をののしっている鈴木の馬鹿だけは後からぶっ飛ばすと誓い、俺は本日最大の目的へと対峙した。


「待たせたな。今、ほどいてやるから少し待ってな」


 ムーと返答がある。

 高橋だ。

 身体に巻きつく荒縄に手をかけてやりたかったが、そのくぐもった声音から、まずは呼吸が先だと気づいて後ろへとまわる。目隠しを外し猿轡さるぐつわを取ってやると、彼女は大きく「ぷは」と息を吐いた。


「こわかった」

「だろうね、災難だったな」


 そう言ってなぐさめてやると、彼女は涙目になってこちらへと身体を預けてきそうな気配を見せる。だがグッと思いとどまるようにして動きを止めた。

 俺は特に何も言わずに彼女へと問う。


「それじゃあ縄のほうも解くけど、いいか? なんだったらあそこの野次馬から連れてくるけど」

「あ、うん。別にいいよ、そのままお願いします」


 高橋の身体へと手をかける前に一応の了解を得る。長い付き合いだ、そこで躊躇ためらわれることはないと踏んではいたが、案の定すんなりと承諾された。親しき仲にも礼儀ありだから、俺は真摯しんしに努めていた。だが、外野の方から「きゃー破廉恥はれんちー」と冷やかしが飛んでくる。

 真面目まじめにいてこましたろうかと思った。


かたいな、これ」

「ねえ佐藤くん」

「ん、なんだ?」


 キツく結束されている荒縄に四苦八苦していると高橋が語りかけてくる。


「良かったの、これで?」

「なにが?」

「だって……田中さん。あんなにいい女の子いないよ」

「それは、そうかもな」

「でしょう、だったら──」

「いいんだよ、これで」


 俺が有無を言わさぬ口調で言うと、高橋が口をつぐむ。

 それを見て、なんと言っていいか悩んでいると、またもや外野の方から「モテる男はつらいっす」と声がかかる。やかましい。


「先に言っとくが、高橋が気に病むことなんて何一つだってないんだからな。ここでお前さんに変な勘違い起こされるとややこしくなるから、やめてくれ」

「そんな人を面倒臭い女みたいに──」


 高橋のぶうたれるような声に「どの口がいいますかっ!」と物言いがはいる。それを受けて高橋は「うぐっ」と口を詰まらせているが、これは仕方ない。

 しかしそれでもイジイジと晴れぬ顔をしている高橋が、俺は気に食わなかった。それなので縄を解く作業を一時中断して、彼女の対面へと立つ。


「高橋。言い忘れていたんだが、俺がここにやってきたのには理由がある」

「どんな理由?」

「俺はお前たちをぶっ飛ばしにきたんだ」


 唐突な告白に怪訝けげんな顔を見せる高橋に詳細を説明した。

 北海道から東京に至るまでに経た、俺の葛藤かっとうと決断の全てをだ。そしてその決意のもとに親友である鈴木は粛正しゅくせい済みであるということも。


「つまり今度は私のばんってこと?」

「そういうことだ」

「わかりました。それで佐藤くんの気がすむなら──」


 俺が厳格な態度でのぞんでいると、彼女は粛々しゅくしゅくと応じて、両目をつぶってこうべをこちらへとさしだすようにする。

 顔面にどうぞ、とでもいうつもりなのだろうか、これは。

 そのいさぎよい様子が腹立たしい。


「高橋。前々から思ってたんだが、お前は武士か何かか?」

「私には、他に謝意の示し方がわからないから。どうぞ煮るなり焼くなり好きにしてください、何をされようがその全てを受け入れます」

「その意気やよし」


 そして俺は気を入れ直して、腕を振りかぶった。

 パシンと甲高い音が響く。


「……さふぉうふん、いふぁい」

「おお、笑える顔だ」


 タコのような顔に思わず笑いが出る。

 彼女の両頬りょうほほは俺のてのひらによって挟まれて、寄せられた頬肉のせいで口をすぼめていた。その様子はなんだか愛嬌あいきょうがあり可笑しい。

 それなりに力強くいったから痛みは感じたようだが、まあびっくりした程度だろう。いくらなんでも女性相手に本気で殴りかかるわけにもいかない。


「いつからお前は、そんなに物分かりのいい良い子ちゃんになっちまったのかねぇ」

「むはしっはらふぉうだよ、ふぁたしは」

「いいや、違うね。傲岸不遜ごうがんふそん、泣く子も黙るガキ大将の姿はどこに行っちまったのやら」

「ふぉんなこといふぁれても」


 俺の両手に合わせてマヌケづらをブンブンと移動させる高橋の様子は楽しかったが、あまり意味のないたわむればかりをするわけにいかない。彼女には伝えておくべきこと伝える必要がある。


 俺は彼女の顔を、俺の眼前にまで引き寄せると口を開く。


「いいか高橋、よく聞けよ。俺はな──」


 そこまで言いかけたところで我に帰る。

 ハッと気がついたと言ってもいい。

 これから俺は勢いに身を任せ、羞恥しゅうち身悶みもだえしそうな台詞を吐く予定だ。それ自体は別にいい、必要なことだと納得できるから。しかし、どうしても許容できない事項があることを思い出した。


 ゆっくりと振り返る。


 外野の面々のその全員が目を爛々らんらんと輝かせて、俺と高橋を凝視していた。そして俺が躊躇ちゅうちょする気配を察した彼らは『キース、キース』と声を合わせてはやしたててくる。


 よし。


「高橋、ちょっと失礼。口噛くちかむなよっ!」

「え、っちょ。きゃ──」


 俺は即座に決断すると、高橋の身体を抱え上げる。そのまま彼女を肩へとかつぐと反転して走り始めた。一も二もなく逃走したとも言う。

 後方から「あ、逃げたっ。追えっ!」という叫び声が聞こえてくる。

 捕まるわけにはいかない。

 何が悲しうて、酒盛りのさかなになる必要があろうか。

 わりと一世一代の大舞台のつもりでこの場に臨んでいるのだから、後々のちのちの笑いものになるつもりは毛頭ない。


 そうして、いい大人たちによる全力の鬼ごっこが始まった。

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