第99話 みんなで恋だ愛だと騒いだ日⑧

 おい起きろ、と。

 そのような言葉を受けて目を覚ます。

 眼前には夜空があった。

 そうは言っても、満天の星空なんて大層なものではない。なにせ大都会東京の空だ。星なんて一等星いっとうせいがかろうじて見えるかどうか、加えて割合に大きいわた雲がそこらじゅうに散っている。天体観測をするには向かない空。しかし煌々こうこうと輝く月の光を反射して、円環状に光る曇天どんてんは少しばかり綺麗きれいだった。

 

「んあ……鈴木か。生きてるかお前、大丈夫か?」

「大丈夫なものか。思いきり殴りやがって──そしてなんでお前も倒れてるんだ」

「疲れてんだよ」


 左隣にて俺と同じように大の字になって空を仰ぎ見ている親友に気づき、そんなやりとりをする。不思議なことに鈴木を殴ってからの記憶がない。しかし現状をかんがみるに、ついに限界がきてしまい俺もまた倒れしたのだろうと推測できた。しまらないものだ。


「それで、ご要望どおりにしてやったわけだが、これでスッキリしたか?」

「そんなわけあるか、いまだに混乱している。メチャクチャだよ、もう。アレコレと画策かくさくしていたのが全部ふっとんじまった」


 悪態をつく鈴木に苦笑する。

 口ではそうは言うが、どこかきものが落ちたような雰囲気を感じるのは、俺の思い込みではないだろう。


「色々あったんだよ、これからがさ。すべてひっくり返しやがって。もうどうにでもなれって感じだ」

「さいですか」


 それから鈴木はひとしきりくだを巻く。それはどうしようもない愚痴ぐちであったが、俺としては「はいはい」と相槌あいづちを打つしかない。それぐらいしてやらねばいけないだろう。そして長くてくだくだしい口上を終えると、鈴木が尋ねてくる。


「どうしてお前は、そうなんだ? どうしたらお前のようになれる」

「そうなんだと言われても、よくわからんが──」


 それでも意図をんで、ふと心に思いついたことを答えてやった。


「俺はな。基本的に薄情者はくじょうもんなんだよ」


 それはもう何度も自覚してきた己のありかた。

 どうしても物事に執着しゅうちゃく心というものが持ちにくい。


「そして誰かを想い続けるのにはパワーが必要だ。俺にはそれをまっとうするだけの情愛じょうあいってもんが足りない。かき集めたところで、向けられるのは精々一人分だってことに気づいた」


 その気持ちは、誰かを愛することでも憎むことでもいい。その二つはつまり同じことだ。一生涯いっしょうがいに誰かを愛し続けることはうらみ続けるのと同じくらいに難しい。


「俺はそんな貴重な情愛を誰に向けるかもう決めちまってる。とりあえずは鈴木、お前じゃない。だからいくらでも許してやれるさ。だってお前はいい奴だからな」


 俺が笑ってそう言ってやると鈴木は「お前それ……遠回しに俺のことなんぞどうでもいいって言ってるだろう」と問われる。

 確かにそうとも言える。


「相変わらずお前は変な奴だ。普通、彼女を力ずくで奪い取ろうとした相手に『いい奴』なんて感想は出ないぞ」

「そうは言ってもな、俺は自分の信条にもとづいて行動してるだけだからなぁ。世間一般に合わせるつもりはコレぽっちもない」

「俺はそんなお前がうらやましい」

「そんなに立派なもんじゃない。俺みたいなのは欠陥品けっかんひんのポンコツだ、そういった行動原理でしか動けない。手本にされたら困っちまうね」

「それはわかった。しかしそれなら何故、俺は殴られなきゃならん? 許すんじゃないのか」

「そりゃお前。世の中、何もかもが理屈で動いていりゃ世話ないさ。腹が立ったから殴った。ノリと成り行きだ、許せ」

「その場の勢いじゃねーか」


 そんな風に無駄な時間を過ごす。

 ときに冗談じょうだんを交えつつダラダラと。それはコイツとの間にいつもあったはずの日常である。鈴木は言った。「俺は結局、駄々だだをこねることしかできなかった」


「いいじゃないか、それで」

「しかしな、いい大人がおかしいだろ」

「三つ子のたましい百までってのが本当なら、人間誰しもが泣きわめいてを通そうとする生き物だ。文字通り百年早い。紀寿きじゅ超えてから出直してこいよ」

「そりゃ……そうかもな。そうすると、俺は自分の思い通りにならなければまた我を通そうとするだろうさ。だからお前も──ちっとは駄々をこねろよ、俺ばっかりジタバタしてたら見苦しいじゃねーか」


 鈴木はフンと鼻を鳴らすと、こちらから顔をそむける。

 今のはコイツなりの激励げきれいのつもりなのだろう、きっと。

 そうして会話も区切りがついてしまって宙に浮いてしまう。そうなると固い地面で背中が痛いので、半身を起こした。


「それじゃ、ま。一件落着いっけんらくちゃくってことで、俺は帰るぞ。布団ふとんで寝たい」

「は。待て待て、何を言っている」

「何が悲しうて野郎と並んで天体観測をせにゃならんのか、と言っている。どれがデネブでアルタイルでベガだ?」

「高橋は放っとくつもりか?」

「え、なんだお前。まさか本当にやらかしたのか」

「こんなこと、冗談でするかバカ野郎」


 これまでてっきりハッタリだとばかり思っていたが、どうやら鈴木は本当に高橋を拉致監禁らちかんきんしていたようである。

 それはちょっと予想外だった。

 しかしさすがに、人生の選択を踏み外しまくっている鈴木であろうとも超えてはいけない一線というのはわきまえているはずだ。ここは相手を刺激せずにそれとなく意見する。


「犯罪じゃねーか」


 あ、つい本音が。


「ぐっ──一応は彼女に了解を得た。任意同行だ」

「ってお前、そりゃ半強制ってことだろう」


 その言葉からは大勢で取り囲んですごむビジョンしか思いつかない。


「そうだとしても、よく高橋もこんな馬鹿な話にのってくれたな。お前、けられれてなかったか?」

「外部の協力者がいた」

「協力者?」


 俺が鈴木の返答に疑問を持つと同時に、キャンパスの奥からこちらへと向かってくる足音に気づきそちらを向く。ジャリジャリと不規則な音をたてながら近づいてくるその音は、なんだか千鳥足ちどりあしのように感じる。


「話は聞かせてもらったわよー」


 緊張感きんちょうかんのない女性の声。

 山本さんだった。

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