第96話 みんなで恋だ愛だと騒いだ日⑤

 渡辺くんに言われるがまま記憶を掘り起こすも、あまり愉快とは言えないモノなので多少難があった。それでもなんとかして思いだす──


 あれは自室の玄関を開けてすぐのことだった。

 廊下とも言えないような短い通路の先に、ベットの上で抱き合うような二人を見つけたのだ。そのときの衝撃しょうげきは中々に忘れられるものではない。


『思い出せました?』


 暗闇の中で渡辺くんの声がする。


「なんとか。あまり楽しくはないね」

『つらいのはよくわかります。すみませんが頑張ってください。それでどういう状況です?』

「二人が半裸で抱き合ってる」

『聞いた僕がヘコみそうですが──それから?』


 渡辺くんが記憶の先を促してくる。


「二人とも俺を見て真っさおになった」

『佐藤さんはそれで、こう……思うことはありませんでしたか?』


 言われて考えた。

 そうだ、よく覚えている。

 まるでこの世の終わりに対面したような顔を見て、俺は嘆息をついたのだ。二人は他ならぬ最愛の人と親愛なる友人だ。かけがえのない存在であり、見捨ててしまうことはできない。世界の終わりに取り残すわけにはいかなかった。


仕方しかたない奴らだなと、そう思ったな」

『え、それ以外には?』

「うん? 特にないけど」

『こう、許さねえぶっ殺してやるっ! だとか、クソビッチが二度と顔を見せるなっ! だとか、そんな拒絶の感情は──』

「なんだかおだやかじゃないね」


 渡辺くんの声が怪訝けげんそうな気配を見せるが、事実なのだから仕方ない。


『そっそれじゃあ、二人の姿を見て興奮しただとか、どうしようもなく彼女さんに獣欲じゅうよくをぶつけたくなったとか』

「いや、さっぱりだ」

『うーん……』


 世間には自分の恋人が他人によってはずかしめられることによって興奮する性癖せいへきがあることは知っている。いわゆる『寝取られ』趣味しゅみといったものだ。しかしジョニーは特別に騒ぎはしなかったので、俺にはその手の特殊性癖はなかったのだろう。みずからにはアブノーマル趣味があるかもなんて思っていたが、案外そうでもなく真面目だったのがショックである。


『どうしようか伊藤、完全に想定外だった。まさか佐藤さんがここまでアガペーに生きている人だとは』

『俺もビビってるわ。いやサトさん、マジパネっす』


 どうやら俺の返答は、渡辺くんの思ったところとは違う場所へと話の流れを持っていってしまったようである。視野しやの外で褒められていないような評価が下されている。


「そうは言うが、俺だってそんな泰然自若たいぜんじじゃくとしてたわけじゃないぞ」


 それなので反骨心はんこつしんから反論した。

 そうして記憶をよく思い出す。

 あのとき、二人が青くなったのは俺の姿を見たからだ。いざ行為に及ぼうとしたときに、一番いてほしくない人物が登場したのだから、居たたまれないどころではない。そういう感情は確かにあっただろう。

 しかしそれだけではない。

 あのとき二人は明らかにハッと気がついて、したのだ。

 そんな彼らが見ていたのは、激怒げきどした俺の顔だった。


「というわけで俺のことを感情が動かない仙人みたいに評価するのは──」

『佐藤さん、目を開けてください』

「んっ? おお」


 突然に言われてそれに従うと、目の前に渡辺くんが迫っていた。


「佐藤さん。それです」

「それ、とは?」


 言葉の意図が理解できず、聞き返す。


「佐藤さんがあまりにも飛ばしているから誤解したじゃないですか。怒ってたのならちゃんと言ってください」

「え、言ってなかった?」

「いいえ、言ってません」


 あまりにも意表外な点を指摘されて戸惑ってしまう。


「サトさんだって人間だもんな、当たり前なんだけど……いやマジ焦ったっすわー」

「本当だよ、本気で聖人君子せいじんくんしが存在するのかと思った。自分の彼氏がそうだったら気が狂いますよ。割と本気で』


 散々な言われようである。


「いやだって、彼女が友人とくんずほぐれつしてたんだぞ? 普通怒るだろう、そりゃ」

『いやだからそうなんですってっ!』


 二人の声が重なる。その勢いに圧されて少しばかり後ずさってしまった。


「佐藤さん。この際だからはっきり言わせてもらいますけど、分かりにくいんです、あなた」

「俺も同感っす。底知そこしれなくて不気味ぶきみっつうか、俺たちとはちげぇ人間みたいな認識があったすわ」

「う、それはまあ……」


 これまでよく言われた人物評に通じるものがあったためにグウの音も出ない。しかし俺とて、怒りの感情を覚えていないわけでもないのである。そんなに怒鳴どなることでもないかなとスグに思考が落ち着いてしまうだけで。


「怒ってたのなら、それをきちんと相手にぶつけるべきです。そりゃ何でもかんでも他人に当たり散らかしてたら問題ですが、今回のケースはそれに当たりません」

「向こうがキレたサトさんの顔に恐怖したってんなら尚更なおさらっすわ。その後に慈愛の微笑みを向けられるんしょ? 軽くホラーっす」


 渡辺くん伊藤くんともに、まるでできない子供をさとすように言ってくる。


「ちなみに最初に怒りの感情を覚えたとき、どんなことを思ってたんですか?」

「え、そうだな。色々ゴチャゴチャしてたはずだけど──どついたろかコイツら、みたいな気持ちはあったような気がする」

「んじゃあ、その通りに行動するっきゃねえっすね」

「え? でもいいんだろうか?」

「なにがです?」

「俺は二人を許すと決めたのだから、今更いまさらそんなことを言い出しても──」

「どついてから、また許せばいいじゃないですか」

「なんと」


 渡辺くんの言葉に目からうろこが落ちてしまう。

 それは考えたことがなかった。


「勢いで行動したっていいじゃないですか。『人を好きになる』なんて感情、いくら考え込もうとも出てくるはずないですよ」

「誰だって言ってるじゃねっすか『理屈じゃない』って。だったらモノのはずみで出た答えだって真理しんりっす」


 二人の言葉に感銘かんめいを受ける。


「あー……」


 そして言葉を吐き出しつつ、大空を仰ぎ見る。すでに暗くなってしまった北海道の夜空は、どこか空気が澄んでいて星が綺麗であった。


「するとなると、俺が今すべきことというのは──」


 そうして答えが決まる。

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