みんなで恋だ愛だと騒いだ日

第92話 みんなで恋だ愛だと騒いだ日①

 そして俺は今、北海道は函館はこだて空港にいる。

 

 何が「そして」なのかはわからないが、事実なので仕方ない。というか自分でも、なんでここに立っているのかが不思議であった。

 空港内の適当な座席を見つけ腰を下ろして一息つく。着のみ着のままにやってきたので荷物などはない。身軽でいいが、そのぶん心許こころもとなさが際立きわだった。

 気持ちが落ち着いてきたところで、俺はこれまでの経緯けいいを整理することにした。


「いやまあ、そうは言っても。原因は分かりきってるけどなぁ」


 プツンときてしまったのだ。

 この感覚には覚えがある。

 それはいつの日だったか。高橋から「別れよう」と言われ、鈴木には「殴ってくれ」と嘆願たんがんを受けたときだ。そのとき俺はストレスフリーを求めて長崎へと旅立った、そのときの気持ちに近い。思考が許容不足キャパオーバーに達してしまったのだ。そうなると俺は旅に出てしまう。誰がなんと言おうとも、それは自明のことわりだ。


「問題は俺がいったい何にプッツンきちまったのかなんだが──」


 そこが、いまいち明瞭めいりょうとしない。

 俺は何を思い悩んで、ここにいるのか、それを考える。せっかくなので今日の高橋とのデートでも見た、ロダンの『考える人』のポーズをとってみた。


 あごに手を添えて、深く深く考える。


 現在、俺はどういうわけか、二人の女性からのアプローチを受けていた。田中ちゃんと高橋。二人から直接、好意を伝えられたのだ。伝えられたからにはこたえなければならないのは当然だ。


「応えなきゃ、そうは言いつつ、逃げてきて、北の国から『考える人』──なんて面白おもしろ短歌をんでる時点で俺も相当なパッパラパーなんだが」


 自虐じぎゃくしても詮無せんないので、さらに考える。


 俺が誰を選ぶのかが、問われていた。

 結論は出ている。

 田中ちゃんだ。

 理由は単純で、彼女からは『私を選んで欲しい』と言われ、高橋からは『彼女の気持ちに応えてほしい』と言われている。両方の希望にそっただけで、考える必要がない。


「そのはずなんだけどなぁ──」


 何かとんでもない間違いを犯しているような不安がぬぐえない。人間としてたがえてはいけない何かをふみ外している、そんな気がして仕方ないのだ。果たしてそれが何なのか、考えている間に、俺の頭はショートした。その状態のまま、お馴染みの羽田空港へとフラフラと向かい、最終便の飛行機へと飛び乗ると、そこは北国であつた。

 そういう次第しだいである。


「まあせっかく来たんだから、海鮮丼ぐらいは食って帰るか──ってやべ! 田中ちゃんのオープンキャンパス忘れてたっ……まいっか明後日あさってだし、明日の便に乗って帰れば」


 そのようにブツブツと独り言をしながらに、精神の安定をはかっていると、携帯電話が鳴っていることに気づく。着信画面を見ると、鈴木からであった。


「はい、もしもし?」

『佐藤か?』

「ああ、そうだな」


 古くからの親友の声はかたく、緊迫した気配をにじませていた。

 これは何かあったのかといぶかしむも、鈴木に対して過剰かじょう配慮はいりょをするのも何だかなぁという気にもなる。往々おうおうにして親友というのは悪友とも言い換えが可能だ。


『俺はな、佐藤。お前とは対等な関係で、男として負けてない──いやまさっているとすら思っていたんだ』

「どうした急に?」


 突然に語り始めた友人の頭が心配になる。


『いいから聞け』

「はあ」


 聞けと言うからには大人しく静聴することにする。

 特にすることもないので、まあいいか。


『だが、違ったんだ。俺は男として以前に人として、お前とは格が違うことを思い知らされた、俺は負けたんだ。それもむごたらしく、俺のプライドはボロボロになった』

「それで?」

『それはいい、負けたのはいい。けれど、負けたままでいるわけにはいかない』

「うんうん、そうだな」

『だからもう一度、お前に挑戦する。人としての矜持きょうじを取り戻すんだ』

「へー」


 しばらくそのようなやりとりを交わして、いよいよ相手の精神状態というものを疑ってみることにした。鈴木という男は真面目な奴だが、それが過ぎると時折ときおり明後日あさっての方向へと突き進むことがある。


『そのために手段は問わない。どうせこれ以上に落ちぶれることはないんだ、それならばはじ上塗うわぬりでも何でもやってやる──いいか佐藤、よく聞け』


 そうして鈴木は、やっと本題に入るぞと言わんばかりに、大仰に俺へとその要求を突きつけてきた。


『俺は今、高橋をさらって拘束している。俺が彼女に何をするかは……わかるだろう? お前が彼女を大切にしているならば、今すぐキャンパスまで来──』

「北海道にいるから今すぐは無理」


 俺が鈴木の声にかぶせて答えると『はあ?』と間抜けな声がする。


『どこだって?』

「北海道」

『なんで?』

「海鮮丼かな」

『……マジかよ』


 絶句する気配を感じる。口を大きく開いてパクパクしている様子を想像すると滑稽で、笑いすら覚えた。

 仕方ないから、良い情報を教えてやる。


「といっても函館だから近いぞ」

『そんなわけあるかっ』


 鈴木が吠えた。

 そのままオロオロと狼狽ろうばいし始める。


『えっうそだろおい、ちょ、えっ──どうする?』

「知らねえよ」


 さてさて、いったい何の茶番が始まったのやら。

 愉快な様子を見せる親友の声を聞きながら、そんなことを思った。

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