第90話 高橋とのデート②──上野にて

 美術鑑賞を終えるとそれなりの時間となっており、早めの昼食を取ることになる。美術館より離れて公園内にある軽食の店へ入ると、二人で洋食を堪能した。そのまま博物館へと向かうはずだったのであるが、なにとはなく、腹ごなしも兼ねて公園内を散策しながら向かうことになった。

 広い敷地内で、季節の樹木や、大きな水場みずばを眺めながらに二人でゆく。

 

 そんな中ふと、とある疑問が口をついて出た。


「あのとき『扉』をくぐっていたら、どこに通じていたんだろうな?」

「なんの話?」

「美術館で門を見てさ、昔を思い出したって話」


 美術館前で『地獄の門』のモニュメントを見たとき、足を止めてしまった理由は、幼少時の出来事を思い起こしたことにある。あれほどに仰々しい意匠ではなかったが、俺はかつて、異世界への『扉』を目にしたことがあった。

 その扉は、地獄へと繋がっていたかは定かではないが、それでもきっと踏み越えたのなら後戻りできなかったはずだった。


「ああもしかして、佐藤くんが妖精さんに出会ったっていう──」

「妖精さんなんて上等なものには見えなかったけどな」


 かつて出会った変なやつを思い出しながら苦笑する。まるで不審者という言葉をかたちどったような男であったから、妖精なんてファンシーなイメージとは程遠ほどとおい。よくてトロールといったところだろう。

 俺の幼少時の不思議話については高橋に話したことがある。というか、馴染みのあいだではちょっとした怪談話として知られている。誰も信じてはくれなかったが、それでも『佐藤が変な夢を見た』程度には受け入れてくれていた。


「佐藤くんがどこかに行っちゃいそうになるのを、私が止めた?」

「そう、その話──高橋には本当に感謝している。あのとき引き止めてくれたことはもちろん、それからずっと俺と一緒にいてくれたことも」

「ごめんね。そんなに大事にしている思い出なのに、私は覚えてない」

「小さかった頃だからな、仕方ないさ」

「それでも、佐藤くんが本当に大切に思ってくれているのはわかるよ。だからさ、私も色々と考えたことがあるんだ」


 高橋はそう言って、言葉を区切ると口を開く。


「もしかしたら私は、佐藤くんを引き止めない方が良かったんじゃないかって──」

「それはないぞ」


 高橋から思いもよらない台詞せりふが発せられたので、咄嗟とっさに否定する。当時の彼女の言葉があったからこそ、今の俺があるのだから。


「俺は高橋に見送られたかったなんて考えたこと、一度だってない」

「……びっくりした。珍しいね、佐藤くんが熱くなるなんて」


 高橋が目を丸くしてこちらを見る。

 言われて声が荒くなっていたことに気づいた。

 それなので「すまん」と謝る。


「ううん。でも、そうだね。私も佐藤くんとお別れしたいだなんて思わなかったよ。それでもさ、佐藤くんが本当に欲しかったのは、きっと引きとめることじゃなくて──『一緒にいく』って言葉だったんだと思う」

「一緒に……? それは、また」

「もしかして図星だったかな?」


 高橋が横から覗きこむようにして尋ねてくる。

 それを受けて、俺は動揺を隠すようにして答えた。


「ああ。それはなんとも、俺に都合が良い」


 想像する。

 あのとき、高橋が俺を故郷へと引きとどめるのではなく、旅立ちに一緒についてきてくれていたのであれば、俺の人生、また違った形をとっていたに違いない。


「やっぱり。また一つ、佐藤くんのことがわかった気がして嬉しいよ」

「いやけど……ああもうなんだかなぁ」


 あのときああしていたならば。

 なんて仮定の話でモヤモヤするのも楽しくないので「この話はおしまい」と無理やりに会話を打ち切る。高橋も「はーい」と返事をして、他愛ない会話へと戻った。


 その後、予定通り博物館を見学する。人類の叡智えいちへの追憶ついおくを終えて館外へと出ると、あたり夕焼けに赤く染まっていた。さすがは規模の大きい博物館で、見てまわるだけでそれなりの時間を要した。

 

「ああ楽しかった」

「俺も。もっと何が何やらわからないモノばかりかと思ってたけど、思いのほか楽しめた」


 事前に予習をしていて良かったと思う。博物館へとおもむくとわかったときから、それとなく、どういった展示品があるのかを知識としてインプットさせていた。いざ目の前にしている骨董品こっとうひんがどういった来歴があるのかを知っていれば、より楽しめる。ここにきて、もしかしたら俺はアンティーク趣味があるのかもと、新たな境地を発見した気がした。


 公園へと戻り博物館前の大噴水だいふんすいまでやってくる。

 すると、高橋が振り返ってこちらを見る。


「デートももうすぐ終わっちゃうから、私も佐藤くんに、言うことを言わなきゃいけない」

「ああ」


 高橋を含めた三人娘が、何かしらを共謀きょうぼうしていることはわかっていた。ありがたいことに彼女らは、それぞれが俺に対する想いを打ち明けるとして今回のデートを企画したようであった。その真意については推しはかりきれないところはある、しかし気持ちは素直に嬉しい。


「田中さんからの気持ちは聞いた?」

「ああ」

「どうするつもり?」

「わからないな。返事は待ってもらってる」

「だったら、彼女の気持ちにこたえてあげて」


 高橋はそう言って、真っ直ぐとこちらを見てくる。

 ザーザーと噴水の音がうるさい中、かろうじて「だから、これから私の言うことは、別の話として聞いてほしい」という彼女の声が聞こえる。


「私はあなたが好きです」

「うん、知ってる」

「だからこそ、鈴木くんとの件、本当にごめんなさい。言い訳はしません。それは山本さんにいっぱい聞いてもらったし、そうでなくても佐藤くんには嫌な思いをたくさんさせた」

「いいよ、そんなことは。気にしてない」

「それからも、わけのわからないことを言って佐藤くんを困らせた。田中さんにしかられたよ、『迷走してる』だって、本当にその通り。今だって自分が何をしたいのか全然わかってないんだよ」

「そんなのお互い様だ。俺だって自分のしたいことが定まってない」


 俺なんて女の子からの告白にも即答できない半端者はんぱものだ。情けないことこの上ない。しかし高橋はそんな俺に対して肯定を示すように言う。


「うん。だからさ、佐藤くんにはやりたいことを存分にやってほしい。あなたが周囲に遠慮えんりょすることがないように。笑って、ここじゃないどこかへと旅立てるように。私はそれを見てみたい」


 高橋が改まって「せめて、これだけは伝えたい」と言う。


「私は、あなたとずっとずっと一緒にいたいです」


 高橋は「そんな風に思うのは虫が良すぎるかな?」なんて遠慮がちに笑う。そんな彼女の姿は、オレンジ色した噴水の飛沫しぶきに照らされて、ゆらゆらとかき消えてしまいそうだった。

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