第89話 高橋とのデート①──上野にて

 なんだか変な感じだ。


 人混みにあふれた電車に揺られながらそんなことを思う。

 世間せけんにおいて、交際相手とするデートは一般的だろう。むしろしない方が不健全であり自然なことだ。交際に至る前の男女がデートすることもままある。気になる相手と恋の駆け引きをする逢引あいびきはさぞ楽しかろう。


 しかし、元カノとデートをするとはこれ如何いかに?


 そんな機会に恵まれた者はどれぐらいいるものなのだろう。それも別れてからそこそこの月日が立っているとはいえ、一般的には別れた直後だと言っても差し支えない。きっとレアケースである。


 そんなことを考えながら列車を降りる。

 到着したのは、上野駅。

 数多くの路線が乗り入れており交通の要所である。周辺の街は比較的古くより東京の名所として栄えており、現在では文化・芸術スポットという側面も持つ。

 そんな上野の街で俺は高橋と待ち合わせをしていた。


「あ、佐藤くん」

「おっとピッタリカンカン」

「なにそれ?」

「仙台で仲良くなったじっさまの口癖くちぐせ


 たとえ待ち合わせ場所に同時刻に到着しようとも、ドラマのように両極から直面するように鉢合はちあわせしようとも、そこに運命など感じるはずもない。

 なにせ相手は高橋だ。勝手知ったる古馴染み、待ち合わせなんぞ数えきれないほどに経験している。そのはずだったのだが──


「あれ、髪きった?」

「きってないよ、なんで?」

「何だか、いつもと雰囲気が違う気がする」


 高橋のまとう空気が、俺の知っている彼女と違う気がした。今日は何だか華やかに感じる。それをそのまま彼女へと伝えてみる。


「じつは少しだけ、洒落しゃれを出してみた」

「言われてみたら、初めてみる格好かっこうだしな……うん、似合ってると思う」

「ありがとう」


 照れくさそうにはにかむ彼女だったが、俺としては動揺している。質素な服装を好む彼女がファッションを気にして飾りたてるとは。驚愕きょうがくするほどではないが、目を見張ってしまうぐらいには衝撃だった。

 そして何だろう。元カノが自分と別れた途端に華やかになるというのは、こう……胸がザワザワするものがある。


「それじゃあ行こっか」

「ああ」


 気にしすぎても仕方ないので先へと進む。

 過度な緊張もない、ごく自然な足運びだった。互いに気負わない関係というのはこういうとき、とても気持ちが良い。

 上野恩賜公園の中へと入りこみ、二人で闊歩かっぽする。

 天候は穏やかで、さしてくる木漏れ日は柔らかい。

 散歩するだけでも気分が高揚こうようしてくる。


 高橋がデート先として希望した場所は博物館であった。

 東京国立博物館。どうしてそこなのかと問うと「見たかった展示物が公開されているから」という普通で順当な理由。まあ拒否するいわれもない。

 二人で公園内の広い敷地しきちを歩いていると、その途中、右方に気になるモノを見つけて足を止める。


「見に行く?」

「悪いな」

「いいよ、のんびり行こう」


 高橋に断りを入れてそれへと近づく。あったのは金属でできた大きな扉のモニュメントだった。国立西洋美術館前に設置されている、有名なブロンズ像。そのめいと物々しい異様から見るものを威圧してくる。


「以前から思ってたけど、公共の施設の面前めんぜんにわざわざ『地獄の門』を設置するなんてすごいよな、どういうつもりなんだろうか」

「確かに来るものこばみすぎてるよね、『我をすぎんとするものは一切の望みを捨てよ』だっけ?」

「いや、メリケンの教義きょうぎはサッパリだ」

「メリケンさんじゃなくて、ダンテの『神曲』だから──ダンテってどこの国の人だったかな?」

「あれ、ロダンじゃないの?」

「それはこの門をデザインした人」

「よーわからん」


 そんなやりとりを交わして、流れで美術館にも立ち寄ることになった。二人分のチケットを購入して、館内にて美術鑑賞と洒落込しゃれこむ。


「でも意外だな」

「何が?」


 館内に入りしばらくして、外国の女性が仏頂面ぶっちょうずらでとりあえず何かをしてる絵をわけ知り顔で眺めていると、高橋から言われる。


「佐藤くんが美術に興味あるとは思わなかった。じっくり見てるんだもん、もっと流し見するみたいにサクサク先に行かれるかと思ってた」


 言われてみると、高橋と一緒にこのようなおハイソなデートはこれまでしなかった気がする。だいたいが遊園地だのと、もっと遊びらしいモノばかりだった。


「ああ。好きなんだよ、人の絵を見るの」

「無理してない?」

「嘘はついてないぞ。まあ教養きょうようはないから、これが誰が描いた何の絵なのかはさっぱりだけどな」


 強がりではなく事実だ。

 絵画かいがを見るというのは他人の表現を見るということである。それは、誰か見知らぬ人の頭の中をのぞくことに等しく、他人の頭の中とは異世界である。

 どこか。ここじゃない、どこかへ。

 異世界を歩くことは、つまりは旅に出ることだった。


「ふーん。そしたら宗教画よりも、印象派とかの方が佐藤くんの好みかも。たしかモネの作品とかあったはずだよ」

「あ、その人は聞いたことがある。その印象派とやらの作品になったら教えて」

「任されました」


 高橋が嬉しそうに笑う。

 その笑顔を見ると、こちらまで楽しい気分になった。

 思えば、彼女と一緒に笑い合うことなんていつぶりだっただろうか。少なくとも、ここ最近では覚えがない。


「そいじゃ次に行くか」

「あのっ佐藤くん──」


 話にきりがつき、何気なく先の区画へと足が向いたそのとき、高橋が声をかけてくる。そのまま遠慮がちに「お願いがあるのだけど」とうかがいを立ててきた。そして俺が「なんだろう?」と問うと、彼女は思いきりをつけるように言う。


「手をつないでもいいかな?」

「何だ、そんなこと──」


 返事と同時に、俺は彼女の右手を取る。

 人の手というのは温かい。

 展示物の保護のためかいささすずしすぎる美術館内において、そのぬくもりはよりしっかりと感じられる。


 高橋は一言「ありがとう」と言った。

 その響きは、涙ぐんだ声をこらえるようにかすれていた。

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