第84話 山本さんとのデート①──新橋にて

 東京は新橋。

 言わずと知れたサラリーマンたちの街。

 夕暮れの時間は過ぎ去って、家へと帰宅する勤め人たちが大勢溢れかえる駅前にて、俺はとある人物と待ち合わせをしていた。


「すいません、待たせましたか?」

「やあやあ、佐藤くん。くるしゅうないぞ」


 山本さんである。

 遅刻したわけではないが集合時間ギリギリに到着したので、一言ひとこと断っておく。何かとルーズな一面を見せる山本さんではあるが、キッチリしている箇所かしょはキチンとしている。もしかしたら、そこそこの時間で待ちぼうけを食らわせてしまったかもしれないと思い、聞いてみたが「ああいや、私もタッチで来て『勝った!!』って気分になったから気にしないでいいわよ」とのことだった。どうやらほんの数秒の差でデカい顔をされていたらしい。

 そうなると、若干じゃっかん悔しい。


「しかし、本当にデート先がここでいいんです?」

「あら。むしろ佐藤くんはどういった所へ連れて行ってくれるつもりだったの?」

「いや、つもりだったというか──『デートどこ行く?』なんて聞いたら水族館とか映画鑑賞とかがベタなのかなと」

「お子様ねぇ」

「いや、子供向けってわけじゃあないでしょう?」

「だって、どっちもお酒飲めそうにないじゃない」

「ああ、そういう……」


 つまりは飲酒できるところへと連れて行けということらしい。

 なんだかデートというより飲み会みたいな雰囲気が出てきてしまったが、二人でグラスを傾けながら語り合うことこそが大人のデートだと思えなくもない。また一つ勉強になった。

 しかしだ。


「──というかまだ飲むつもりですか」

「心外な、まるで人を呑兵衛のんべえみたいに」

「記憶飛ばすまで飲んで、一週間待たずにまた飲みに出る人は十分な呑兵衛だと思いますが」


 山本さんの引っ越しの手伝いをして、そのまま彼女の部屋で晩酌ばんしゃくを行ったのはつい先日のことである。二人ともに記憶をなくすほど飲んだのだ。


「ああ、あれは焦ったわよねぇ。二人して何が起きたか分からないから、部屋に痕跡こんせきがないか慌てて探したりして」

「いや、笑い事じゃなかったですよ」

「あは。でも楽しかったくせに」

「一番、焦ってたのは自分だったくせに」


 今でこそ嬉々ききとした笑顔を浮かべてはいるが、山本さんだとて真剣な顔をして部屋のガサ入れを行っていたわけである。その迫力たるやベテラン刑事かと見紛みまがうほどだった。

 まさか男女のアレコレがあったのなら洒落にもならなかったのだが、幸いなことに身の潔白けっぱくは証明されている。両名とも記憶を失くしているから迷宮入りするかとも思われたが、思いもよらぬところから証言を得たのだ。新居しんきょの賃貸マンション、その隣人から『何もなかったよ』と。

 なんでも俺と山本さんは、酔った勢いで隣の部屋へと引っ越しの挨拶に出むき、「一緒に飲もう」と戯言ざれごとをほざいていたようである。その人はとても面倒見の良い人で、あまりにも悪酔いする俺たちを見兼ねて、酔い潰れて眠るまで世話してくれていた。

 当然、山本さんと共に平謝ひらあやまりだ。

 気前よく許してくれたが、山本さんと飲むと土下座ばかりしている気がする。

 

「まっ、まあ今日はつつましくいきましょう。佐藤くんに大人のデートのなんたるかを教えてあげるわ」

「とか言いつつ、席に着くなり『とりあえず生っ!』とか叫ぶんでしょう? オシボリで首元を豪快にぬぐうとか、そんな小ネタ挟みつつ」

「正しい作法さほうじゃない」

「なんだかデート先として適した場所だと思えてきましたよ、新橋」


 この人はサラリーマンというか、おっさんだ。

 いつかは妖艶ようえんなお姉さんだとドキドキしていたはずなのだが?


 そんな風に山本さんとたわむれつつ、二人で夜灯が明るい街を歩き始める。

 多くの人々が同じように飲食店を目指して歩き始める中で、俺たち二人は一際ひときわ明るい雰囲気をともなっていた。しかしそれは、仲睦なかむつまじい男女というよりは、仲の良い姉弟していのような愉快さだった。


 新橋のシンボルとも言える蒸気機関車の横を通り過ぎながら、適当な店を探す。格式ばらない気軽な店が軒並のきならぶ通りにて、焼き鳥居酒屋を見つけて入店した。

 席につくなりに山本さんが言う。


「とりあえず生、二つ」


 やっぱり言った。 

 店員さんから給仕きゅうじが済まされると、乾杯かんぱい音頭おんどをとって、おとおしと麦酒を堪能たんのうする。


義妹いもうとがさ、佐藤くんに会いたがってるのよ。新作の和菓子を食べてもらいたいって言ってる」

「それなら近いうちに京都に行かないといけませんね」

「私が帰省きせいしたときに合わせてもらったり、お願いできないかな。私もあの子とは顔を合わせたいけれど、あの家に行くには──まだちょっとね」

「それぐらい、お安い御用です。帰省するときは言ってください」

「悪いわね」


 真面目な顔をした山本さんに言われる。

 彼女の京都における人間関係は、良好とは言い難くとも、落ち着いてきてはいるようだ。一度はもう、ズタズタになったと言っていいほどの泥沼だったのだ、これから少しでもいい方向に戻っていくことを期待する。


「バーのオーナーにも挨拶したいし。あれだったら佐藤くん、お店の二階に泊めてもらえば?」

「いやいや。それは厚かましすぎるでしょう」

「それもそっか。でも、私は一泊ぐらいさせてもらおうかな。案外と住みやすいのよ、あそこ」


 会話もほがらかにはずんでいく。

 注文した酒のさかなも次第に並べられていき、楽しく愉快な酒宴しゅえんはこれからだといったところで「さて、と」と、山本さんは言った。


 そのままグラスを掲げもち、こちらへと寄せてくる。

 乾杯のやり直しかと思い、自らのグラスを近づけたところでヒラリとかわされた。勢い余ったグラスとともに身を引きよせられた俺は、近くなった彼女と顔を合わせる。


も温まってきたところだし、本題に入っていこうか──佐藤くんは、いったい誰を選ぶのかしら?」


 彼女はその魂胆こんたんを決して見せない、ミステリアスで妖艶な笑みをしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る