みんなで恋だ愛だと騒いだ日々──東京にて

第77話 激変しない日々

 大学構内の食堂にて、俺はお昼のニュースを流し見しながらに『唐揚げ定食』を頬張ほおばりつつ、ぼんやりと思考していた。


 東京に戻ってからというもの、激変した生活が始まった。

 と思われたのだが、その実、何も変わらない日々を送っている。


 大学の長期休暇が終わり講義は再開されたが、元々それこそが大学生のあるべき姿である。勉学こそが学生の本分だ。生活が変わるというほどの大仰な事柄でもない。


 世間においては連日、衝撃的なニュースで騒いでいる。

 近年稀に見る卑劣な事件が発覚したのだ。しかし直接的な関わり合いはもちろんないので、俺個人が生活を改めるようなことにはならない。


 そして高橋とは正式に『別れた』ことになる。

 これこそが俺にとって、人生が一変するといっても過言ではない出来事だった。と、そう言いたいところなのだが、これが案外と平気だった。

 もっと苦痛を感じて、泣きながら海岸沿いで「バカヤロー」なんて叫ぶハメになるのかと思ったが、全然そんな気分ではない。心は変わらず平穏無事。悩み事といえば、今日の晩飯の献立を悩むぐらいだ。

 

 なにせ、別に彼女に嫌われたわけではない。

 別れる際に色々と話し合ったが、彼女は俺との関係が嫌になったというわけではなく、何かしらの目的があって、俺との関係に区切りをつけたいといった様子であった。

 だったらまあうん、別にいいんじゃないかな、彼氏彼女の関係じゃなくても。

 そんな風に考えてしまっている自分がいる。きっと彼女にとって、気持ちの折り合いをつけるためにはそういった『儀式』が必要だったのだろう。そんな理由なのであれば、俺からは異論はない。

 自覚はしていたが、俺という男は何とも薄情だと思った。


 とにもかくにも、俺と高橋の関係は『彼氏彼女』ではなく『昔馴染み』に戻っただけで、それならば特に不満などはなかったのだ。

 

「しかしなんだかなぁ」


 心のどこかに不可解なしこりを発見してつぶやく。

 何がひっかかっているのかはボヤいてみても分からなかった。


「ここいいか?」

「鈴木か、なんだか久しぶりだな」


 そうこうしていると対面に人がやってきたことに気づく。

 馴染みの一人である親友だった。よくよく考えてみれば旅から帰って顔を合わすのは初だ。

 こいつとはかつて、高橋をめぐって競いあった仲だったが、今は二人仲良く敗北者だ。そう思うと泣けてくるようなわらけてくるような。

 俺がそんな風に、ニヒリスティックに浸っているところにも構わず、鈴木は単刀直入に問うてくる。


「話は聞いた。高橋と別れたってのは本当か?」

「そうだけど、怖い顔するなよ。唐揚げ食うか?」

「いらん。トラ先輩だな、あの先輩が高橋にらないこと吹き込んだって聞いたぞ。お前が言わないなら俺が文句言ってくる」

「ああ、いい、いい。やめてくれ」


 かかげてやった唐揚げに見向きもしない鈴木の余裕のなさに嘆息しつつ、行き場のなくなったそれを口へと放り込む。

 しばしムシャムシャと咀嚼そしゃくしてから、鈴木へと説明してやる。


「その件だったら、直接先輩から話を受けてる」


 高橋と別れたあとのことだ。先輩が「うけた相談へと誠実に向き合った結果だったが、お前にとっては彼女をきつけた男だからな」と、わざわざ頭を下げに来た。どうやら彼は俺が旅に出ている最中、俺との関係について高橋から相談を受けたらしい。

 そういうことであれば、確かに文句の一つも言いたくなる。しかし彼の身になってみて考えてみれば、ただ自らに舞い込んできた相談に率直な意見を述べただけだ。やましいところなんてない。

 それにそもそも、思い悩んでいた高橋をほうって旅に出たのは俺であって自業自得じごうじとくと言えなくもない。むしろ彼の助言のおかげで、高橋が鬱屈うっくつした感情を変に爆発させることもなかったのではないかと、俺はにらんでいる。


「トラ先輩は悪いことなんてしてないからな。むしろ痴話喧嘩に巻き込んだみたいでこっちが申し訳ないくらいだ」

「お前は昔からそうだ。どうしてそんなに物分かりがいい」

性分しょうぶんだから」

「俺は納得しないぞ」


 ムキになっている鈴木へと「いや、そうは言うが元はと言えば……お前だろ?」と意地悪を言ってやりたい気持ちをもつ。だが、それを口にするとおそらく地に沈み込む勢いでへこむだろう。武士の情けだ、黙っておく。

 それなので意図的に食堂備え付けのテレビジョンへと目を向けて、話を逸らしてみる。相変わらず同じ事件の話題を続けていた。


「世の中、物騒だなぁ」


 東京都大学生集団監禁事件。

 読んで字のごとく、複数の学生が組織だった不埒者ふらちもの達に監禁され、望まぬ就労を強制されるという事件が発覚した。

 旅から戻ると同時にテレビのワイドショーを軒並のきな席巻せっけんしたその事件は、全容・詳細が未だ明確にはなってはいない。何でも犯罪者グループの一部が逃亡を続けており、情報が制限されているようである。

 ただ、事件の内容から連想されて「もしや」と思い、知り合いの弁護士に連絡をとってみた。すると守秘義務があるので何も答えられないと言われる。この時点で色々と察することができるというものだった。

 そして旅の間、仲よくなった二人の男友達とも満足のいく連絡を取れていない状況だ。「落ち着いたら必ず話す」とかたく約束されているものの、二人とも忙しい様子であった。


「今はそんなことはいい」

「はいはい」


 言われて、余裕のない鈴木の相手へと戻る。


「お前はショックじゃないのか?」

「ショックだとも、思わずまた旅に出そうになった」


 本心だ。

 しかし、なんとか踏み留まった。

 大学の講義が再開するというのに、再度長期不在になるわけにはいかないという理由はもちろんあるが、危惧きぐしたのはそこではない。

 こわかったのだ。

 高橋という帰る場所が、あやふやになってしまった今。旅に出てしまえば、自分は二度とこの場所に戻って来やしないのではなかろうか。そんな疑念をふり払えなかったから。


 あまりにもしつこい鈴木の主張ばかり聞くのにも辟易へきえきしてきたために、そんな俺の気持ちを語ってみる。

 すると鈴木は何かを思い悩むようにして黙り込んでしまう。

 そして、しばらくしてから口を開いた。


「俺は高橋しかいないと、彼女以外にはありえないとそう思ってきた。それはお前にとっては違うのか? 自分を今いる場所に留め置いてくれる存在であれば、それが『誰』であってもいいのか?」

「『誰』でもいいなんて、そんなことは考えていないさ。まあ、でも俺のそういうところが高橋に愛想つかされたところなんだろうさ」


 俺のその言葉に、鈴木が首を振ると立ち上がり、ここから去る気配を見せる。


「とにかく俺はこんな結果、認めないからな。俺なりに動かせてもらう」

「あー、気を遣ってもらうのは素直に嬉しいんだが、あまり無茶はするなよ」

「ぬかせ」


 また随分なものの言いようだ。

 まあ鈴木の立場を考えると、色々と思うところがあるのは理解できるところだ。罪悪感に嫉妬心しっとごころに焦燥心。内心でいろんな感情が渦巻いているのだろう。もっと適当に生きればいいのに。真面目な奴はいい奴だが、扱いにくい。


「ケセラセラ、ケセラセラ」


 なんとなく鈴木の焦りみたいなものにあてられた気がしたので、魔法の言葉を唱えみる。幾分かマシになったが、当初あったしこりのような感情は未だ解消できなかった。


 すると携帯電話に着信がはいる。

 これ幸いと、画面へと目を向けるとそこには懐かしい名前があった。

 嬉しく思って、通話ボタンを押す。


「田中ちゃん?」

『あ、佐藤さん! 私、今度東京に行くことになったから、何か食べたいものあるっ?』


 挨拶もそこそこに告げられたのは、旅の途中、長崎で出会った少女のそんな報告だった。

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