第86話 独白①(彼女視点)

 佐藤くんとのデートを明日にひかえて、自室にてその準備を済ませる。

 彼がよく「せっかくの一人暮らしにしてはシンプル過ぎやしないか?」なんて軽口を叩くほどに殺風景な自らの部屋を眺めつつ、思った。


 私は、これからどうすればいいのだろう?


 とりあえずには夕飯をとり終えて、お風呂にも入り、あとは就寝しゅうしんするしかない。しかし、このまま眠る気分にはならなかった。だから部屋の中央にいたラグマットの上に腰をおろして、呼吸を整える。

 テレビはつけない。

 音楽もいらない。

 ただ自然と目をつぶり、私は瞑想めいそうを始める。


 思い起こされたのはやっぱり──あの日のことだった。



「俺が高橋を嫌いになるなんてことは絶対にない」


 その言葉を聞いたとき、私は救われたと感じた。

 泣きたくなった。

 同時に身体の奥底から、なにかほんのりとあたたかくて心地よい気持ちがふつふつと湧き上がってくる。驚いた。人というのはこんなにも、人に対していつくしみの気持ちを持てるのかと、そう思った。


 私が彼を、佐藤くんに酷い裏切りをしてしまった、あの日。

 彼は私を救ってくれた。

 あのとき彼がかけてくれた言葉は、私にとってどんな宝石よりも価値のあるかけがえの無いものとなった。

 断言できる。

 生涯において、あの日の気持ちを忘れることは決してない。私はその日はじめて、彼のことを真に『愛する』ことができたと確信した。


 溢れ出る想いを涙としてあらわしながら、彼の言葉を聞く。その言葉一つ一つを受け止めていくだけで、胸がいっぱいになっていく。

 胸を埋め尽くすのは感謝と、そして彼をしたう気持ちだ。

 とにかく彼のことが、愛おしくて、そして申し訳なくて仕方がない。

 それを自覚すると、これまでの自分の気持ちが、どれほどに幼稚で自分勝手だったのかというのが理解できてくる。


 それまでの私はただただ、彼のことが『好き』なだけであった。好きな人へと「私を見て欲しい」とわめくだけの小娘こむすめでしかなかった。

 かしましく騒ぐだけで、彼に対して何かしらも与えることをしようとしない。ただ与えられるモノを当然の権利だとして享受きょうじゅするだけ、そんなのはただの子供だった。


「君は俺にとって『特別』なんだ、それだけはどうか分かっておいてくれ」


 佐藤くんが最後にそう言って、私へと微笑みかけてくれる。その真っ直ぐで、どうしようもなくさびしい。深い色をした『眼』を私へと向けて。

 私はまた彼から与えられていた。嬉しくて、自分が情けなくて。ついにはこらえきれなくなり、声を上げて泣いてしまった。


 二つ、確信したことがある。


 このまま彼と一緒にいれば、私は幸せになれるということ。

 理由は言うまでもない。

 彼は私の運命の人だ。私の人生において、彼以上に愛すべき人は現れないだろう。彼の伴侶はんりょとして、ずっと傍にいられるのであれば、これ以上に望むものなんてない。

 誰よりも大好きで、愛する人。それが彼だ。

 だから問題なのは、もう一つの方。

 

 このまま私と一緒にいても、彼が幸せになれないということ。

 何故ならば、彼は私のことを好きではない。私を女として欲しいなんて考えは欠片も持ちあわせていない。

 今回の件からも明らかだった。

 彼は私に異性としての劣情れつじょうを抱いていない。だからこそ、嫉妬や怒りという激情げきじょうに惑わされることなく、私という人間を許そうとしているのだから。


 これでも彼とは長い付き合いだ。

 彼が私のことをどのように想ってくれているかなんて、薄々と勘づいている。彼は幼少の頃に私がほどこしたという『恩』とやらに囚われている。その私自身が記憶してもいない恩に、彼はずっと固執し続けていた。

 結果として生まれている感情は、義理ぎり恩情おんじょう

 私とはまるっきり逆だったのだ。

 私のことが『好き』ではない、けれど誰よりも『愛して』くれている。

 どちらかというと家族に向ける親愛に近い。

 そして家族と一緒にいるためには相手に『恋』をする必要なんてない。


 彼はそれでいいと思っている。

 多分、自分には恋をすることなんて不可能だと考えている。

 彼の寂しそうな『眼』を見ていてたらわかる。

 彼はきっと『何か』をずっと探しているのだ、自分が持ちえていない『何か』を。だからこそ、それを探しに『旅』に出るのだと、私はそう解釈している。


 私はそれをどうにかしてあげたいと思った。


 誰か他の人に聞いたら、首を傾げられることかもしれない。頼まれもしないのにわざわざ混ぜっ返す必要なんてないと言われるかもしれない。

 けれど決めた。

 彼が恋を知らないというのなら教えてみせる。

 考えるべきは何よりも、彼の幸せ。

 それがこれまで与えられてきた私がするべき、恩返し。

 

 アレコレと考え込んでいるが、こととしては単純だった。

 これは勝負なのだ。

 彼は強いて言えば『旅』をすることに恋をしている。

 そんな強敵を恋敵ライバルにして繰り広げる恋愛模様。


 彼に『片時かたときも離れず、ずっと傍にいて欲しい』と、そこまで言わすことができる運命の相手を見つけ出すこと。

 それこそが、私が彼のためにできることなのだ。

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