第75話 恋愛観を指摘された日

「なんだそれは、怪談ではないか」

「いや、そうなんでしょうけど。そういう記憶が確かに残っているから、どうしようもないんです」


 時は流れて、大学に入学して間もない頃。

 大学構内の学生食堂にて、俺は一人の男性と昼飯を一緒にしていた。

 ちなみに献立こんだては互いに唐揚げ定食である。


「お前がホラ話を吹いているとは言わんが、丸々と信じ切れる話ではないな。その旅人とやらがマジシャンで、幼気いたいけな少年を揶揄からかったのだとでも、そうとらえておく。おっとホラ話とホラー話をかけたわけではないぞ」

「いや、誰もそんなこと言ってません」


 唐揚げを口一杯に頬張り、口をモキュモキュさせながら言ってくる男性に、こちらもモキュモキュしながらこたえる。

 相手は入学以来、何かとお世話になることの多い四年生の先輩であり、そのときも俺は相談に乗ってもらっていた。変わり者で有名な先輩であるが、親しみやすく、何かと大勢からしたわれる男性である。


「それでトラ先輩はどう思います?」

「お前が高橋嬢に惚れた理由だったか」


 つまりは恋愛相談を彼に持ちかけていた。

 当時はまだ高橋とは男女の仲だったわけではない。鈴木と俺が、それぞれ高橋へと交際を申し込み、返事を待っているころ合いだった。恋の鞘当ても佳境かきょうといった段階だ。

 そんな中で、お世話になっている先輩から隠し持っていた懊悩おうのう看破かんぱされ、気持ちを整理するためにも自らの胸の内をさらけ出したといった次第しだいである。


「よく言われることがあるんです。俺は本当に人を『好き』になったことがないんだって、まあ半分くらいは当たっている気もします。物事に無関心な気質だとは自覚してますし。それでも、あのときの気持ちは否定されたくない、そう思う自分だってあります」

「確かに、世間一般的に人を『好き』だと思う感情とは毛色が違う気もせんではないが──」


 そこで先輩はいくつか質問をさせろという。

 頷いて了承する。


「お前は高橋嬢を襲いたいと思う気持ちはあるのか?」

「あるわけないじゃないですか」


 即答した。

 高橋の望まないことをする気は毛頭ない。


「向こうから誘ってきたのなら?」

「もちろん応えます」

「では、高橋嬢と付き合えることになったとして、彼女が『他の男を好きになった』と言ってきたらどうする?」

嫉妬しっとでハゲます」

「ハゲたあとは?」

「そいつが高橋を幸せにしてくれそうならば身を引きますけど」

「自分の幸せと、高橋嬢の幸せ。どっちが大事だ?」

「もちろん高橋です」


 質疑応答しつぎおうとうがそこまで進むと、先輩は考え込むような動作をとり「チグハグだな」とつぶやく。そしてしばし黙り込んだかと思うと、結論を俺に述べてきた。


「あえて語弊ごへいがある、誤解されるような表現をさせてもらう。お前は高橋嬢のことを『愛して』はいるが、『好き』ではないんだろうな」

「なっ」


 先輩のあまりの言い草に絶句する。


「男と女の関係において、互いに尊重しあって、愛し愛される関係ってのはそれはまあ理想だな。理想ではあるが、全員が全員、それを実現できているわけでもない。どうしてか? それは相手のことを『好き』だと思う気持ちがあるからだ」

「なんか言っていることが変じゃありません?」

「うむ、自分でも言っていて混乱してきたが、まあニュアンスで理解しろ」


 先輩は「それで、だ」と話を改め直す。


「人を『好き』だと思う感情にだって、色々ある。当たり前だな。けれどそんな中で、多くの人に見受けられる共通項だってある。相手を自分のものにしたいという『獣欲じゅうよく』だ。聞こえは悪いが人間だって動物の一種だから、ごくごく自然なことで恥じいることではない」


 そこで先輩は俺のことを見据えて、はっきりという。


「お前からは、その『獣欲』が感じられん」

「それは、そうかもしれませんが」

「厳しいことを言っているかもしれんが許してくれ。何もお前の性格を否定したい訳ではない。むしろ、その気質は美徳だ。多くの人間が目指しても到達できていない精神の境地なのかもしれん。ただ、な」

「ただ?」

「自分よりも相手を優先するなんて、無償の愛。人によっては『都合のいい男』だととらえるやからもいる。そうでなくとも、相手からは『獣欲』がないことを不満に思われることだってあるかもしれない。そんな性質でもあることは理解しておけ。そして、よくよく悪い女には気をつけるように」

「高橋は悪い女ではないので大丈夫です」

「うむ、世界の女性は彼女ただ一人ではないからな」


 先輩は、そこでまた唐揚げを口へと放り込み、咀嚼そしゃくする作業へと戻る。俺もそれに追従する。


「お前たちの恋。俺もなんだかんだと近くで見させてもらってきたが、そろそろ決着がつくのだろう。そのときに要らぬ労苦を背負わぬように、自分のことをしっかりと見つめ直しておくのは悪いことではない。何かの気づきになれば幸いだ。頑張れよ、私も応援している」

「はい」


 そのようにして先輩との会話は終わる。

 なんだかんだと彼に話をすることによって気分が晴れている自分に気づいた。彼は来年には大学を卒業して教師をするという話だ。もっと交流を持ちたかったという残念な気持ちを覚えるも、まだ時間はある。今後もお世話になることにしよう。一度、彼を誘って旅に出るのもいいかもしれない。

 そんなことを考えていると、先輩が思いついたように言葉を付け足してきた。

 

「最後にせっかくだ。何か含蓄がんちく深い言葉でも残しておきたいと思ったが、何も思い浮かぶことがない。なので、俺の持論でもお前に伝えておくことにする。『馬鹿者だけが恋をする』。お前は少し賢すぎるキライがあるからな、ちょっとは物事を楽観して自己都合を優先する言動をとるのも、悪いことばかりではないぞ」

「いえ、俺は先輩ほど『馬鹿者』には徹しきれませんので」

「先輩に向かって何を言うか」


 苦笑するように笑う先輩と一緒になってめしを胃袋へとかっこむ。

 男同士の恋バナなんて、飯をかっ喰らいながらにするのがちょうど良いのだ。

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