第74話 故郷ができた日

 高橋は「ごめんなさい、勝手に読んじゃった」と俺が鈴木に預けていた手紙をかかげて謝ってくる。鈴木の方を見ると「わるい」とでも言うようにこちらを拝んでいた。きっと彼女から強引に奪われてしまったのであろう。

 別に、他人に見られて困る内容は書いていないので、とがめることはしない。しかし、問題はよりにもよって高橋に読まれてしまったということだった。


 高橋は勝気かちきな女の子で、馴染みの中でもよく目立つ存在だった。基本的には素直な性格をしているのだが、少し自分の感情にも素直すぎて我儘わがままなところがある。あと無用な正義感も強い。家出する少年の存在を知れば、どうにかして思いとどまらせようとするのは予想できることであった。

 いつか近所のばあさまが、あんな子ほど将来は淑女しゅくじょになるもんだと笑い飛ばしていたが、疑問に思えて仕方ない。


「どういうつもりなの?」

「旅に出ようと思って」

「そんなのダメッ!」


 何がダメなのか、その理由さえ明確にせずに高橋が言葉を放つ。舌足らずで可愛らしい声音こわねではあったが、俺にとっては紛れもない否定の言葉だ。知らず、こちらも声を硬くしてしまう。


「そんなのお前には関係ないだろ?」

「関係あるもんっ!」


 またもや理由なき否定の言葉がかけられる。

 イライラする。

 俺だって当時はまだ子供だ。自分の感情を制御できるほどの経験なんて積んでいなかった。


 そこから始まったのは、ただの子供の喧嘩だった。


 ただ「行くな」とわめき散らす高橋と、イライラを隠さずに辛辣しんらつな言葉で責めたてる俺。手が出ることさえなかったが、それなりに収拾しゅうしゅうのつきようがなかった状態に思う。鈴木は介入してこなかった。きっと、どこかで落とし所を探していたのだろう。


「話にならない、俺は行くよ。さようなら」


 ごうやした俺は、そう言い捨てて、脇を通り過ぎるつもりだった。しかし上手くはいかなかった。歩み去ろうとした俺のすそを高橋がギュッと握りしめたからである。


「何する──」


 怒鳴りつけようとして、俺は言葉を詰まらせてしまう。

 高橋が泣きべそをかいていたからだ。

 およそ同年代の馴染みには見せたことがないような涙をポロポロとこぼしている。あの高橋がだ。


「な、なあ?」

「いっちゃ……ヤダ」


 俺がかける言葉にも取り合わず、高橋は否定の言葉を続けながらにグズる。そんな彼女の常ならぬ様子に毒気どくけを抜かれてしまった。

 そしてそこではじめて、彼女がかたくなに俺を行かせたがらない理由というものが気になった。俺の都合は無視して、単におのれの正義感に従ったから引き留めるのだと、いっそ意地悪いじわるがしたいがために俺を否定していると、そう思い込んでいたが違うように思えた。

 だから聞く。


「俺が旅に出ると、高橋は何が嫌なんだ?」

「わかんない……」

「頼むよ、教えてくれ」


 彼女は数瞬すうしゅんの間、考える素振りを見せる。そしてまたもやこらえきれなくなったのか、涙でどもりながらも答えを教えてくれた。


「佐藤くんと、一緒がいい──ずっとずっと一緒がいいよぉ」


 そのとき覚えた感情は、とてもではないが言葉にできない。


 高橋から伝えられた思いを聞いたときに、なんだか、フワリと不思議な感覚に包まれた気がした。それまであった重荷から解放されたような、平気だと思っていた負担が思いのほか重圧だったと気づいたような、そんな清々しい気持ちを覚えたのだ。


 ──ああ、俺は故郷へ帰ってもいいのか。


 もはや完全に怒気は抜けていた。


「佐藤、俺からも言わせてくれよ。最近、なんか変だぞ。高橋には俺から頼んだんだよ、一緒に佐藤を止めてくれってさ。手紙が読まれてしまったことについては謝るけど」


 俺の雰囲気が変わったことに気づいたのだろう。そこで鈴木が声をかけてくる。「ああ、そうだな」と答えつつ、俺は今後の身の振り方を再考することにした。

 なんだか正気に戻ったような気分だった。

 確かに『旅』に出たいという欲求はある。俺がいつか旅に出ることは確定だろう。しかしそれは今、家族や仲間たちを捨ててまでする選択なのかと問われると、それは否であるはずだ。よくよく考えてみれば、ここで俺が家を出ていくことは両親に対する裏切りにも等しい。

 そんな当たり前のことに、このに及んで気がついたのだ。


 それからはグズる高橋をなだめるのに時間を要した。

 俺が「大丈夫、どこにも行かないから」と言うと、高橋は「本当に? 本当に本当?」と何度も疑り深く尋ねてくる。俺はその都度、誠意をもって頷いた。

 ようやっと高橋に納得してもらって、二人を先に帰らせる。

 鈴木に連れられて家へと戻る高橋に対して、俺はお礼を言った。


「高橋、ありがとう。このおんは忘れない」

「おん? なんかよくわかんないけど……佐藤くんが嬉しいならそれでいいよ」


 最後には年相応の無邪気な笑顔を向けてくれた。

 これは敵わないなと、俺は思った。


「さて、と」

 

 二人の姿が見えなくなると、きびすを返す。

 一緒に行かないと決めてしまったとしても、あの旅人には別れを言っておきたい。そう思って、俺はふもとの野原へと足を運んだ。

 そこには予想通り、ぼんやりと呆けた顔をして旅人が俺を待っていた。


「ごめん。一緒には行けないや」

「うん、それがいいよ。残念だけどね」


 やりとりはそれだけだった。

 旅人は立ち上がり、よれたリュックサックを背負うと俺に手を振ってきた。


「それじゃあ月も綺麗な夜なわけだし、僕はもう行くよ」

「また来る?」

「来れたらね。そこはまあ運次第だなぁ」


 旅人は歩き出す。

 てっきり野原を出て街の方へと進むと思っていたのだが、それとは逆方向、野原に一つポツンとある例の『扉』へと向かっていく。

 ああ、あの話まだひっぱるわけね、とそう思った。

 この旅人があの扉の先からやってきたというからには、去るときもまたあの扉からだという、そのような遊びなのだろう。呆れたが、それもこの旅人らしいかと思い直して、何も言わずに見送ることにした。


「では少年、ごきげんよう」

「バイバイ」


 旅人は扉をくぐり、そして姿が見えなくなった。


 驚いた俺は扉へと駆け寄り、周囲を見渡すもどこにもいない。まさかと思い、何度も扉を開け閉めし、中を行ったり来たりを繰り返した。だが、何の変哲へんてつのないただの片手扉のオブジェでしかなかった。

 後日、風のうわさにて裏山の管理者が不法に設置されていた異物を撤去したという話を聞いた。裏山の麓には、今では何もない野原がひろがっている。

 

 あの夜のことは、いまだに何が起きたかわかっていない。

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