第72話 旅人に出会った日

 もう一つ外せないエピソードがある。

 しかしあまりに荒唐無稽こうとうむけいな話なので、信じてもらえるかは微妙なところだ。

 

 幼少期の思い出というものには、振り返ってみるとあまりにも突飛なモノが含まれていることがある。これは俺の話ではないが「空とぶサンタクロースとトナカイを見たことがある」と豪語する者と実際に話したことがある。

 何を馬鹿な、何かそれらしきものを見間違えたのだろうと問うと、「いや、俺もそう思うのだが。しっかりと記憶に焼き付いているからタチが悪い」と苦笑していた。何でもそのサンタとやらは確かに手を振ってくれたのだそうだ。

 そいつは真面目な男で、およそ出鱈目でたらめを吹聴するような男ではなかった。なので、何かしら記憶違いを起こしても仕方ない事情があったのか、それとも本当に空とぶサンタクロースを見たのかのどちらかだろう。


 これからする俺の話というのも同じようなものだ。


 自らの出自を知り、祖父母の家から戻った俺は、何かと物思いにふけることが多くなった。だから近所というには遠い、裏山のふもとに向かっていた。そこにはカランとした野原が広がっていて、誰もいなかった。キャアキャアと子供らしく騒ぎ立てる馴染なじみたちの輪の中にいるのを苦痛に感じた当時の俺は、静けさを求めてそんなところにまで足を運んだわけである。


「うわ、旅人がいる」


 無人であると思われた空き地に先客がいて、俺は思わず声をあげた。

 何ともヘンテコな男だった。

 ぼろ衣のような服とくたびれたリュックサックを持った若い男性だ。そう表現すると小汚い浮浪者を想像できるかもしれないが、意外にも清潔感がある。まるでそういう配役はいやくの衣装を着ているような、そんなキャラクターを見ているような不思議な気持ちになる。

 何というか嘘くさいのだ。

 男の格好は時代がかっているというか、まるで御伽おとぎ話の登場人物のような感じである。その姿はまさに俺が想像イメージする旅人そのものであった。


「やあ少年、お邪魔しているよ」

「あんた誰?」

「君が言った通り、ただの旅人さ。名前はとっくに置いてきたよ」

「うわぁ」


 ヤバい人だと認識して狼狽うろたえる。

 しかしどうしたことか、このときの俺は彼と話をしてみたいと、そのように考えてしまったのだ。


「嗅ぎタバコ、いる?」

「俺、子供だよ」

「おっと失礼。ここでは子供に与えたらマズイものだったかな?」

「ここでもどこでも、子供にタバコはいけないよ」


 隣へと近寄りながら嗅ぎタバコを吸う彼の様子を見る。

 何というかもう絵面えづらが危ない。

 粉末状の何かをスンスンと吸い込む彼からは犯罪のにおいしかしない。


「あんた、どこから来たのさ?」

「あの扉の先からさ」

「話すつもりはないわけね」


 旅人が示したのは野原にポツンと立っている一枚の扉だった。何も建物があるわけでもない場所に、古ぼけた片開きの扉だけが存在している。

 別に不審に思うことはない。

 以前からこの場所にそれがあることは知っていたからだ。

 少し前に、馴染みの一人が発見したのだ「おい、裏山に秘密道具があるぞ」と。誘われて集団でやってきてみると確かにこの扉は存在した。全員で「未来の世界の猫型ロボット」のごっこ遊びをして楽しんだのは言うまでもない。とはいえ、ただの扉である。望んだ場所へとホイホイ行ける秘密道具なんて代物では、もちろんなかった。早々に飽きて、以来誰もこの場所へと近づかなくなったのは当然の帰結だった。


「あんなの近所の爺さんがたわむれに作った現代アートかなんかでしょう?」

「ああ、そうかもね。いやこれは不思議なものがあるものだと、僕は感銘を受けたものさ。あれはスゴいものだよ」

「はいはい、そうだといいね」


 何となくだが、俺はこの旅人との会話が楽しくなってきていた。

 俺が何を話そうとも、ノラリクラリとまるで実のない受け答えをする彼の言葉は何とも空虚くうきょであり、それが俺にとっては気楽で心地よかった。

 だからだろうか、俺はその旅人とまた会う約束をした。

 そうしてそれからしばらくの間、馴染みの友達とはつるまずに、遠く裏山へとやっってきては、旅人と会話する日々が続いた。


「この街はいいところだね」

「そうでしょう。でも、あんまり好きになれない自分がいる」

「おや、それは奇異なことを言うもんだね、君の故郷なんだろう?」

「故郷だと思ってたけど、違った──かな。俺にとっては」

「ふむ」


 言葉では説明しきれない感覚を語ったところで彼は追求してくることはない。だからこそ、この旅人には適当なうそも話せたし、両親や馴染みたちには決して伝えきれない本音をも語ることができた。


「この街には目指すべきものがないんだ。前はお父さんみたいに立派な大人になるんだってあこがれがあったのだけど、それも今じゃ嘘くさく思えてくる。だってさ、それは実の息子の……弟の役目だから。せめて弟じゃなくて妹だったら、俺でもになえる部分があったのかもしれないけど」


 自分には不相応な目標だった。

 子は親を見て成長するなんて言葉があるが、それは全て弟がするべきことであって自分ではない。そうなると自分が立っているところに確かな地面があるのかと、グラグラした気分になるのだ。


「ああ、確かに。どうせさずかるのであれば血のつながらない弟よりも妹の方がよかったというのはわかるよ。うん、とても分かりみが深い。何なら同情すらする」

「今の話を聞いて、そんな言葉を返してくるから。アンタのことは気に入ってるよ」


 俺が呆れていると、旅人はお返しとでも言うように口を開く。


「少年。前々から思っていたが、君は僕に似ている」

「え、心底イヤだ」

「おっと僕は深く傷ついたよ」


 とてもそうは見えない胡散臭うさんくさ台詞セリフを吐きながら、旅人の言葉は続く。


「僕にも故郷なんてものはない。生まれいでた地という意味では確かにあるんだろうけど、そこへ帰る理由がない。とことんない。回顧するべき思い出も、待っている人すらいない。そんなところを故郷と呼べるわけがない。自分が一本の植物だとしたら根がないのさ、根なし草。もしくは決して地に横たわることのない回遊魚だ。あ、そうそうラッコって水面をただよいながら寝てるんだってさ豪気ごうぎだよねぇ」

「そのままラッコの話をしたいなら、聞くけど?」

「おっと失敬失敬。話したいのは僕のこと──」


 そして旅人は一つの言葉を言い放つ。


「『どこか。ここじゃない、どこか』を探している」

「どこか……」

「そんな思いだけで僕は旅を続けてる」


 旅人が何を言おうとも辛辣しんらつに言い返してやろうと身構えていた俺は、不覚にも、その言葉に心を掴まれてしまっていた。

 それは何とも魅力的な言葉であり、そして俺の求めている全てを表現している気がした。そうなると俺が彼に似ているという意見も、少しは考慮してもいいと思えるほどに。


「ふむ。少年、僕の旅についてくるつもりはないかい?」

「え……」


 突然の提案であった。


「僕は今夜、ここから去る予定だ。君さえよかったら、一緒に来てくれると退屈しない」

「えと、あの……」


 俺が言い淀んでいると、旅人はこちらの都合は無視するように言葉を続けてきた。


「もちろん。二度と、この場所には戻って来られないと覚悟しておいた方がいい。帰るべき故郷が自分にはないと思えるのならば、今日の夜、またここにおいで。まあ、よくよく考えてみるといい」

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