幕間──回想

第71話 世界がななめになった日

 俺は高橋と鈴木の二人にはおんがある。

 とりわけ高橋には、とてもではないが返しきれないモノをもらったと思っている。だから何とかそれを返しきるまでは彼女から離れるわけにはいかない、そう思っていた。


 では彼女からもらったモノとは何か。

 それを説明しようとすると、まずは自らの出自しゅつじについて話さなければならない。長くなるだろうが、話さずにいては理解されにくい事項だと思われる。どうかお付き合い願いたい。


 俺こと佐藤は、いわゆる孤児みなしごである。

 生まれて間もなく、現在の両親に引き取られ育てられた。

 

 このことは誰も知らない。

 高橋も鈴木も知らないし、古い馴染なじみの誰にも打ち明けたことはない。それどころか弟であるアキも知らないだろう。アイツは何も知らずに血縁としては赤の他人を兄と呼んで暮らしてきたのだ。似てない兄弟だなと、違和感ぐらいは覚えているかもしれないが。


 知っているのは、俺と両親と親戚しんせきの一部。それ以外では良くしてもらっている大学の先輩、それと幼少期に出会った変なやつ、それだけだ。最後の二人については、どうして漏らしてしまったのか俺自身も不思議に思っている。彼らについても後述することになるだろう。


 まずは時系列順に語っていこう。

 俺が自らの境遇について知ることになったのは、ちょうど俺が小学生になる前のころ、親戚一同が祖父母の家に集まったときのことだ。


 そのころはちょうど弟が生まれたばかりであり、話題は自然と弟が中心となった。銘々めいめいが俺たち家族に対して祝福の言葉を述べてくれた。赤ん坊である弟はおくるみに包まれて母に抱かれていた。当然、俺にも多くの言葉がかけられて、親戚の大人たちから『お兄ちゃん』と呼ばれることを誇らしげにしていたことは覚えている。


 そんな風に和やかな雰囲気で行われていた談笑であったのだが、ふとある一人の言葉がそれを一変させた。

 親父の弟、つまりは叔父おじである。

 彼は酔って赤らめさせた顔で、吉事きちじを喜ぶように親父に語りかけた。


「やっぱり兄貴。実際に血を分けた息子が生まれたとなると嬉しいだろう。感慨もひとしおなのかい?」

「え?」


 叔父が言っている言葉の意味を理解するよりも先に、周囲がシンと静まりかえったことに驚いた。誰もが信じられないものを見るように叔父を見て、そしてその後、恐る恐ると言った様子で俺へと振り返るのだ。

 そのおかげで、俺は子供ながらに自分が関係する大事な話がなされたのだということを悟った。


 親父は激昂げっこうし、叔父を殴り飛ばした。

 あの温厚な親父の怒り狂った姿を見るのは、あれが最初で最後だった。


 母親は弟を祖母に預けると、俺をかきいだいた。

 何が何やら分からなかった俺は、ただ母の抱擁ほうように息苦しさを覚えながらも不思議な安堵あんどを感じていた。


 叔父は殴られて腫れた顔のまま俺に謝ってきた。

 すっかり酔いが冷めきって泣きながら俺に「ごめんよ」と言ってくる。だいの大人に頭を下げられる経験というのも中々ない。


 そして俺はというと、一人でそうなのかと納得していた。

 ほかの親戚たちからも色々と言われていた気もするが、記憶に霞がかかって今では覚えていない。


 その日、俺は自らが両親の子供ではないと知ったのだ。


 とは言っても、続く生活に何か激変げきへんがあったかというとそんなことはない。両親はいい人たちなので、変わらぬ愛をもって俺を育ててくれた。俺の事情をもって不都合を押し付けてくる親戚なんてものも存在しなかった。どうやら俺はとても良いご家庭にあずけられたようだった。


 一度だけ、俺のみの親というのがどのような人間だったのか気になって両親にたずねたことがあったが、返答は「お前は俺たちの子供だ」という一言のみだった。

 つまりはとんでもないロクデナシだったのだろうと、それ以来は両親に探りを入れることはやめた。そしてこれは後から知ることになるのだが、俺の産みの親というのはロクデナシではなくヒトデナシだった。

 自力で調べたらそういう結論に達してしまった。これは下手に知らない方が良かったなと思ったものだ。親父の言う通り、俺の両親は彼らだけだった。


 だから、何も不幸なことなんてない。

 むしろ、実の親よりも人間ができている両親や、俺を兄として無遠慮に接してくれる弟と家族になれて良かったと思っているくらいだ。

 両親には感謝しかないし、弟には兄として頼られるようにと思える。

 うれうことなどはない。

 

 その日から変わったことがあると言えば、ただ一つだけ。


 ──俺は両親に感謝しなければならない。誰ならばこそ、血縁でもない子供を育てようと思ってくれるのか。

 ──弟には兄として頼られなければならない。親の子供に対する慈愛にリソースがあるとしたら、彼に向けられるはずだったそれを俺が奪い去っているのだから。


 以前には考えもしなかった、そんなことを考える子供になってしまったということ。

 それはどうしようもなく俺の問題だった。


 何だか世界がななめになってしまったようだった。

 

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