第68話 彼方からの手紙

「なにをやってるのよ」


 日記を読み終えた山本さんはやりきれないといった様子で、そう口を開いた。


 交通事故にあった時間を考えるに、彼は手紙を書き終えてすぐに外へと出ている。事故の目撃者の証言は『自ら身を投げたように見えた』だったか。長時間寝ずに起きていた経験のある方なら理解してもらえることだと思うが、いつ倒れ込んでも不思議ではない状態だったに違いない。

 おそらく彼は手紙を差し出してからの帰り道にて、不幸にあってしまったのだ。


「写真をあと一日でも遅く送っていれば、あいつは死ななかったってこと?」

「そう、かもしれませんが──」


 それは結果論けっかろんだろう。

 

「そしてこれが彼の手紙です、確かにお届けします」


 俺は山本さんへとその封筒を手渡す。

 表書きには山本さんの名前と、そして住所が書かれている。ただしその上から、赤書きで『あて所に尋ねあたりません』という記載があった。


「葬儀のあと、彼の住んでいた賃貸を引き払う際に、受け箱に投函とうかんされていたのを見つけたそうです。宛名が間違えていたせいで返還されたみたいですね」

「本当になにをやっているのよ、あいつはっ」


 山本さんが先ほどより多少語尾を荒げている。

 こう言ってはなんだが、俺もちょっと迂闊うかつすぎやしないかと思ってたりする。まあ寝てなかったらポカぐらいするだろうが、というか仮眠ぐらい取ろうよ。

 興奮していた様子の山本さんであったが、俺が変わらず手紙を差し出し続けていると、恐る恐るといった様子で手にとる。


「中はまだ誰も見ていませんから、なにが書かれているかは分かりません。正真正銘に、彼があなたに送った手紙です」

「わかりました」


 山本さんは封を開けて、中の便箋びんせんを取り出す。

 そしておもむろに紙を開き、手を震わせながら読み始めた。


 少しばかりの沈黙が続いたあと。

 山本さんの瞳から一筋の涙が落ちる。

 そこで俺は自分の不作法に気づいた。


「俺、外に出てます」

「ううん、いいの」


 山本さんは首を振って俺を止める。


「そこにいてちょうだい、お願いだから」


 それから幾つか山本さんとのやりとりが続いた。

 すると山本さんがひとつの了承を求めてくる。


「ごめんね、少し泣いてもいいかしら」

「はい」


 山本さんはひっそりと泣く。

 すすりり泣くようにして頬をらして、なにごとかに想いを巡らしている様子だった。


「……男って馬鹿よね」

「否定はできないです」

「この手紙、いったいなんて書いていると思う? できることならもう一度やり直したいんだってさ。本当に馬鹿。自分を好いてくれた女がずっと同じ気持ちでいてくれると思い込んでる。いつまで経っても変わらない想いなんて……そんなのあるわけないのにさ」

「耳が痛い話です」


 少々バツが悪い。

 かつて、いつまでも変わらない想いを高橋へと説いたのが俺だった。そしてその気持ちを相手にも求めていないかと問われれば、否定できない所である。


「こりゃダメだ。今日は私も飲む、いやむ」

「わかりました。付き合います」

「そうこなくちゃ」


 山本さんは不意に声を張り上げて、自らのグラスを準備し始める。

 そのあせるような早急な様子を怪訝けげんにも思ったが、すぐに理解した。今にも決壊しそうな想いを吐き出す前に、理由が必要なのだ。


 彼女は高い度数の蒸留酒をトクトクとグラスに注ぎ、氷がお酒と馴染むのを待たずに口をつける。

 すると途端に呻き声のような慟哭どうこくをあげ始めた。


「うっ……う、うあ──うあぁぁ」


 俺は何も言わずに、ただそこに座り続けた。

 思えば、ここまで彼女が感情を見せるのは初めてのことだった。

 どんなに厄介な酔客に絡まれようとも、酷い中傷の言葉を投げかけられようとも、気丈にも笑い続けた彼女が見せる初めての涙だった。


 バーの中には彼女の泣き声と、そしてカランとしたグラスの氷が溶ける音のみが聞こえてくる。

 やがて彼女の様子もおさまりを見せて、気持ちが落ち着いてきた頃合いにて尋ねる。


「彼の言葉は、届きましたか?」

「うん、届いた。届いたわ」


 そこで山本さんは俺を見て言った。


「ありがとう、佐藤くん。この恩は忘れない」

「俺は何もしてません。いい役どころだけが巡ってきただけです。ほとんどは義妹いもうとさん、彼女のおかげですよ。そして伝言があります。『どうか会って話をさせて欲しい』だそうです」

「そう、あのこが……」


 今回の件。彼女が兄の死を疑問に思い、あきらめないで真相を追求したからこそ実現したことである。隠すように仕舞しまい込まれていた日記を見つけたのは彼女だ。そうでなければ彼からの手紙も、ただの遺失物として処理されていた可能性は高い。

 そして俺からも会ってやってくれと頼み込む。

 彼女は兄の葬儀の際、家族から責められる山本さんを信じきれなかったおのれを悔やんでいるのだ。そのことにゆるしを与えられるのは、他ならぬ山本さんしかいない。


「うん、そうする。もうちょっと、気持ちが落ち着いたなら必ず」


 山本さんは前向きにそう答えてくれた。

 そして先ほどよりは和やかな空気の中で、互いに杯を傾けあった。

 かつての山本さんと婚約者さんの思い出話なんかを聞きながら、早いペースでグラスを乾かしていく。すると、何がきっかけでそうなったのやら。イイ感じの思い出話は面白おかしいエピソードへと、しんみりとした彼女の様子は楽しそうにニヒリと笑ういつものモノへと変わっていた。

 もしかしなくても彼女は笑い上戸じょうごらしい。

 もはや酔っ払った彼女のからみ酒である。


「だからさ、聞いてる? 佐藤くん、私はさ。本当にあいつには苦労させられてばかりで──あっ」


 すると山本さんが何かに気づいたように声を上げて、口を抑えた。顔をみると真っ青である。これは何か重大なことでも発生したのかと心配になり、彼女の方へと身を寄せて聞く。


「どうしました? 何か思い出したことでも──」

「……気持ち悪い」

「へ?」


 対処する時間なぞなかった。

 彼女は寄ってきた俺を捕まえると、その身の内から熱くておどろおどろしいものを俺の身体に──


「お゛えぇぇ」

「ぎゃあぁぁ」


 そのように騒がしく夜を過ごしていると、どこからか誰かが笑っている気配を感じた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る