第64話 独白②(京都の乙女視点)

 アイツから婚約を破棄することを告げられても、私は異を唱えなかった。あったのは、ただただ安堵あんどの感情だけ。これでようやく、苦しい日々は終わりを迎えるとそう思った。


 そうはならなかった。


 別れた後でも、なにかの鬱憤うっぷんを晴らすようなアイツの干渉かんしょうは続いた。とはいえ別れているからには大仰おおぎょうな嫌がらせはさすがにできないようで、私へと連絡をよこしては不愉快ふゆかいになる発言をする程度で済んでいた。

 私は連絡先を変え、アイツからの通信その他諸々たもろもろは拒否できるような体制をつくる。そうして静かな生活を獲得かくとくして一息をつくと、次第にムカムカとした感情が私を支配するようになった。


 それは怒りだ。


 婚約している最中は私にも非があったのだと、私の方が我慢するべきなのだと、つつましい態度をとっていた。そんなわけあるか。どう考えてもアイツが悪いに決まっている。

 悪いやつはどうするべきか、やっつけなきゃ。

 そんな短絡的な思考に支配されて、私は復讐を考える。


 いつだったか流行語にもなったではないか、やられたらやり返す。それが道理というものだ。とはいえアイツのようにネチネチと長引くような仕返しは好みではない。ガツンと一発、アイツの頭に響くような衝撃を与えてから撤退したい。

 そんなことを考える。


 アイツの一番嫌がることは何か──それは私の幸せだ。

 私がアイツとは違う男と、親密そうにイチャイチャしていたら、さぞや悔しがるだろう、苦しむだろう。

 妄想すれば思わず口角が上がる。

 そしてもしかしたら。

 それを受けてアイツが自らの行いをかえりみてくれるかもしれない、後悔してくれるかもしれない。そんな希望が捨てきれない。

 私という存在のかけがえのなさに気づいて、ああ自分はなんて馬鹿だったんだろうかと。今からでもいい、彼女に謝ってやり直したいと。

 そんな風に思ってくれるかもしれない。

 そしてもだえるアイツを前にして、私はこう言ってやるのだ。


『ざまぁみろ。今更いまさら後悔しても、もう遅い』


 それはとても甘美な誘惑に感じられる。

 そうすることで私はとても大きな優越感にひたれることだろう。

 そんなことを考える。

 そんなことを……考えてしまったのだ。


 できるだけ遠い伝手つてをたどって協力してくれる男性を見つける。

 もちろん、虚言きょげんの演技だ。

 相手にも事情を説明して、謝礼も用意している。

 なにせ今の私にとって、男というのは信用できる生き物ではない。できる限り後腐あとくされのなさそうな、恋愛ごとに無頓着むとんちゃくな者を相手として選んだ。

 

 男性と情熱的なキスをしてそれを自撮りする。

 おぼこでもないので、必要とあらばキスするぐらいどうってことないと考えていたが、意外にも体が強張こわばって上手いこと演技できなかった。

 思い返してみると、アイツ以外の男とキスするのは初めてのことだった。どうしてだが罪悪感を覚えてしまい、なにを馬鹿なことをと思った。


 撮った写真を送る。

 アイツをあおるような一文も添えてだ。

 こちらからブロックしていた通信を一旦解除して、またブロック。


 気分は晴れなかった。

 感覚としては携帯を操作しただけだ、なにも身にしみて感じるものはない。当たり前といえば当たり前だった。アイツの悔しがる反応を見るまでが復讐だ。後で義妹いもうとに事情を説明して様子を見てもらおうと、そう思った。

 そうして気持ちに一区切りつけると、その日は早めに寝床に入る。

 妙な胸のつっかかりがして、中々に寝付けなかった。


 翌日。

 両親からアイツが亡くなったことを知らされた。

 私はなにも考えることができなくなった。


 気がついたら、アイツの葬儀に参列している。

 いや違う、参列しようとして門前払いを受けている。

 投げつけられた湯呑みからお茶を被り、私はずぶ濡れになってアイツの家の敷地内に入ることを拒まれていた。

 アイツの母親だ。そして私の義母ははになるのだと、かつてしたっていた相手でもある。

 彼女は手近にある、ありとあらゆる物を私に投げつけてくる。そしておよそ考えられる全ての恨み言をもちいて私をおとしめた。


 場内には大勢の参列者がいたが、その全てに私の所業が暴露ばくろされた。そこから向けられるのは、これまで感じたこともないような侮蔑ぶべつの視線。恐怖すら感じる敵意。両親ですら信じられないといった顔でこちらを見ている。


「ちが──」


 私は口を開くことができなかった。

 なにが違うというのだろう。


 それは虚言であり、アイツをへこませるための行いだと?

 そもそも別れた後のことであって、不貞な行為ではないと?

 アイツもこれまで、私が苦しむぐらいに嫌がらせを続けてきたのだと?


 そんな申しひらきをしたところで何になる。

 アイツは死んだのだ、最期まで私へと恨みつらみを抱えたまま。

 そのことは純然じゅんぜんたる事実。


 義母の言う通りである。

 アイツを殺したのは紛れもない、私だ。


 親族席をみる。

 これまで何があっても私の味方でいてくれた義妹はジッと顔を下げていて、決してこちらと目を合わせようとはしなかった。

 どうやら見限られたようだ。


「そっか『今更に後悔しても、もう遅い』か。確かに本当だ」


 色々と納得して、そんなことをつぶやく。

 居た堪れなくなって逃げ出す前にせめてと、アイツの遺影へと目を向ける。見覚えのある写真だった。かつてアイツと私が、 わずらうことなく笑い合えていた頃の笑顔だった。

 そんなアイツの笑顔が『ざまぁみろ』と私をさげすんでいた。

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