第63話 独白①(京都の乙女視点)

 きっかけは些細ささいな言い争いからだった。

 仕事で帰りの遅くなった、幼馴染おさななじみで婚約者であるアイツと口喧嘩くちげんかしたことがことの始まり。


「まさか浮気とかしてるんじゃないでしょうね?」

「──っ。君にだけは、疑われたくなかった」


 売り言葉に買い言葉。私が発したそんな疑問にアイツは絶句して傷ついたふうを見せると、そんな言葉を返してきた。そうして喧嘩はその日のことだけで終わって、明日からは変わらぬ毎日がやってくる。そう思っていた。


 地獄のような日々はそれからだった。


 最初に異変に気づいたのは友人から心配するように尋ねられたこと。


「あのさ。ちょっと聞きにくいんだけど、新しく好きな人ができた……なんてことはないよね?」

「はい? なにそれ?」


 新手あらての冗談かと思った問いはどうやら真面目に聞いているらしく、詳細を求めると、どうやらアイツが周りに吹聴ふいちょうしてまわっているらしい。私が浮気をしている可能性があるから何かあれば報告してほしい、と。

 子供の頃からの付き合いだから、共通の友人を介してアイツの動向はすぐに知れた。私はアイツに詰めよった。


「どういうつもり?」

「どうもこうも君から疑ってきたんじゃないか。俺が同じことしたからって文句を言うなよ、すじがとおらない」

「好きにしなさい」


 どうやら先日の喧嘩のあてつけらしい。

 確かに私とて心無い言葉をかけてしまった自覚はあった。だからこそ、アイツの気持ちがそんなことでまぎらわすことができるのなら、それでいいかと放置することにした。そのうちに飽きるだろうと思っていた。


 しかしアイツの行為はエスカレートしていく。

 当初の『浮気しているかもしれない』という疑問は『浮気しているに違いない』という確信へと変貌へんぼうしており、様々な探りを入れられた。そしてそれを周囲にばらまいていく。もはや嫌がらせだ。


 私は、様々な場所で奇異きいの目を向けられるようになる。

 友人たちから、近所のよく知ったご家庭から、仕事先の関係者から。好奇こうきの視線、戸惑とまどいの視線、そして軽蔑けいべつするような非難の視線。


 一度、『俺とも浮気しないか?』なんて口説くどいてくる馬鹿が現れたこともあった。あまりにもグイグイと迫ってくるものだから怖くなって逃げた。

 アイツはそれを聞いても助けてくれなかった。

 それどころか『自業自得じごうじとくだろ』などと言われた。

 私はつらさのあまりまくららした。


 そんな中で変わらずに私をはげましてくれた存在がある。

 アイツの妹だ。

 彼女だけは子供の頃からと同様に、私をしたって味方でいてくれた。


「ごめんなさい。お兄ちゃん、仕事がうまくいってないみたいで」

「うん、大丈夫。わかってるから。私こそ、もっと言葉に気をつかうべきだった」


 実家の和菓子屋は長兄に任せて、アイツは家を出て就職しゅうしょくして頑張っている。それは私がよく知っている。アイツが私との生活のために選んでくれた道だからだ。それならば誰よりも私がアイツを支えなければならなかった。そんな中で私が浮気を疑ったものだから、アイツはひねくれてしまったのだ。

 そのように理解しているが、感情がついてこない。

 このままではアイツのことを嫌いになってしまいそうだった。


 いつか義妹になるはずの彼女に支えられながら、なんとか我慢して暮らしていた。そうすればきっと、アイツも冷静になってくれる日がくるに違いない。夫婦として生活していくならば、こんなことで負けていられない。

 そう自らに言い聞かせ続けていた。


 そんなある日、二人で貯めていた結婚資金がなくなっていることに気づいた。追求すると、私の浮気調査のために使い切ってしまったという。


「あなた──おかしいよ」


 そのときにはもう、私には「この人と結婚したい」という気持ちは欠片かけらも残されていなかった。

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