第58話 無事に丸め込みました

「何してくれてんだっ──ぁがっ!」


 激昂げっこうして女性従業員に手を伸ばした男を取り押さえる。

 相手は成人男性ではあるがベロベロに酔った状態だ。元より、あらゆる事態を想定してシミュレーションをしていた俺にとっては、難なく組み伏せることが可能な相手であった。

 後ろからややキツめに羽交はがめにすると、にっちもさっちも行かない様子である。口だけは相変わらず威勢いせいがいいようであったが、無視した。


「山本さん、大丈夫?」

「うん大丈夫。さすが頼りになるね」

「これぐらいしかできないから」

「ううん、すごくありがたいよ」


 この場で一番ショックを受けるべき人に声をかけたのであるが、予想に反して彼女は落ちついていた。それどころか男へとグラスを浴びせかけ、興奮して荒い息を吐きながら涙している女性従業員を抱きかかえてなぐさめている始末しまつである。強い女性だと感嘆かんたんする反面、ちょっと気丈にすぎる。

 あれこれと不安に思うところもあるが、目下もっか、対応しなければならないのは他のことだ。


「この人はどうする?」

「あんまり騒ぎにはしたくない……かな?」

「わかった。それじゃあ穏便おんびんに済ませてくるよ。ちょっとおいとまする」

「お願いします」


 男を連れて店外へと出る。そろそろ飲兵衛のんべえたちにとっても遅い時間なので往来おうらいの数はそこまで多くはなかったが、それでも何事なにごとかと注目の視線を受けることはまぬがれない。

 仕方ないので、そのまま人気がなく静かに話ができる場所へと男を引き連れていき解放する。そうすると男はおびえたような様子を見せる。きっとのっぴきならない事態におちいったことを悟り、酒精しゅせいが抜けてきたのであろう。あとは、抵抗しようとしてもビクともしなかった俺に対する怯えもあるに違いない。


「俺をどうするつもりなんだ?」

「どうもしませんよ。まあちょっと強引に連れ出させてもらいましたけど、危害なんて加えません」

「本当かよ」

「本当です。それじゃあ行きますよ」

「行くって、どこにだ?」

「二軒目です。あなただってこのんで暴れてたわけじゃないでしょう。あなたの話を聞かせてください。俺だって男ですから、きっと共感できることもありますよ」


 山本さんにどうするかと問えば「騒ぎにはしたくない」と答えたのだ。だから、この男性が間違ってもあのガールズバーへと遺恨いこんを残さないように手を打たせてもらう。

 懐柔策かいじゅうさくだ。

 人間関係のトラブルというのは溜飲りゅういんさえ下げられれば八割方はちわりがたは解決したも同然どうぜんなのだ。あらゆる手を使って手なづけさせてもらうつもりだった。


 その後、俺は様々な話を繰り返して、彼の心のうちについて知る。

 ときには下手に出て、ときには調子にのるなと威嚇いかくし、ゆっくりと時間をかけて、彼の気持ちをみほぐしてゆく。

 なんのことはない。彼とてただの人の子であった。

 日頃から溜まり続ける鬱憤うっぷんのやり場に困り、酒と彼女たちにその矛先ほこさきを向けたと、そんなつまらない理由が原因であった。


 彼も話をしているうちに段々と冷静になってきたようで、そうなると自らのあやまちについて後悔しだしたようだった。


「俺はどうしてこう、ダメな奴なんだろう」

「もう本当にダメダメですよ。まあでもダメじゃないやつなんてこの世のどこにもいませんから、それでいいですよ」

「けどさ、こんなにダメな奴なんて世界で俺だけだよ。俺は、今回の件で自分を見下げはてた」

「そんなこと言って。それと同時にそんな風に反省できるおのれも悪くないって思ってるくせに」

「君は的確に人の痛いところをえぐってくるな」

「人間なんて、そんなもんです。みんな自分のことが大嫌いで、そして大好きなんですよ。そこは背反はいはんすることじゃないんです。そんな中で己のことを許せなくなったものから壊れていくようになっています。だからまあ、あんまり気にしすぎるのは良くないですよ」

「──あの店の人たちに、謝りたいな」

「多分、あなたは出禁できんまぬがれないでしょうから。今日、あなたから聞いた話は、従業員のたちにそれとなく伝えておきます。当面は近寄らない方が賢明だと思います。ほとぼりが冷めたら、オーナーに謝罪でもなんでもしてください。俺も頭を下げにいった身ですから言いますけど、結構おっかない人でしたよ。でも、まあ人格者でした」

「そうなのか──すまないがよろしく頼んでもいいかい。それと君にも、こんなどうしようもない俺の話を聞いてくれて感謝している」

「どういたしまして。俺としてもいい経験でした。また京都に来たときは一緒に飲んでください」

「ああ、そうさせてもらうよ」


 そのようにして穏便に和解する。

 もし山本さんが望まなかったら、このように穏当おんとうな結果には終わらなかっただろう。俺とて、全くのいきどおりがないと言ったら嘘になるのだから。全くもってこの人は反省して、そして山本さんに感謝して欲しいものである。

 そのようなことを思いながら男とは別れた。


 すでに空は明るくなりかけていた。

 チチチと名前も知らない小鳥の声がうるさい。


 もしかしたらもう誰もいないかもしれないな。

 そんなこと考えつつ、店へと戻る。

 するとそこには二人、俺の帰りを待ってくれた人がいた。


 山本さんと、そして連絡を受けて駆けつけたというオーナーさんである。


「無事に丸め込みました」


 男とのやりとりと、そして彼の意向を伝えると、二人ともホッと安堵した様子を見せる。そして俺に対してねぎらいの言葉をかけてくる。


「よくやってくれました。何かお礼を考えておきます」

「本当に、ありがとう。私のために怒ってくれたあの娘も不安がっていたから、これで安心させてあげられるよ。佐藤くんがここまで頼り甲斐があるなんて、お姉さんびっくりしちゃった」

「これで迷惑かけた分のお返しができたなら、嬉しいです」


 そのように返事をすると、オーナーさんが茶目っ気のある笑顔を見せて笑った。


「そうですね。もう一回ぐらい大酒を飲んで粗相そそうしてくれて構わないですよ。そうすれば今度こそ、うちの店の従業員として雇わせてもらいます」

「いやいや。もうあんな恐怖は味わいたくないので遠慮しておきます」


 はだか土下座を思い出して苦笑する。

 とにかく今日はもう、宿に戻って休ませてもらいたい気持ちでいっぱいだった。

 積もる話は、また今度だ。

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