第56話 お姉さん、がんばっちゃうかんね

 なんのことはない、ただの荷物持ちであった。

 山本さんの実家へと付き添い、俺へと依頼されたのは引っ越しの荷物を自動車へと積み込む際の力仕事である。そこには漫画的なイベントは一切なく、あるのは引っ越し業者のような労働であった。おそらく今日の晩御飯は美味しいに違いない。

 彼女は近いうちに東京へと居を移すことになっており、これまでは必要に応じてつどつど実家へとおさめていた荷物も、持っていくことにしたそうである。


「宅配便とかで送らないんですね」

「大きすぎる家財とかもあるからね、そこの本棚とか」

「それこそ引っ越し業者さんとかは?」

「あーそこには深い事情があってだねぇ、業者を使うとご近所に丸わかりでしょう? 目立たずに出立したいわけなのだよ、私は」

「そんな夜逃げするみたいに」

「うーん……ある意味夜逃げなんだな、これは。昼だけど」


 シミジミと返される。

 半分冗談まじりに伝えた言葉であったが、まさかそんな返答をもらえるとは思わずに面食らう。

 思わず、周囲を見回してしまった。

 住宅や小規模店舗が入り乱れた、繁華街とも住宅地とも言い難い、どこにでもある街の通りだ。

 ご近所の目を気にしているとはいうが、こちらをジロジロと観察してくるようなやからはもちろん見受けられない。それどころか、往来の注目は斜向はすむかいの一店舗へと向けられていると言える。

 和菓子屋である。そこにはちょっとした行列があった。

 何か有名な店なのだろうか、多くの人間がわらわらと入れ替わり立ち替わりに入店していく。そして山本さんが決して意識をそちらへと向けないようにしているのは何となく気づいていた。


「詳しく聞いたらマズイ話ですか?」

「こうして野暮用やぼように付き合ってくれてるわけだし、それに君になら話をして意見を聞いてみたいかなって思うところなんだけどね。いかんせん、これぽっちも楽しい話ではない上に、おまけに長い。今度、機会があったら話を聞いてほしいかも」

「そうですか。けど俺なんかの意見が参考になるとは思いませんが」

「いやいや、そんなことはないよ。お店で佐藤くんの話を聞いてさ、色々と考え込んじゃったのよ、お姉さんは」


 荷物の積み込み作業をしつつ、そんな会話をする。

 酔ってゲロ吐くような男に高尚こうしょうな意見などを求められても困ってしまうのだが、それでも彼女の助けになるというのなら、喜んで聞き役に徹するつもりだ。だから彼女の気持ちの踏ん切りがつくのを待つことにする。こちらから事情を追求することはしない方がいいだろう。

 しかし、俺がお店でした話とはいったい何なのであろうか? 記憶がないので、何を口走ったのか想像できずに冷や汗をかく。


 すると山本さんが何かに気づいたような素振りを見せる。そのまま「ごめん、適当にごまかしといて、私はここにいないってことでっ」と、家の中へと逃げ込むように行ってしまった。

 俺がなになにやらと目を丸くしていると、こちらの方に向かってくる人影に気づく。先ほどの和菓子屋の方から、売り子の制服を着た少女だ。作務衣さむえというべきか着物きものというべきか、えんじ色の上着と紺色の下穿したばきが、いかにも和の店員さんといった感じで可愛らしい。


「あのっ。今そこに、義姉ねえさんがいなかったですかっ?」

「おねえさん?」

「あ、すいません」


 彼女はそのまま山本さんの名前を告げて、俺に尋ねてくる。

 正直に言うならば「はい、そうですよ」なのだが、それはできないために適当に話をでっちあげることにした。


「ああ、彼女は俺のツレです。あなたのお姉さんというのが誰のことかはわからないのですが、多分、別人だと思いますよ。今日俺たちは、この家の人に頼まれて力仕事をしているだけなんで」

「山本さんの家の、所縁ゆかりのひとではないのですか?」

「そうですね。今回だけ、ご縁があってそれで。そのお姉さんにも会ったことはないです」

「そうなんですか……」


 目に見えて気落ちする少女を不憫ふびんに感じる、それほどに肩を落としていた。それなので、声をかける。


「なにか伝言でもあればうけたまわりますよ。伝わるようにつとめてみます」

「いえ。直接話したいと思っているので、ありがたいのですが」

「そうですか」

「あ、それでは。向かいの和菓子屋の娘が『話をさせて欲しい』とだけ、お伝え願えれば──」

「承知しました」


 少女はそのまま、店番みせばんがあるからと去っていく。

 その後ろ姿のはかなげな様子に、ますます不憫だと思ってしまう。


 しばらく様子を見てから、家の中へと入る。

 すると玄関でたたずんでいた山本さんを見つけて、声をかける。


「いっちゃいましたよ」

「そう。ありがとう助かったわ」

「会って話がしたいんだそうですよ」

「そっか……わかった。でも、ごめんね」

「俺は別に大丈夫ですよ」


 伝言してくれても要望通りにはいかないために徒労とろうに終わってしまったと、そんなことで謝罪を言ってくる山本さん。こちらも、さっきの少女と負けず劣らずに気落ちしている様子である。

 しかしつかの間、彼女は「パンッ」と自らの頬を鳴らして立ち上がった。


「ささっ、残ってる荷物はもう少しだからね。ちゃっちゃと済ませてしまいましょ。今日の昼ごはんは奮発ふんぱつしちゃうから、期待して」

「それは楽しみにしておきます」

「よーし、お姉さん。がんばっちゃうかんね」


 山本さんは不必要に元気をふりまいて動き始める。

 俺はなにも言わずにそれに追従した。


 こちらは年上である分、気持ちの切り替え──いや、気持ちのおおい隠し方を心得ているために、先ほどの少女のように不憫ふびんな思いを喚起かんきさせてくることはない。見た目には普段通りといった様子で、誰を心配させることもなく動きまわる。


 大人というのは面倒臭いものだ。

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