第55話 俺にできることはありませんか

「大丈夫だってば、大丈夫。冗談だから──」


 とは、土下座をした俺に対してお姉さんがかけてきた言葉だった。

 彼女はもったいぶって誤解するような言い方をしていたが、実際に俺がしたことといえば酔いつぶれて介抱され、かつお姉さんの身体に口から粗相そそうをしたと、それだけであったという。

 男女のアレコレはもちろんなかった。

 なんとなく、お姉さんの態度からそんなところではないかと予想していた。しかし、多大な迷惑をかけていることには変わりないのだ。

 酔ってゲロ吐くって、そりゃ憤然ふんぜんモノのやらかしだと思う。

 それなので頭は上げずに、低姿勢を貫き続ける。

 ちなみに姿は相変わらずパンツ一丁だ。

 現状は、パンイチの変態が女性に土下座して詫びている構図となる。


「これにりたら、お酒には気をつけなよー。それで、もういいから気にしないで立ち上がってくれたらお姉さんは嬉しいなーって」

 

 お姉さんを困らせることは本意ではないので、言われた通りに立ち上がる。最後に「本当に申し訳ありませんでした」と言葉を添えて。


「あと服もほら、洗濯してきたから着てちょうだい」

「すいません」


 お姉さんから衣服を受け取る。ホカホカとした手触りにより乾燥機から出したばかりと分かる。それを着るとお姉さんは露骨にホッとした顔を見せた。


「あー焦った。年上風としうえかぜ吹かせてちょっと懲らしめてやろうとか、慣れないことは考えるモノじゃないねぇ。まさか男の人のはだか土下座が見れる日がくるとは──眼福眼福、なむなむ」

「拝まんでください。俺としてはもっと声を荒げて叱られても仕方ないと思ってますよ」

「無理無理、そういうのはいいや。そもそも、そんな偉そうなことが言える身分でもなし。私がこれまでやっちゃった武勇伝でも聞いてみる?」


 そう言ってお姉さんは「さて、せっかくだからお茶でもれようか、コーヒーでもいい?」と給湯所のようなキッチンへと立つ。俺は頷いて、ご厚意に甘えることにした。

 コーヒーを淹れてもらいながら、簡単に自己紹介と、現状の説明を受ける。

 彼女の名前は山本さんといい。この部屋はガールズバーの上階に位置する事務所であるとのこと。事務所と言いつつ、備品置き場のような扱いを受けていた部屋だったが、今はゆえあって彼女が仮の住まいとして使用させてもらっているのだそうだ。

 そんな恩もあり、山本さんにとってあのガールズバーは、就職が決まった後でもギリギリまで働こうと思える場所であるそうな。


「オーナーには頭が上がらないよねぇ。女の人なんだけど、惚れちゃいそうになったよ。私が人間不信におちいらなかったのはあの人おかげだよ。人間、どん底を経験したときに受けるほどこしってのは染みるよ、本当に」


 どうやら山本さんも色々とあったらしい。

 とはいえズカズカと他人の事情を詮索せんさくするわけにもいかずに「そうなんですね」と相槌あいづちを打つにとどめる。山本さんも「まあ君はこんなお姉さんみたいな生き方は真似しないように、彼女さんを大切にね」とニカリと笑った。

 山本さんは本当に愉快そうに笑う女性だった。

 どうにも悪戯いたずら好きな性格のようで、笑顔の質は「にひっ」とか「くかかっ」といった擬音がつきまといそうなモノであったが、それでも彼女の魅力を損なうものでもなし、むしろ深めるまである。しかし、そんな笑顔の裏では何かと苦労があったようで、人生十人十色じんせいじゅうにんといろなのだなとシミジミと感じ入るばかりであった。


「あの、俺にできることはありませんか?」

「ん、できることって?」


 淹れてもらったコーヒーを受け取りつつ、たずねる。

 きっとガールズバーのお店の方にも迷惑をかけたことだろうし、何より目の前の山本さんにはきちんとお詫びと感謝の形を示したい。そのように申し出る。


「佐藤くんは旅の人でしょ? 観光とかはいいの?」

「またの機会にまわします。京都観光は何回来たっていいもんです、すでに何度も来てますから。それよりも、ここで何もお返しができないことの方が問題です。雑用をしろというなら喜んでします、タダ働きだって構いません。何かできることはないでしょうか?」

「うーん、お店のほうは私が決められることじゃないから、後で聞いてみるとして。実は個人的に困ってることがあるんだ──あてつけるみたいで申し訳ないけど、頼んでもいいかしら?」

「なんでも言ってください」


 勢い込んで返事をする。

 すると山本さんはニカリと彼女特有の笑顔を見せて言ってくる。


「よしきた。それじゃあお言葉に甘えよう。ちょっと実家に帰る必要があるんだけど、ついてきてもらってもいいかしら?」

「はい喜んで」


 それぐらい、どうということもないことだ。

 なのだが、実家に帰るのに他人の手がいる理由はなんだろうと疑問に思わないでもない。思い浮かぶのは漫画の展開みたいな突飛な理由ばかりだ、現実的ではない。きっと複雑な事情があるのだろう。だからこそ困っているのだろうから、もちろん快諾する。

 まさか「両親に彼氏役として紹介するから話を合わせて欲しいの」なんて言われたりはするまい……しないよね?

 そんな馬鹿な妄想をして不謹慎にもワクワクした。

 我ながら、どうしようもない阿呆あほうである。

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