第54話 土下座、真打ち

 頭が痛い。

 

 起き抜けにまずそう思う。

 体はなまりのように重く、思考もにぶい。何よりもムカムカとした吐き気がズッと体に残っているのが不快で仕方がない。

 そんな調子であったものだから、今がどういう状況であるのかを理解するのに、少し時間がかかった。


 どこだ、ここは?


 遅まきながらにそう思考すると、ガバリと身を起こす。急に動いたものだから、ガンガンとした頭痛が身をさいなむ。

 見知らぬ部屋であった。

 そんなに広くはない。何らかの事務室のような雰囲気の部屋だった。

 しかし、どういうわけか人が生活しているような形跡も見られる。簡易ベットや小型テレビなどがしつらえられ、部屋のあちこちに誰かの私物が見受けられる。まるで暫定ざんてい的に事務所暮らしをしている者の自宅、そんな様子の一室であった。

 そして部屋の調度品や小物から推察するに、明らかに女性の住まいだ。

 そんなところで自分が眠りから覚める理由がわからない。


「いや、待て待て。冷静に思い出せ、昨日は何があった?」


 自分に言い聞かせながら、記憶を掘り起こそうとするも上手くいかない。京都の飲み屋街でガールズバーに迷い込んだのは思い出せるのだが、そこで何をしたのか、従業員の女性とどんなやり取りをしたのか、かすみがかったように不明瞭ふめいりょうだ。

 これはひょっとして、とんでもない事態になったのかもしれない。

 不安になる。

 そして何よりも、俺を狼狽ろうばいさせる理由が──


「どうして俺は裸なんだ……?」


 マッパである。

 かろうじてパンツ一枚だけが残されていたが、この場合においてはなんの気休めにもならない。酔って記憶を失くし、目が覚めたら女性の部屋でパンツ一丁で横たわっていた。それだけで推測できる出来事はある程度しぼられる。

 最悪の状況しか想像できなかった。


「あら、起きた? お寝坊さんだね」


 呆然としていると、声をかけられてそちらを向く。

 大量の洗濯物が入ったカゴを抱えて女性が一人、部屋の入り口から入室してきたのだ。

 俺がなんと言葉を発すればいいのかわからずに戸惑っていると、女性はニヤリと悪戯いたずらするように笑む。

 その笑顔で思い出した。この女性は昨日さくじつにガールズバーで給仕をしてくれたお姉さんだ。今はセクシーな格好をしておらず、どこにでも見るような私服姿だ。そうすると、年齢不詳だった彼女が思いのほか若いことが分かる。もしかしたら俺とそう変わらないとしかもしれなかった。


「もしかして……昨日のこと、何も覚えていない感じかしら?」

「あの、あはい、そうです。教えていただけませんか?」

「うーん──」


 お姉さんはそこで悩ましげな吐息をつくと、ねたましいような視線を俺に向けてくる。


「ひどいわ。あんなに激しい夜を一緒に過ごしたのに」

「あの、それって?」

「佐藤くんの体、とってもたくましかった……私が脱いでって頼むと、躊躇ちゅうちょもなく脱ぎ捨てるんだもの。そしてそのまま、その鋼みたいな肉体を私へと覆い被せてきて」

「……」

「私、『やめて』なんて叫ぶヒマもなかったの。強引に私を押し倒すとそのまま身体に、佐藤くんのその身の内から、熱くておどろおどろしいものをいっぱい──」


 俺は覚悟を決める。

 これは何も言い逃れができない事態になってしまったようだ。

 そうであるのなら、まずするべきは弁明ではなく行動だ。

 口よりもまず手を動かせという言葉はこういうときのためにある。


 おもむろに床へと座すと、両手を大きく広げて地面へとつける。そしてこうべを大仰に垂らしてせる。なんなら相手が踏んでくれてもいいようにしっかりと伏せる。

 土下座である。

 旅のあいだに何度か目にする機会があった所業しょぎょうだが、まさか自らが実践するとは思わなかった。これまで先例をみてきた関係からか流麗りゅうれいにそれを行うことができた。

 そして言葉が地面に吸い込まれてくぐもった声にならぬよう、明瞭に謝罪を述べる。


「申し訳ありませんでしたっ!」


 考えてみれば、ここまで大仰に人へと謝意を伝えるのは初めてのことだった。思うのは、ただただ「お酒、怖い」という畏怖の念ばかりである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る