第53話 それじゃあウィスキーをロックで

 さしあたって空いているカウンター席へと座ると、目の前にいた女性従業員から声をかけられる。入店が初めてかと問われて、お店のシステムを教えられた。


「それじゃあウィスキーをロックで」

「はーい」


 女性が慣れた手つきで注文の品を作ってくれる。

 やっぱりシャカシャカはしなかった。


「はい、おまちどう」

「わあ、男前」


 カンッと小気味いい音を立ててコースターへと置かれるグラス。バーにおける接客とは思えない所作であったが、彼女の悪戯いたずらをする子供のような表情を見ればそれがジョークのたぐいだと分かる。どうやら俺が不必要に緊張していることは気づかれていたようだ。


「こういう店は初めて?」

「そうですね。ついさっき自分が二十歳になったことを知ったばかりで、勢いで飲みに来ました」

「あら、そうなの。それじゃあお祝いしないとね、おめでとう」

「ありがとうございます」


 礼を言いつつ、ちびりとウイスキーを口に含む。

 うん、飲み慣れない味だった。

 何より独特の匂いがすごい。ウイスキーを表現できる匂いは色々にあると思われるが、俺にはどうにも木材に鼻を近づけて嗅いでいるようにしか感じ取れなかった。


「飲み慣れてないから、美味しいか美味しくないかも分かりません。炭酸ジュースの方が美味しい」

「正直だね。コーラとかあるけどいる?」

「うーん……今のところはいいです」


 せっかくお酒を飲みに来たのに、それでは本末転倒だ。もうしばらく試してみて、どうしても自分に合わないと感じたのであれば、そのときに頼めばいい。

 チビチビ、チビチビとゆっくりと口へと含んでいく。

 木の匂いとアルコールの揮発きはつが凄くて、とてもではないがグイみはできそうにない。

 けれど次第に、これがどのような飲み物であるのかが分かってきた。きっとグラスに入った氷がウイスキーに染み出して飲みやすくなってきたのだろう。過度な刺激が抑えられていくと、この独特の味わいも楽しめる気がしてきた。


「お兄さんはどこからきたの?」

「東京からです」

「あ、そうなの。私ももうすぐ東京に行くんだ」

「お姉さんはもちろん京都の人ですよね、どうして東京に?」

「就職が決まったのさ。ぶい」


 話すと愉快なお姉さんで、こちらへとVサインをしながら言ってくる。どうやらここの店ではアルバイトの店員さんであるらしい。


「本当ならとっくに引っ越して、新生活をスタートさせていたんだけど、ちょっとゴタついちゃってね。このお店にもお世話になったから、ギリギリまで最後の御奉公ごほうこうをしているのよ」


 そのまま東京について先輩として教えてくれとわれる。もちろん俺が教えられる範囲であればご教授させていただいた、まあ大したことは言えなかったが。


 ──

 

「あ、おかわりお願いします」

「気に入ったかしら?」

「ちょっとコツがつかめてきました」

「なんのコツなんだか」


 ウイスキーという飲み物にも慣れてきて、再度挑戦してみることにする。もう少し飲めば、好きになれるかもしれない。


 ──


「若者よ、もうちょっとお姉さんの艶姿あですがたにドキドキしてもいいんじゃない?」

「え、めっちゃガン見してますけど」

「それでー? さりげなさ過ぎじゃない。もっとこう目を爛々らんらんにして、若者特有のリビドーをぶつけるようにしてくれてもいいのよ。お姉さんは青少年のすこやかな成長を推奨します」

「あははっ、すいません。あまり一般的な生まれそだちではなかったもので」


 お姉さんは気さくな人で、こちらが退屈しないようにあれやこれやと話をかけてくる。俺はまんまと楽しくなってしまい、普段はあまり口にしないような台詞せりふまで口にしていた。

 なるほど、これが「酔った」ということらしい。

 まるで揺籠ゆりかごに揺られているようなユラリとした感覚が心地いい。


 ──


「それで知ってますか? 『出島』ってもうとっくに埋め立てられてるんだそうですよ。てっきりまだ扇型の島があると思っていた俺は赤っ恥で──あ、おかわりください」

「ふんふん、それでどうして君は長崎に行こうとしたのかな?」

「あーそれはですねー。あ、おかわりください」


 調子良く話しているとお姉さんが聞き入ってしまい、注文を聞き逃してしまったようだ。お姉さんも俺だけを相手にしているわけでもなし、申し訳はなかったが、催促する。すると「ほどほどにね」とグラスがさしだされた、ありがたい。


 ──


「まー、そんなこんなで玄関開けたら彼女と親友が『おせっせ』してたってわけです」

「そう……そっか」

「そうです」

「それで君は、彼女と別れて……そして傷心旅行ってわけなのね?」

「あ、いや。別れてはないですよ」

「え?」

「もう一度やりなおそうって言いました」

「……嘘でしょう?」

「いえいえ、本当です。彼女が俺のこと見限っていたのなら仕方ないと思いましたけど、話してみるとそうじゃないって分かったんで、嫌いになんてなりきれませんでした」

「そんなことって……あるの?」

「彼女のことが好きだったので」

「──ッ」


 俺が話すと、お姉さんは何やら驚愕きょうがくしたような、信じられないといった顔をしている。不思議に思ったが、いかんせん頭の回転が遅い。ユラユラとした揺籠のような揺れは、いつのまにやら、遊園地の振り子運動をするアトラクションのような規模にまで増大していた。

 これはさすがに飲み過ぎたのかもしれないと、ようやく気づく。

 いけないいけない。

 酔って失敗した人間の体験談などはそこらじゅうに溢れている。

 彼らは決まって、自らこそは大丈夫だもう一杯、と過信して失敗するのだ。自らのお酒の容量をつかめていない。俺はそんな先達せんだつの教訓をいかす。感覚的にはまだ飲んでも大丈夫だと思われるが、そろそろ切り上げるのがきちであろう。しかし今ここで終わりとなると、なんだか口寂しい気がするので、飲みおさめとしてだけ。


「あ、おかわりください」

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