第52話 仕方なく、そう仕方なくだ

『やっぱり、また忘れていたみたいだね』

「いや、覚えてたさ」

『無駄な嘘つかない。佐藤くんが自分の誕生日に無頓着むとんちゃくなのは、もう周知の事実だよ』


 高橋に言われてなんとなく抵抗してみたが、一蹴いっしゅうされてしまう。

 確かに俺は、自分の誕生日をよく忘れている。

 幼少の頃には一大イベントだとも言えた「お誕生日会」なるものも開いた試しはない。もっぱら他所よそに誘われて祝う方の人間であった。


 だってなんだか忍びない。

 これまで誰にも告白したことはないが、どうしてだか誕生日というものを信じきれていない自分がいる。この日に俺が生まれたのだというが本当だろうか、と。

 昔のことだが、両親に黙って戸籍こせきを調べたことすらあるのだ。出生日のらんをみるとどうやら間違いはないようなのだが、それでも一度抱いてしまった疑念は、ぼんやりとしこりのように残ったままだ。そんな自分でも疑問視している事柄を人から祝われると、なんだかなぁと、そんな気持ちになる。


「ありがとう、嬉しいよ」

『うん。佐藤くんの誕生日を伝えるのは私の仕事だって、昔から決めてたから。こんなときだけど、おこたるわけにはいかないかなって』


 社交辞令のような気持ちの入らない喜びを伝えると、高橋が嬉しそうに声をはずませる。それを聞いてますますたまれなくなる。

 なので、それとなく話題を他へとずらしていく。


「今ちょうど、京都の飲み屋街に来てるんだよ」

『そうなの? 先斗町ぽんとちょうとか木屋町きやまちとか?』

「んーそんなとこ」


 何やら高橋の方が詳しいようだ。

 俺としてはここがどこだかもわかっていない。とにかく賑やかなところへと、誘蛾灯ゆうがとうに誘われる虫のように来ただけだ。おそらく高橋の言う所とは違うような気がする。


『いいなー。写真で見て、一度行ってみたかったんだよね、歩くだけでも楽しそうじゃない?』

「ああ、確かにおもむきはあるよ。来年、高橋が飲めるようになったら一緒に来てみるのもいいかもな」

『一緒に……か。うん、そうだね』


 それから軽く雑談を交わす。

 二人で行くとしたら、どんな店がいいか。その下調べとして、俺がどのような店におもむけばいいのか、そんなことをだ。

 ある程度話にキリがつくと、こちらから通話を切り上げる素振りを見せる。あまり往来の真ん中で長話はできるものでもない。


「そっか、それじゃあ。佐藤くんのことだから大丈夫だとは思うけど。飲みすぎてハメを外しすぎないようにね」

「自分が酒乱でないこと祈るばかりだよ、気をつけておく」


 最後にそのようなやりとりを交わして通話を切る。

 高橋との会話もすっかりと普段通りであった。

 彼女の気持ちも落ち着いてくれたようである。これはもう、東京に帰っても気をむような事態にはならないだろうと安堵あんどした。


「では気を取り直して」


 とおりへと目を向ける。

 多くの飲み屋が連なっており、そのどれもが様々な主張をしていた。居酒屋、焼肉、創作料理、割烹かっぽう、洋食にイタリアン。なかには博多ラーメンなんて文字を掲げる店も存在した。気になりはしたが、それこそ博多で実食済みなので今回はスルーである。


「こんなことなら食べてこなきゃ良かったな」


 実は伏見稲荷大社に行く前に、簡単にジャンクフードを腹に詰め込んでいた。それでなくとも田中ちゃんのお義兄にいさんとお好み焼きをいただいているし、今日はもうこれ以上にごはんの入る余地はなさそうだ。

 よってお酒のみをたしなめる場所がいい。

 そうなると、ふと「BAR」という単語が頭へと浮かぶ。


 バーというと思い浮かぶのは、まずバーテンダーだ。

 ジャスが流れる店内で、素敵な紳士服を着たマスターが「ご注文は?」と聞いてくるので「ウイスキー、ロックで」と答えるのだ。そしてシェイカーをシャカシャカしだすマスター……ん? ウイスキーのロックってシャカシャカすんのかな? まいっかそこんところは。そして「あちらのお客様からです」という一言とともに横からテーブルを滑るようにやってくるマティーニ。振り向くとそこには妖艶なドレスのお姉さんがいて、互いに微笑みを交わしてグラスに口をつけようとすると、「おっとここは坊やのくるところじゃねえぜ、ママのところに帰んなぁ」というあざけりとともに、街の荒くれどもからおごられるミルクを──


「ダメだ、想像がつかん」


 行ったことがないから、妄想もグチャグチャである。

 ただなんとなく。お酒初心者である自分には敷居しきいが高くて、居心地よく感じることができないのではないかと思うばかりだ。

 しかしバーと一括ひとくくりにまとめてはいるものの、多様なお店の様式というのがあるに違いなく、ここはひとつ初心者にも優しそうなバーを探すことに決めた。


 そうして散策すること幾許いくばくか、よさそうな店を発見する。通りの主流から外れて、いささか発見するのが困難そうに感じられるかくれ屋だった。看板や店構えからはカジュアルな雰囲気が感じられて、俺でも気軽に足を踏み入れることができそうであった。


 そうと決めたらと中へと入る。

 そこまで広さのない店内で、最初に目についたのはバーカウンター内にいた女性の従業員である。彼女はこちらに気づくと「いらっしゃいませ」と愛嬌あいきょうのある笑顔を見せてくる。

 そしてさらに目がつくのは彼女の格好である。

 オフィススーツのような風体ふうていであるが、女性の各部を主張していた。強調されるシナ、着崩された胸元。これで公共の場に立つのは無理であろう。取引先の男性が前屈みになってしまうから。

 そして店内には同様の格好をした女性従業員が複数人、存在するのだ。


 ここはバーはバーでも、いわゆるガールズバーと言われるところであった。それもムフフ路線。


 おっと、足を踏み入れやすいカジュアルな雰囲気ばかりに気を取られて、とんでもないところに迷い込んでしまったようだ。これは大変なことになってしまった。

 しかし店内に入り込んで、いきなり回れ右をするなどはあまりにも感じが悪い。こちらの店の厄介になるしか道はないのだ。

 仕方なく、そう仕方なくだ。

 もちろん他意はない。

 看板に記載された「セクシー」の単語につられて入店したなんてことは、断じてない。

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