手紙を読んだ日──京都にて

第49話 彼方からの手紙(京都の乙女視点)

 今更いまさらだ。

 本当に今更だった。


 それはかつての私が望んだモノであったのかもしれない。苦しく足掻あがき続ける中で、それでも必死に手を伸ばし続けたモノであったのかもしれない。

 しかし、こうして何もかもが終わってしまった後に、私の元へと舞い込んでくるなんて、どんな冗談かと笑いたくなる。

 だからこんな手紙になんて価値はなかった。

 すべてが『もう遅い』のだ。


 それなのに──


「俺、外に出てます」

「ううん、いいの」


 小ぢんまりとしたバーの店内。

 カウンター向こうにいる旅の青年が、私に気をつかって言葉をかけてくれる。

 理由は私が涙をこぼしているからだ。

 こんな遅すぎる手紙は、私の心のどこにも響いていないはずなのに、どうしてか涙が止まらなかった。本当に不思議だった。


「そこにいてちょうだい、お願いだから」


 一人になりたくはなかった。

 今、一人ぼっちになってしまったら、自らの気持ちがどのように暴走するのか見当がつかなかったから。

 青年は戸惑いながらも椅子に座り直してくれた。そんな彼に聞いてみる。


「私ね、あんな男。もうどうでもいいって、心底に思ったの」

「はい」

「心は冷え切ってしまって、それどころか世界中の不幸があいつに降りかかればいいとすら思ったのよ」

「はい」

「それなのに変よね? こんな風になっちゃって」

「変なことはないです」


 彼は言う。


「どうして?」

「人を好きになるというのは、そんなもんでしょう?」

「嫌いよ、あんな奴」

「ええ、聞いてます」

「もう二度と私の目の前に現れないでほしいと思った。そして私の知らないところでみじめな思いをしていて欲しいと思った。それでも?」

「そんなもんです」

「そっか……」


 彼がそう言うのなら、そうなのだろう。

 この旅の青年は、アイツとは似ても似つかないほどに頼り甲斐がある。

 思わず、すがりついて泣いてしまいたくなるほどに。


「だから、そんなに自分を責める必要はないと思います」

「責める? 私が?」

「ええ。俺には、必死で自らを律しようとしているように見えます。自分にはそんな資格がない、とか考えてませんか。そんなことはないです。誰だっていつだって、故人こじんしのんで泣くぐらいの資格はあります──勘違いな意見だったらすいません」

「ううん、ありがとう」


 そう言われると、そういうものかもしれない。

 もう気持ちは一杯一杯いっぱいいっぱいで、自らの思うところすらも曖昧あいまいに感じられる。彼に言われてようやっと感情が見えてきた。

 

 ああそうか、私は今、悲しいのだ──


「ごめんね、少し泣いてもいいかしら」

「はい」


 了承を得て、私は泣く。

 号泣なんてしない。年下の彼にそんなみっともない姿は見せられないし、何よりアイツなんかのためにそこまでしてやるのはしゃくにさわるから。

 ひっそりとすすりり泣くようにして頬をらした。


 頭にくる。

 どうして私がこんなにも感情を振りまわさなければいけないのか。

 それもこれも全部、アイツのせいだった。

 かつては世界で最も愛した男で、そして今では世界で一番に憎んでいる男。いつかその顔を、グシャグシャになるまではっ倒してやりたいと願っていたのに、今ではそれすらも叶いはしない。

 なぜならアイツはもう何処にもいないからだ。この世界の何処にもいないのであるから、私のこの鬱憤うっぷんは晴らしようがない。

 本当に頭にくる。


「ぅ……っ」


 静かな店内において、私の啜り泣きの声だけが響き渡る。

 旅の青年は何も言わずに、ただそこに居てくれた。


「……男って馬鹿よね」

「否定はできないです」

「この手紙、いったいなんて書いていると思う? できることならもう一度やり直したいんだってさ。本当に馬鹿。自分を好いてくれた女がずっと同じ気持ちでいてくれると思い込んでる。いつまで経っても変わらない想いなんて……そんなのあるわけないのにさ」

「耳が痛い話です」


 彼はバツが悪そうにしている。

 そんな姿を見て、昔のアイツの姿を思い出した。

 アイツもよく、私に文句を言われて縮こまったようにしていた。

 もうあの頃になんて戻ることはできない。

 だからこそ悲しくて、そして思う。

 私はアイツのことを本気で好きだったんだな、と。


 今更だ。

 しかし今更ながらに、そんな大切なことを思い出した。


「こりゃダメだ。今日は私も飲む、いやむ」

「わかりました。付き合います」

「そうこなくちゃ」


 彼に了承を得て、自らのグラスを準備する。

 グラス一杯を大きく占領する氷の塊を投入したら、そこへ何でもいい、高い度数の蒸留酒をトクトクと注いでいく。


 氷がお酒と馴染むのを待たずに口をつける。

 

 焼け付くような蒸留酒特有の飲み心地が、私に一つの言い訳を与えてくれる。酒を飲んだのだから、もうどのように感情を発露はつろさせても大丈夫なのだと。


「うっ……う、うあ──うあぁぁ」


 彼は相変わらずにそこに居る。

 先ほどまではそばに居てくれるだけでありがたいと思っていたのに、これほどに乱れてしまったのなら、恥ずかしいから見ないで欲しいと思える。

 私という女も、本当にどうしようもない。


 狭い店内で男女が一組ひとくみ、お酒を飲む。

 かれは黙り、わたしは泣く。

 まるで別れたくないと縋りついている構図のようにも見える。

 このまま、たわむれに彼の胸元へとしなだれかかろうかしら。

 そんな愚にもつかないこと思いながらも、アイツのために泣いてやる。

 アイツがもし、どこかで今の私たちの様子を見ているのであれば、もっと本気で自分のために泣いてほしいと思うだろうか。

 だったらいい。

 アンタなんて、今の私にとってはそれぐらいの価値しかないのだと、思い知ればいい。『ざまぁ』みろと口を大にして言い放ってやる。


 そんなことを考えていると、カランと一つ。

 グラスの氷が溶ける音が耳に残った。

 それはまるで、誰かが出した物音のように私には思えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る