第47話 スタンドバイミー

 唐突な奇声だと思われたそれはどうやら歌声であったらしく、そのまま伊藤くんの調子外れな歌唱は続いていく。

 急に何をしだしたのかと戸惑いを覚えたが、それもバックミラー越しに伊藤くんの表情を見るまでのことだった。


 彼は笑っていた。

 快活に、そして馬鹿みたいに。


 伊藤くん、君ってやつは本当に──

 思わずにそう思う。

 初対面のときから、ぼんやりと感じていたことではあったが、ここにきて彼という男のそのふところのデカさを知る。本当に良い男だった。


 渡辺くんを元気付けるためにはどうすれば良いかとアレコレ考え込んでいたが、そんなの考え込む必要がないくらいに単純な正解があった。

 馬鹿みたいに騒げば、どうでも良くなる。

 へったくれもないが真理である。

 特に男同士となれば尚のことだ。自らこそが一番の馬鹿者であると競い合うものこそをおとこという。


 だから伊藤くんの作ってくれた流れに乗っかることにした。


「──ノーアイウォンッ!」


 適当なおりを見計らい、俺も声を張り上げて歌う。

 渡辺くんが、とんでもないものを見たように目を丸くしているが、構いはしない。馬鹿者だと笑わば笑え、しかし馬鹿をみてバカをしない人生は何が面白いというのか、他者に多大な迷惑をかけることさえなければ、人はみな馬鹿者になるべきだ。

 そんな気持ちをもって歌う。

 音調子などは無視する。ただ、楽しく賑やかにを念頭に騒ぎ続ける。


 当初は何事かと目を丸くしていた渡辺くんも、今では何かを思い悩むように真顔になっている。しばしそのように沈鬱としていたかと思うと、急にプッとした笑みを漏らした。鼻で笑うような、何かを馬鹿馬鹿しく感じたような、そんな笑いだった。

 

 彼は笑った、泣きながら。


 これまで苦悶くもんの表情をしながらも決して見せなかった大粒の涙を、楽しそうな笑顔をともなって、ボロボロと泣いていた。

 

 渡辺くんへと視線を送る。

 その意味はもちろん、お前も歌え、だ。

 一人だけすまし顔で利口ぶるのは許されない、お前も騒いでバカを晒せと迫る。

 ついには彼も大きな口を開けて、息を吸い込む。


「ォウダーリンッダーリンッ──」


 俺たちと同様に調子が外れていた。

 えずいていたから歌いだしにつまずいて、声を出しにくそうにしていたが、しっかりとその歌唱を見せつけてきた。

 ポロポロと流れる涙をぬぐわずに、顔をグシャグシャにしながらも、それでも高らかに歌い続けていた。

 そんな彼の姿こそは、紛れもない馬鹿者だった。


 やがて車には、野太い野郎どもの合唱に満ち溢れる。

 臆面おくめんもなく、ただ馬鹿みたいに騒ぎ続けていた。

 

 俺たちが歌うのは、大事な人にむけて送る歌だ。

 大事な人に、ただそばに居て欲しいと歌っている。


 そうすれば何も恐るるものなどはない。

 泣いたりなんかもしない、泣くものか。


 ただ馬鹿みたいに笑って歌い続けてやる。

 そうあなたがそばに居てくれるだけで──


 スタンドバイミー

 ああ、スタンドバイミー





 他から見れば、まるで狂騒のような歌唱は曲のアウトロとともに霧散むさんしていく。きっと野郎が三人で歌う姿は地獄絵図のようであったろう。それでいい。それがいい。


 そんな静寂が戻った車内で彼は、泣いた。

 みっともなく泣き崩れていた。

 そんな彼の肩をポンと、軽く叩く。

 何かが伝わってくれたらのなら幸いだった。

 後部座席から「ふうー!」という意味のない奇声と共に、彼の頭を叩く伊藤くんの姿もある。


 本当に、この二人と旅ができて良かった。

 残念なことに彼らとの旅路はもう少しの時間しか残されていないが、心だけはは彼らとともにあるつもりだった。

 願わくは、この気のいい馬鹿野郎たちの幸いを祈る。

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