第44話 独白②(道中の青年視点)

 それから僕は、おかしくなってしまった。

 何をしようとも頭の奥底に、よどみのようなヘドロがついてまわる。それを払拭ふっしょくしようと不必要に活動的に動いてまわったかと思うと、唐突にどうしようもない無力感にさいなまれて一歩も動けなくなる。

 きっと精神的にマズイところまできてしまったのだと感じた。


 しかし、僕がそのように苦悶くもんしていようとも世の中というのは構わずにまわっていく。一人の個人がその歩みを止めたところで、全体が一緒に止まってくれることなんてない。ただ変な奴がいるなと、奇異の視線を向けながら去っていくだけだ。

 そんな被害妄想をしながら、大学構内のベンチに一人座っていた。


 生まれて初めて『サボり』というものをした。

 これまでの学生生活と違って、大学生においては講義の一コマを無断欠席することは、履修りしゅうする科目によっては大したことではない。僕がサボタージュを決行した講義も、そんなものの一つだ。

 それでも僕という人間を知る者から見れば、目を疑う光景であろう。生真面目な男だと思われているのは自覚している。


 多くの学生が目前を通り過ぎていく。

 皆、僕とは違い溌剌はつらつとした笑顔をともなっていた。

 もうすぐ大学は長期休暇に入るために、その間の計画でも立てているのだろうか。それとも今から遊びにいく算段でも立てているのか。

 どちらにせよ、僕とは関係のないところの話だった。


「僕は何をしてるんだろうな……」


 ずっとこのまま自堕落に生きていくわけにはいかない。どこかで踏ん切りをつける必要があることはわかっていた。しかし、その方法がわからないのだ。

 誰でもいいから道を示して欲しい、そんな気持ちだった。

 

 すると、通り過ぎていく人の往来おうらいの中から一人、こちらに歩み寄ってくることに気づいた。


「おっ渡辺くんじゃーん」

「伊藤くん、なんだか久しぶりだね」


 高校生来の知人だ。お世辞にも仲がいい間柄とは言えない。それに、実はちょっと苦手だ。そしてそれは向こうも同様に思っているに違いない。

 もしかしたら大学に入学してから初めて顔を合わせたかもしれなかった。


「何してんの?」

「講義をサボってぼんやりしてる」

「マジで、渡辺くんが?」

「マジだよマジ」


 大仰に驚く彼に苦笑する。

 やっぱり僕のイメージはそんなものであるようだ。


「伊藤くんの方は大活躍だったみたいだね。学内でも持ちきりだよ」

「ああー、渡辺くんの耳にも入っちまったか」


 彼はつい最近、学内において大騒動を起こしている。男女の痴情のもつれにより大立ち回りを繰り広げたのだ。

 具体的には、不貞を働いた彼女と間男への制裁せいさい

 大学内という狭い社会の中で、かつ噂話に目がない若者たちの間で、その騒動と内情ないじょうまたたく間に知られるようになってしまった。それすらも相手方への報復として機能しているというのだから、うまくやったものだ。


「高校の友達に知られるのはちっと恥ずいな」


 友達。と、言い切った彼の言葉に戸惑いを覚えた。

 嫌味な感じはしない。どうやら本気で言っているようだった。そうなると、彼のことを仲良くない知人として捉えている自分が、狭量な人間に思えてくる。

 そんなこともあってか、僕はつい口を滑らせてしまった。


「彼女に裏切られるのは辛いよな、よくわかるよ」

「──何があったん?」


 伊藤くんは少しだけ雰囲気を変えて尋ねてくる。

 僕はそんな彼に対して、親近感を覚えた。

 彼もまた同類なのだ。そんな彼であれば僕の気持ちをほんの少しでも理解してくれるかもしれない。

 そう思ってしまうと、もう歯止めは効かなかった。


 気がつくと、僕は自らの事情をすべて目の前の知人に打ち明けていた。


「こりゃ確かめにいくしかないっしょ」

「確かめにって?」


 僕の話を聞いた彼の意見に、疑問を挟む。


「渡辺くんは、彼女が自分をたばかって男とよろしくやってんじゃないかって疑ってんしょ? だったら確かめに行かねえと、失踪したなんてのも嘘かもしんねぇし」

「いやでも警察からは何も音沙汰が──」

「そんなん信用できねえって、インターホン押して、居留守使われて、『家には在宅していないようであります』なんて言ってるだけかもしんねえ」

「それは──」


 なんとも否定しづらいところではある。

 いくら「捜索願」を出したといっても、警察がどれぐらい熱心にことにあたってくれているかは分からない。少なくとも、強制捜査をして無理やり家宅侵入、なんて真似はしないとだけはわかる。


「実は、俺も彼女にフラれて傷心旅行? みてーなのしてみようかと思ってたんだけど、行き先は決まったわ、東京だ」

「それは僕も一緒にってこと?」

「当たり前だって、俺だけ行ってもしょうがない」

「けど、彼女に会えたとして、僕は何をすればいいのか──」

「そんなの決まりきってる」


 伊藤くんはそこで言い放つ。


「裏切り者には制裁っしょ」


 爽やかな笑顔だった。

 それをみて僕は、なにか気持ちが切り替わったことに気づいた。

 確かに彼の言う通りだった。

 自分にできることはもうないと決めつけていたが、とんでもないことだ。現地にもおもむかずに、何を言っているというのか。

 それに、一方的に別れを告げられて、なおかつ見知らぬ男に悪態あくたいまでつかれたのだ。それも男女の行為をされながらに。

 そこまでコケにされて黙って引き下がるわけには行かない。


 自分の中で、ムクムクとした活力が生まれてくるのを感じる。

 今までにないその活力の正体は、怒りだった。


「ありがとう伊藤くん。なんだか自分がしなきゃいけないことが、やっと見えてきたよ」

「いいっていいって、あちなみに旅行しようにも金がねーから。あんまりリッチなのは勘弁な」

「そしたらヒッチハイクでもしてみるか?」

「おっ、いいね。確かにやったことねーわ」


 冗談のつもりで提案してみると乗り気で返答されてしまった。

 今更に嫌だとは言い難い。

 まあ自分も興味がないわけではないし、それもいいかと割り切ることにした。


「そんじゃあよろしくな、ナベ」

「ああよろしく頼むよ、伊藤」


 案外いい奴だなコイツと、友人のことを見直した。

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