第32話 牡蠣食ってムラムラしたからっす

 広島県、厳島神社。

 言わずと知れた日本の神社、かつ世界に誇る文化遺産の一つである。

 車を走らせて、フェリー乗り場にて駐車し、船に揺られて、宮島みやじまへ。俺たち三人はこの地までやってきたのだ。はからずして太宰府に続き、神社に来てしまったが、やはり古くからある神社仏閣というのは、旅の名所として相応ふさわしい。


「俺、初めて来たっす。感動っすわ」

「僕もですね。写真とかで見ていて、一度はみたいと思ってたんです」

「あー、そうなると……干潮時に来たけど良かった?」


 厳島神社と言えば、海に浮かぶように存在する社殿や大鳥居が見どころである。しかしその景観といえば、潮の満ち引きで印象が変わるのだ。満潮時であれば幻想的な光景をその目に拝めるのだが、干潮時には実際にどのような形で神社が海に建立されているのかマジマジと観察できて面白い。

 しかし写真で見たイメージと言われると、十中八九、満潮時を意識している可能性が高いために、そんな質問をしてしまう。

 しかし二人とも、気にしなかったようで、快く観光に付き合ってくれた。

 干潮時の利点として、間近で見られる大鳥居は迫力があった。

 ポツネンと海に浮かんでいるイメージの強かった大鳥居は、真下から見上げてみると、想像以上に大きものだと知れる。


 ひとしきり見物を終えたら、いい時間になった。人がもっとも混む時間帯より、少し外れたお昼時だ。宮島内にある食事処しょくじどころの一つへと入店する。

 さて、今日俺たちがここ宮島でいただくランチは、なんと牡蠣かきである。俺の大好物の一つだ。


「牡蠣が嫌いな人間なんてこの世に存在しない。とまでは言わないけれど、俺は貝類が苦手でない男なら、みんな好んでいる食材だと思っている」

「その心はー?」

「男の子には何かと亜鉛が必要だから」

しもいネタぁ……」 


 牡蠣を無心にむさぼりながら、そんな意義のない会話をする。

 プリプリとした身と磯のにおいとちょっと表現のしにくい独特の旨味。食感と香りと味わいの三つで食べるものを魅了してくる。ちなみに、どちらかといえば苦手な酸味であるが、牡蠣が相手なら存分にレモンをかける。苦手な食べ物でもこの食べ方なら大丈夫。そんな方法が、大抵の食べ物に見つけられるものだ。


「昼飯を食べてる最中に聞くのも変な感じだが、晩飯までどうしようか?」


 俺は今後の動きについて二人に相談する。

 晩飯は広島市内の繁華街にてプラプラと散策しながら決定するとしていたが、生憎とそれまでの時間が空きすぎている。べつに時間まで各自自由行動としてもいいのだが、せっかくそでが擦れあった仲なのだ、何かしたいことがあるのであれば同行しようと思うのは自然である。


「あ、俺。牡蠣を食いながら思いついたことがあるんすけど、いいすか?」

「はい伊藤くん」


 挙手をして発言する伊藤くんを、ワザとらしく指す。

 伊藤くんは、目を輝かせながらそれを発言した。


「やっぱ、ナンパっしょ」

「いきなりどうした?」


 渡辺くんが信じられないといった視線を送っているが、彼はそんな視線を意に介さず続ける。


「昨日のサトさんの話を聞いて、俺、正直感動しちまったんす。そして思ったんす、『俺は今まで彼女ことが好きだと思っていたけれど、実は自分自身が一番大好きなナルシスト野郎だったんじゃないか』って。だから簡単に相手を切り捨てられたし、馬鹿にされたと頭にきたっす」

「いや、俺の話でそこまで思わなくても──」

「『惚れた相手は生涯をかけて愛す』、マジ痺れたっすわ。そこで俺も思ったんす、あのクソビッチはないにしても、今度こそ俺もそこまで言えるほどの女性に惚れようって」

「確かに。そこまで言い切れるほどの女子に恵まれたのなら、素敵なことだとは僕も思ったよ」

「渡辺くんまで──まあ、それでナンパをしてそんな女性と巡り合おうと、そういうこと?」

「いえ。ナンパしようと思ったのは、牡蠣食ってムラムラしたからっすね」

「最低だ。さっき同意するような発言をした僕の気持ちを返せ」


 それにしても本当に渡辺くんも律儀な男だ。俺たちのオトボケに対して細やかに反応してくれる。まさか本気で軽蔑しているなぞは思っていない。同じ男だ。口ではツッコミをするが本心は下衆ゲスな話が大好きだという事はもちろんわかっている。

 大丈夫だよな?


「それで、どっすか?」

「そういうのは、伊藤だけでやってく──」

「うん。面白そうだから、やろっか」

「ええっ!?」

「ふう! さすがサトさん話がわかるぅ!」


 俺の返答に、仰天した渡辺くんが尋ねてくる。


「あの佐藤さんは、彼女とは別れてないんでしたよね?」

「ああ。ちょいとふんわりとした話だが、俺としては別れるつもりなんぞない」

「そしたら、その……まずいんじゃないですか。ナンパですよ?」

「大丈夫だ、そこは俺に考えがある」

「いったいどんな?」

「彼女に電話して『ナンパしたいんだけど、していい?』って許可をう」

「無茶苦茶だ、この人!」


 渡辺くんの危惧もごもっともではあるが、何事もモノは言いようなのだ。ナンパとはつまり、相手の女性に「良かったら一緒に食事しない?」とか「俺たちと遊ぼうぜ〜」と声をかける行為である。つまり、本当に食事をするだけ、遊ぶだけに徹すればいいのだ。そこに不純な動機さえ含まれていなければ、きっと高橋もわかってくれるに違いない!

 もし万が一、相手の女性が勘違いをしてしまったとしても、こちらにはやる気マンの伊藤くんがいる。彼の方へとやんわりと仕向ければ、万事解決だ。完璧なプランだと言える。

 

 少しふざけた物言いをしてしまったが、正直にいうと新しい恋に前向きになっている伊藤くんの応援をしたいという善意が多分にある。それだけでなく、渡辺くんにも何かしらの気分転換の機会が必要かなといった、お節介の感情もある。

 何より、これまで高橋一筋な青春を過ごしていたから、そのように無節操むせっそうに女性に声をかける行為はしたことがないのだ。今の俺は好奇心に満ち溢れている。


 そういった諸々もろもろの気持ちを真摯しんしに込めて、俺は高橋へと電話したのであるが──


『私が言うなってことは重々理解している。しているんだけど、これだけはどうしても言わせて──佐藤くんはふざけているのかな?』

「申し訳ございませんでしたっ!」


 近年、まれに見る本気の謝罪の言葉が口をついて出た。

 どうやら、わかってもらえない様子だ。

 人と人との相互理解とはやはり、難しい事柄なようだ。

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