第26話 長崎紀行(長崎にて、エピローグ)

 今回の長崎での旅路は、実のところ一言で表すことができる。

 最高だった。

 異国情緒が漂う街の雰囲気は見どころに溢れていたし、グルメにおいても俺の舌鼓したづつみは常に鳴りっぱなしであった。そして特別に印象として残ったのは、その景観である。

 田中ちゃんと共に見た、あの坂の街。

 あかね色に煌めく長崎の景色はきっとずっと、いつまでも色褪いろあせずに思い出せるだろうと、根拠なく思った。


 田中家の人々には本当にお世話になった。

 その全ては語り尽くせないが、様々な体験をさせてもらった。

 田中ちゃんとともに長崎の街をさらにディープに巡ったのはもちろん、あるときは男衆おとこしゅうで連れ立って、男児にとって楽しい場所へとおもむいたりもした。無論、釣り場のことである。最近は女性のアングラーも増えているというから偏見はよくないが、田中ちゃんはそのときだけはついてこなかった。虫が苦手なんだそうだ。その日の釣果ちょうかは帰りを待っていた女性陣によってさばかれたが、とても美味かった。

 そして結局、俺の送別会も行われてしまった。

 恐縮しきりの俺をよそに楽しそうに笑う彼らを見ていたら、最後には俺まで一緒になって笑っていた。

 本当に素敵な一家だ。

 そんな田中家の皆さんからのほどこしは、当初こそ恩返しを享受するつもりで受け取っていたが、最終的にはもらいすぎな気がしている。そうなると今回の旅路だけの関係でさようなら、なんてことは不義理がすぎる気がして、少なくとも年賀状ぐらいは必ず送ろうと決心したものだ。

 

 そうして、現在。

 長崎駅の前にて田中家総勢に見送られ、俺は出立しようとしている。


「お義兄さん、ありがとうございます。なにからなにまでお世話になりっぱなしで──」

「もののついでだし、気にしないでいいよ」


 俺がかしこまってお礼を言うと、お義兄さんが気さくに手を振って「大したことではない」と応える。とはいえ、その言葉をに受けるわけにはいかない。

 彼には最後までお世話になる予定だった。

 

 俺がこれから向かう目的地は──京都だ。


 誰もが知る古都、日本がほこる一大観光都市である。これまでに何度か訪れた都市ではあったが、再度足を向けてみようと思い立ったのだ。

 しかし長崎からの経路をどうするかという問題があった。

 普通にいえば新幹線に乗って向かえばいい話であるのだが、せっかく遠く九州の西端までやってきたのだ。途中にある多くの都市をただ素通りするだけというのはもったいなく思えた。しかし、都度都度つどつどに下車する予算なんてない。

 そのようなことを、送別会のおりにお義兄さんに話した。すると彼はこう答えたのである。


「それなら自動車の旅なんてどうだい?」

「確かに気軽にアチコチに立ち寄れはできそうですが……レンタカーを借りたとしても車をまた長崎に持ち戻らなければいけないですし」

「ああそっか、佐藤くんは東京住まいだったか──じゃあこうしようか」


 なんでも、お義兄さんも仕事の用事でこれから大阪へと向かうことになっているという。そして仕事が済み次第、長崎にとんぼ帰りする予定だとか。そこで「佐藤くんが大阪まで来てくれれば、自分が車を持ち戻るよ」と、そう申し出てくれたのだ。

 俺はその提案にのった。


「皆さんも、本当にお世話になりました。旅先で何か面白いものを見つけたら送ります」


 俺が再度、畏まって頭を下げると、みんな口々に「気にしないでいい」と言ってくれる。中には「京都に行くならあぶらとり紙を送ってくれ」なんて声も聞こえたが「はしたないことを言うな」と即座にはたかれていた。本当に面白いお姉さんである。


 そのように談笑していると一人だけ、近寄って別れの挨拶をしてくれる人がいた。

 田中ちゃんだ。


「田中ちゃんも、ありがとうな」

「ううん、こちらこそ。ありがとうだよ」

「ここだけの話、明日から田中ちゃんのつくるご飯が食べられないとなると、ちょっと憂鬱ゆううつだったりする。本当に美味かった」

「あはは、ありがとうね。それじゃあ聞いておきたいんだけど、今までつくった中で一番美味しかったのは何だった? ちなみに一番の自信作は歓迎会でつくったやつだよ」

「ああー……確かにあれも美味しかった。美味かったけど、一番と言われるとなると──すまん、正直にいうと初日に食べた煮魚が一番だった」

「……なるほど、結局のところあれが正解だったわけか」

「どういうこと?」

「ううん、こっちの話。気にしないで」


 なんだかよくわからないが、気にするなというので気にしないことにする。

 そうしてみんなに見送られながら、車へと乗りこむことになった。バタンと運転席の扉を閉めると、座席の具合を調節してから、ウィンドウを開ける。


「それじゃあ、また」


 最後の別れを言うと、田中ちゃんがってきた。


「また……会えるのかな?」


 不安そうに問われる。

 別れ際に彼女の悲しそうな顔をみるのは本意ではないので、殊更ことさらに調子よく声を張り上げてやった。


「もちろんまた来るさ。そっちも東京見物にでもきた時は連絡くれよ、今度はこっちが歓迎する」

「うん!」


 すると、ようやくいつもの笑顔を見せてくれた。

 彼女らしい爛漫らんまんな笑顔。この笑顔に見送られるのであれば上々だった。

 ここで颯爽と去れば格好がついたのかもしれない。だというのに、俺は女々しくも名残惜なごりおしさが勝ってしまい。ついつい要らぬ会話を付け加えてしまう。


「田中ちゃんに会えて良かったよ。おかげで色々とショックだったことも、紛らわすことができたからさ」

「ん、どういうこと?」


 首を傾げる田中ちゃんに、言う。


「そういえば、言ってなかったっけ。この旅行、一応は傷心旅行なんだよ」

「なっ──」

「彼女と親友がベットインしててなぁ、あまつさえには『別れましょう』とまで言いだす始末。って、何を言ってんだろうな俺は。すまん、忘れてくれ」


 高校一年生の少女に語るような内容ではないと思い直す。それに、身内のやらかしを吹聴ふいちょうするのも褒められた行為ではない。

 同じ釜の飯を食らったこともあり、なんでも話せる相手のように感じてしまっていた。それ自体は誇らしいことだが、何事にもデリカシーというものがある。親しき仲だからこそ礼儀あり、これ大事。


 田中ちゃんは驚ききったような顔で、パクパクと口を開けたり閉じたりしている。さすがに刺激が強すぎたようだ。反省する。


 まあ俺は高橋と別れるつもりなんざないし、彼女だって今頃は時間をおいて冷静になってくれているはずだ。

 俺たち二人の間には、未来への憂いは何もない。


「よし、それじゃあ。行ってくる、元気でな」

「あっ、ちょ、ちょと、ちょっと、ちょっとぉ──!!」


 田中ちゃんが慌てて何かを叫んでいるようだったが、これ以上に別れを惜しみすぎると、俺の口が何を滑らすかわかったものではない。

 振り返らずに直進した。

 

「いざいかん京都、敵は本能寺にあり」


 別れの影響からか、今年一番の意味わからん台詞が口をついて出た。



 青年が去った駅前にて、少女の叫びが木霊こだまする。


「そんなのっ、あきらめきれるわけないじゃんっ! バカあぁぁ!!」


 通行人たちが何事かと思って彼女を振り返るも、意に介さない様子である。後方にて成り行きを見守っていた彼女の家族も、目を覆うようにして呆気に取られている。末娘すえむすめの淡い青春の結末は、あまりにもあんまりであったからだ。

 そんな雰囲気を察したのか少女がキッと振り返るも、誰もがサッと目を逸らす。かける言葉なんて一切思い浮かばなかった。

 彼女はそんな家族達の元へと戻ってくると、勢いのまま宣言する。


「決めた、私も東京に行くっ!」

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