第25話 坂の上、坂の街

 夕暮れどきの坂の上、坂の街。


 それを超えた向こうには赤焼けを反射した海面がきらめいていた。そんな大面積からの光がぼんやりと広く暖かく、坂の街と、俺たちを照らしていた。

 意気込んだ彼女は、緩やかな坂道を自転車でくだり、ブレーキを踏む。

 そしてすぐさま、振り向いた。


 俺は急いで彼女へと駆け寄る。

 俺が、やったな、と言うと。

 彼女は照れ臭そうに、当然でしょう、と可愛げのある口をきいた。

 俺は、違いない、と嬉しくなって笑う。


 本当に嬉しく感じていた。

 こんな気立てのいい娘が、俺なんかをしたってくれているのだ。喜びを感じないわけがない。

 不思議と心が温まる。

 きっと夕暮れの光が俺を暖めているからだ。

 彼女の頬とその艶やかな髪が、赤焼けを反射して、オレンジに色づいていた。


 俺が、帰ろうか、と言うと。

 彼女は、うん、と頷いた。


 しかし俺は旅人で、異邦人だ。

 いつか帰るべき場所はここではない。それはくつがえしようのない条理である。仲良くなったその誰彼だれかれにも寄り添うことをしない、この世で最も薄情な部類の人種。それが旅人というものだ。

 しかしせめて、彼女の中に良い思い出として残ることぐらいは期待したい。時がたって、いつか彼女が「自転車を教えてくれた変なお兄さんがいたな」と笑って思い出してもらえるように。


「佐藤さん」

「なに?」


 夕暮れが照らす帰り道。

 二人で肩を並べて歩いていると、彼女が俺の名前を呼んだ。


「また明日から、一緒にいろんな所へ行こう。私、頑張るよ。佐藤さんがこの街で、いい思い出がたくさんできるように」

「それは楽しみだな」

「そうでしょう。あと私だけじゃないよ、うちの家族にも協力させるからさ。そうだ送別会を開こうっ、誰も反対なんてしないよ」

「それは……できればお手柔らかにな。これ以上よくしてもらうと恐縮すぎて、もうすぐ消えちまいそうだ」

「あと、それと──」


 彼女はそこで唐突に足を止めた。俺は対応しきれずに数歩先に進んでしまう。そして後方にたたずむ彼女へと振り返った。

 夕日を背負った彼女の姿は、逆光でその表情を見せてくれない。

 そして俺に伝えてくるのだ。

 


「ねえ、佐藤さん──」


 その言葉は小さな声だった。

 こちらまでは決して届かないほどの。

 もしかすると、口を動かしただけだったのかもしれない。

 

「なんだって?」


 だから、尋ねかえした。

 しかし彼女は取り合わずに、跳ねるように駆け出した。あっという間に俺を追い抜いて先へ行く。そうして駆ける勢いのままこちらへと振り返り、やや体勢を崩しながらも叫んでくる。


「なんでもなーい」


 彼女の姿は夕日に輝いていた。

 今度は表情が読み取れないなんてことはない。

 とても、まぶしい笑顔を咲かせていた。


「気になるだろうが……この。おいっ待てぃ!」

「きゃーっ」


 走りゆく彼女を追いかけながら、ふと思う。

 今が夕暮れで本当に良かった。

 背後から照らす逆光により、俺の表情は彼女には察せなかっただろうから。きっと人前に出れないほどに、情けない顔をしているに違いなかったから。


 不覚である。

 まさか見惚みとれてしまうとは思わなんだ。

 あんなのは反則だった。

 

 彼女の笑顔はとても魅力的で──すごく綺麗きれいだったから。

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