第20話 独白①(長崎の少女視点)【改稿済み】

 ──さびしそうな『眼』をする人だな。

 そう思ったのが、彼に対する第一印象だった。


 穏やかそうな顔つきに、理知的にわきまえている物腰。これまで私が接してきた人達とは違ったタイプの男性で、まさに『お兄さん』というイメージを思い起こさせる。私とて人並みに、理想的な兄弟姉妹を夢想することだってある。とりわけ男兄弟というものには、存在しないからこそのあこがれがあった。そして彼の姿が、そんな私の理想に近かったことは否めない。


 とはいえ、初対面のときには状況がそれどころではなかった。


 それは、お姉ちゃんが事故に巻き込まれたと聞いたときのことだ。

 しらせを受けた私たち家族は慌てて病院へと駆けつけた。怪我の処置を受けているというお姉ちゃんの元には両親だけが向かい、私は病院のロビーに残される。そうして詳しい状況もつかめずに混乱する思考でグルグルしているとき、彼と出会った。けれど落ち着いて話すひまなんてない。おじいちゃんとおばあちゃんが彼にし始めたのだ。お姉ちゃんの恩人だという彼に、だいの大人が躊躇ちゅうちょなく頭を下げる。私は初めて見る祖父母の行動に呆けていたが、やがて二人にならって地面に伏した。彼は困惑する様子を見せるばかりだったが、最後には私たち家族の行動に合わせてくれた。


 その後は、処置室にて検査を受けていたお姉ちゃんと対面した。

 私はこらえきれなくなって「ごめんなさい」とポロポロと泣いてしまったが、お姉ちゃんの方も「ごべんねえぇ」と漫画のような滂沱ぼうだの涙をこぼす。そのまま抱きついてきて、鼻水を私の服にこすりつけてきた。この姉は本当に仕方ないと思った。こんな憎めない人柄は卑怯ひきょうではないかと思うばかりだ。

 そんな一幕もあり、私たち家族の中でも色々とあったが、それは今は話すことではないのでひとまずは置いておく。


 家族での話し合いもひと段落したところで、ようやく彼と話す機会がもうけられた。病院の談話室で改めて彼と向き合うことになる。彼はとても快活な男性だった。

 どうやらおじいちゃんもおばあちゃんも彼の人柄を気に入ったようだった。話の末に、自分達の住む家を彼に貸し出すとまで言い出したのだ。びっくりする。なんと世話役として私を当てるとまで言い出したから。普段から孫娘にデレデレなおじいちゃんから発せられる台詞とは思えなかった。それだけ彼のことを買ったのだろう。


 私としては……実はまんざらでもなかった。

 彼のその物憂ものうげな眼が私をきつける。まるで見つけられない探し物を必死になって求めるような、悲しげでミステリアスな瞳が、私の心をとらえて放さない。


 自己紹介をすると、彼も名乗ってくれる。


 ──彼の名は佐藤さんといった。



 彼がおじいちゃんの家で暮らし始めた日のこと。

 本来なら家主やぬしであるおじいちゃんかおばあちゃんが初日くらい接待せったいするのがすじだと思ったが、二人とも姿を現すことはなかった。お姉ちゃんに関する諸々もろもろで先送りになったからだ。事故でショックを受けたであろうお姉ちゃんによりうため……という名目だったけれど、あれは半分監視だ。姉は今頃、コッテリとしぼられていることだろう。おばあちゃんは怒ると本当に怖い。

 そんな経緯があり、彼をもてなす役目は私だけに任された。

 私が、彼を満足させる必要がある。

 私はパチンとほほに気合を入れて、けれどどこか浮ついている心持ちで、夕飯の準備を進めていく。冷蔵庫を開くと中身が心もとなかった。料理の材料がないのだ。台所をあずかるおばあちゃんが長期不在なのだから仕方ない話ではあるが「なんでよ〜」となげいてしまう。これでは自信のある献立こんだてを提供することはできない。

 仕方なく、私は限られた食材で料理をする。レパートリーをひねり出して、できる限りの工夫を凝らし頑張ったが、結局、できあがったのは普通の献立だった。

 いつもの食卓で見るような、いつもの食事。

 不本意だ。

 もちろん調理に不手際ふてぎわなどはない、味が悪いわけでもない。だが地味だった。これがもてなしの料理となると首を捻らざるを得ない。彼にはもっとちゃんと豪勢なものを食べてほしいなと思っていたのに──


 そこではたと気づく。


 ここまで自らの都合ばかりを優先して料理をしていたが、彼の都合というものまるでかえりみていない。彼の好みというのをまったく把握していないのだ。例えば魚アレルギーなんてものがあったりしたら、今日の夕飯は悲惨なことになる。メインのおかずは煮魚だ。

 私は慌てて客間へと向かう。

 そんな風に狼狽うろたえていたので、入室の際の配慮を忘れてしまった。まともな声かけもせずに客間のふすまを開く。

 

 部屋の中で、彼は微笑わらっていた。

 楽しそうな顔をして、電話の相手へと安心させるような声をかけている。彼の物憂げだった眼が、優しげにやわらんでいた。


 私は慌てて不作法ぶさほうを詫びると襖を閉じる。びっくりして胸をドキドキさせていると、通話が終わるまで待ってくれと言う彼の言葉が聞こえてきた。なんとか了承の言葉を返して、その場を離れる。

 台所へと戻ってきてからも、先ほどの彼の表情が頭から離れない。

 彼はあんな顔をして笑う人なのだと理解するとともに、その笑顔は誰か知らない人に向けられていたことに気づいた。料理の支度したくをととのえながら、モヤモヤとそんなことばかりを考えていた。


 彼が居間にやってくると夕餉ゆうげとなる。

 二人で普通の食卓をかこむ。

 私にとっては特別でもない、ありふれた日常の味がした。それはなんだか、私のありのままを見せている気分になって恥ずかしかった。

 けれど、彼はそんな私の料理を美味しいと言って食べてくれる。

 どうしてだろうか、それがお世辞せじではなく、本心から言ってくれていると私には思えてしまった。さすが男の人は違うなという健啖けんたんぶりで、パクパク、パクパクと食卓の料理がなくなっていく。

 嬉しくてたまらなかった。

 自分の作る料理が、ここまで人に喜んでもらえたのは初めてだった。

 だからこそ、先ほどからのモヤモヤが気になってしまう。


 私は尋ねてみることにした。 

 先ほどの電話の相手は、あなたの彼女なのかと。

 答えは肯定だった。


 そっか。残念ではあるが、こればかりは仕方ない話だ。

 むしろこれで良かったのだと思う。色々と舞い上がってしまい、取り返しのつかないことをしでかす前に知れたのだから。そもそもだ、私は彼に理想の『お兄さん』を見出みいだしたのであって、そういう対象としては期待していない。勘違いをしてはいけない。

 だから、うん、大丈夫。


 私は気持ちの折り合いをつけると、自分の立ち位置というのを決めることにした。これから先、どのように彼と接するべきなのか。どうやら彼の方は、私のことを親しい女友達といった感じでとらえてくれているようだった。それならばせっかくだ、擬似的に『兄妹ごっこ』を楽しんでみるのも面白い。彼が兄で、私が妹。長期休暇明けに、学校の友達へと披露ひろうする自慢話としては丁度良いような気がした。

 私はちょっとした喜びを想像しながら、そのように決意した。

 

 その前に少しだけ、一言だけだ、今の不満を口にしてしまおうと思う。気持ちを切り替えるためには、そういった儀礼的なものは大事だから。


「あーあ」


 素敵な予感がしたんだけどな。

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