第19話 佐藤さんは、聞き上手だ【改稿済み】

「『外』の世界ね……」


 田中ちゃんの言葉について考える。それは漠然ばくぜんとした問いかけで要領ようりょうないものであった。だが感覚で理解できることもある。

 旅というのはつまり、見知っている『内』から見知らぬ『外』へと飛び出していく行為だ。彼女の表現は決して納得できないものではない。しかし、その表現の中にはいったいどのような葛藤かっとうが含まれているのか、それが分からないと適切な返しができそうにない。


「詳しく聞いてもいいかな」

「うん」


 俺がうながすとポツポツとだが田中ちゃんが心の内を明かしてくれる。

 感情がまとまっておらず、何が言いたいのか何がしたいのか、簡単には理解しにくい言葉たちであったがそれで構わない。自分でもよく分からないわだかまりだからこそ、人は悩むものだ。理路整然りろせいぜんと語れるような悩みであれば、それは自分の中で感情の整理が済んでいる。


「私ね、昔からお姉ちゃんがうらやましかったんだ」


 もちろん大好きな家族であると、だからこそ自分にはない輝きを持つ姉にあこがれる部分があったと、彼女は言う。


「うちのお姉ちゃんは自由でさ、なんでもかんでも楽しそうにする。そんな姿がとてもまぶしくてさ……ウロチョロして邪魔くさい時もあるけど。大学に進学するときだって『外の世界を見てくる』って言って、県外に出ていって、そのまま結婚して帰ってきた。赤ちゃんもできた。とても幸せそうだった」


 田中ちゃんのお姉さんについては、俺も会話を交わして思ったことがある。自由人じゆうじん。俺の目から見ても自由奔放じゆうほんぽうだと思えるところがあり、大仰に言えば破天荒はてんこうな女性だった。だからこそ、気ままな気風をこのむ俺としては好感が持てる。

 そして昨日さくじつの食事会の際、彼女は自分でも「私はほら、こんな感じだからさ──」と自覚ある発言をしていた。しかし、その次に続いた言葉は「あんなにしっかりとした妹をもてて安心なんだよ」と妹を自慢じまんに、そして尊敬するような発言であった。

 妹が姉を羨むように、姉もまた妹をうやまっていた。

 素敵な姉妹しまいじゃないかと、そう思えた。

 しかし──


「私にはそんな生き方はできないよ。ただ漫然まんぜんと、ずっと『内』の世界にこもって、なんとなく生きていくしかできない。だから、お姉ちゃんの姿を見ているとあせるような気持ちになった。苦しいなって思った」


 妹の方は、おのれを恥じるような発言をする。

 その考え方は違うのだと言ってしまいたかった。だが、まずは彼女のわだかまりを吐き出させることが肝要かんようだ。ゆえに黙って話を聞き続ける。すると田中ちゃんは話題の方向を変える。まるでなにかの罪を告白するかのように話を切りだす。


「そんなときにお姉ちゃんから『外に抜け出すから、うまく誤魔化しておいて』って頼まれた。ほら、佐藤さんが助けてくれたときの話──実はさ、お姉ちゃんが一人だけで散歩に出れたのって、私が協力したからなんだ」


 それは、お姉さんがあわや大惨事だいさんじになりかけた一件である。彼女は一人での外出中に、路面電車の前へと倒れ込んで事故を起こしかけた。

 なるほどと納得する。

 そもそも身重みおものお姉さんをサポートするために家族がひとところに集まっていたのであり、そんな家中かちゅうにおいて中心人物が気づかれずに外出できるかは疑問であった。協力者がいたとなれば、確かに都合つごうがいい。


「軽い気持ちだったんだ。ただお姉ちゃんは本当に仕方ないなって思って……もしかしたら『一度いちどは痛い目でも見ればいい』なんて考えがあったかもしれない。そしたら本当に大事おおごとになった。お姉ちゃんが往来おうらいで倒れたって聞いて……とても怖くなった」


 田中ちゃんは身震いする体を抑えこむようにして、己を抱いた。


「お姉ちゃんがりる分には、どうでもいいとしても──」


 さらりと酷いことも言う。


「お腹の赤ちゃんが、その……しそうになったって聞いて。自分はなんてことをしてしまったんだろうって、ふるえがとまらなくなった」


 言葉の一部がうまく聞こえなかったが、それでいいと思う。言いたいことは伝わったし、むべき言葉は使わないでいたいと考える気持ちはよく分かる。

 彼女はしばらく黙り込んで、うつむいていた。やがて心を落ち着けたのか「ごめんね、急にこんな話をして」と謝ってくる。俺は「いいよ、大丈夫だ」と首を振った。


「本当はさ、佐藤さんに聞きたかったのはこんな話じゃないんだ。ないんだけど──色々と抑えきれなくなっちゃった」


 彼女の瞳はうっすらとだがれていた。きっと一人でずっとかかえこんでいたのだろう。今みたいな話であるなら尚更なおさらに家族には話しにくかったに違いない。


「そうか、良かったらもっと話してくれ。それぐらいなら俺にもできる」

「へへ……佐藤さんは、聞き上手だ」

「おう。なにがあっても『話せばわかる』というのは、実証済みだぞ」


 きちんと話し合えば、不貞行為による痴情ちじょうのもつれでさえ円満に解決する。そんなこちらの事情が口をついて出たが、田中ちゃんには意味が伝わらず、首を傾げて不思議そうにされる。しかし、流すことにしてくれたようだ。


「佐藤さんに聞きたかったのはさ──」


 田中ちゃんの話は続く。

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