第16話 昔から放浪癖があってね【改稿済み】

 ガラガラと引き戸を開き、店内へと入るとそれなりに客入りがあった。中の様子は、まるで開放的でスタイリッシュな有名店──なんて雰囲気は一切感じさせない。言うなれば、昭和期の下町の食堂だ。天井近くにくくり付けられたテレビからプロレスの放送でもされていれば、それだけで何かしらの映画の舞台になってしまいそうな雰囲気がある。

 そんな店内に、適当な空席を見つけて腰掛ける。すると店員がやって来たのでちゃんぽんを二つ注文した。その後は給仕が来るまでの間を、田中ちゃんと会話してごす。


「中華料理店か……チラホラ見かけたけど、長崎の人はみんな中華が好きなの?」

「んー……? 言われてみれば多い気もする。確かに嫌いじゃないけど、何かと目についた理由は、やっぱり中華街ちゅうかがいがあるからじゃないかな」

「あ、そうか」


 長崎といえば、いわゆる日本三大中華街の一角をようする都市であった。そのことをすっかり忘れていた。このように、なにかと名物に事欠ことかかない長崎の地は、本当に見応えのある都市だと思う。


「つい見落としてたな、後で行ってみよう──これで三大中華街は全てまわったことになるし」

「全てって……横浜と神戸の中華街も?」

「ああ、そうだよ」


 田中ちゃんが怪訝けげんな顔をしてこちらを見る。なにか変なことを言ったかと疑問に思うも、彼女の方から質問がきた。


「大学生って、そんなに旅行できるほど時間があるの?」

「ああ、なるほど」


 彼女の疑問はもっともだった。

 全国の観光地をアチコチ移動するとなると、それなりの時間を要する。ましてや田中家の皆さんには、自己紹介の際、俺が大学一年生だということも伝えていた。いくら時間に余裕がある大学生だとて、一年間に満たない期間に、三つも四つも都市を周遊しゅうゆうするのは難しいところがあるだろう。


「昔から放浪癖ほうろうへきがあってね。前々まえまえから旅に出ていたんだよ」

「あーそっか。別に高校生でも旅行はできるもんね」

「小学生の頃から県外にさまよい出ていた」

「小学生!?」


 田中ちゃんから目をまん丸にしておどろかれてしまう。そしてそのまま「あの……そうなると親御おやごさんとか心配しなかったの?」と恐る恐る尋ねられてしまう始末しまつだ。俺は苦笑して「ああ、大丈夫だよ」と弁明する。それとともに、彼女もさとい娘だと感心した。

 小学生ぐらいの子供が一人でフラフラと旅をすることが異常であり、それを容認ようにんする家庭というのは一般的ではないことは想像できることだ。


「いや、大丈夫じゃないかもだけど。心配をおかけするような話ではないよ」


 俺の実家はごく普通だった。それどころか笑顔の絶えない温かい一般家庭である。問題なのは、タンポポの綿毛わたげのような俺の放浪癖だけだ。


「あんまりにも俺が家出いえでするもんだから、親父が折れてさ。休みのたびに俺につきあって旅に出てくれたんだ」


 そのように細々こまごまと旅を繰り返してたら、中学を卒業するころには一人旅の許可が出ていたと、そのような弁明をする。まあそれも、一人で旅をして大丈夫だと太鼓判たいこばんを押されたというよりは、親父の方が付き合いきれなくなって仕方なく、みたいなところがある。

 我がことながら、本当に両親には苦労をかけてばかりだ。


「金のかからない旅のやり方も、当時からの経験で覚えたな。基本的に、時間をかければその分だけ出費は抑えられるようになってる。タイムイズマネーだ」

「はー……筋金入りだ」


 田中ちゃんが感心したのか呆れたのか、分からないため息をついた。俺が「められたものではないので、ぜひ真似まねしないでもらいたい」と伝えると「真似できないよっ」と返される。ごもっとも。

 ちなみに意図的にせた情報ではあるが、俺は高校卒業と同時に一年間、放浪の旅に出ている。つまり浪人ろうにんしているのだ、旅に出るという理由だけで。こちらは本当に褒められないので、伝えないでおいた。 

 大学生というのは便利なもので、学年だけ伝えれば年齢は察してくれることもある。本来であれば、高橋や鈴木という馴染みたちは一つ違いの年齢なのだ。


「でも何で、そんなに旅が好きなの?」

「さてね。とにかく当時は色々あってすさんでたからさ。その不満のぶつけ方が、俺にとっては旅だったってだけ」

「あ、ヤンチャしてたんだ?」

「生まれてこのかた、非行に走ったことはないぞ」


 頻繁ひんぱんに旅立って、家族に心配かけることが非行ではないかと問われれば、それは返答にきゅうする。だが、警察のご厄介になるようなことはしていない。一人旅に出るからにはほかに迷惑をかけないように、それだけは特に気をつけているところだった。


「お待ちどーう」


 会話を続けていると、店員が二つのうつわをもってテーブルまでやってきた。満をしてのちゃんぽんの登場だ。

 俺たちは「いただきます」と互いに拝みこむような動作をして、湯気をたてる器へと箸をつけた。ほふほふと、空気を口内に取り入れながらに味わう。


「美味しいな」

「でしょう」


 俺がそう言えば、ホッと安堵あんどしたような笑顔が返ってきた。その顔を見て、田中ちゃんがこの店に来るまでに見せた、しぶるような態度に納得がいく。きっと不安だったのだ。

 このちゃんぽんであるが、味に大きいインパクトはなかった。それは言い換えれば『無難な味』とも言える。人はときとして、食に奇抜きばつを求めるものだ。それゆえに観光客にはススメずらいものかもしれない。

 しかし、特徴という特徴が感じられないそのちゃんぽんは、きっといつまでも愛される味な気がした。連日のように食したとしても、飽きもせずまた食べにこようと、そう思えることだろう。大袈裟おおげさに例えれば、人生において幾度となく楽しめる。

 そんな優しい味だ。

 そして、この味が好きだと言う彼女の人間性もまた、それになぞらえたものであるかもしれない。ふと、そのような考えを抱いた。


「どうかしたの?」

「ん、味の好みに性格とか出るのかなって考えてた」

「変なの」


 田中ちゃんは不服そうに、口を尖らせる。

 俺はそれが可笑おかしくてたまらなかった。


「あ、そういえばさっきさ。『小学生の頃から県外に』って言ってたけど。佐藤さんって東京の人じゃないの?」

「違うよ、大学が東京なだけ」

「それじゃあ出身はどこなのっ?」

「それは秘密だな」

「なにそれ〜」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る