第14話 長崎ってちょっと、変じゃない?【改稿済み】

 翌日の早朝のこと。

 チチチと小鳥がさえずり始めて、辺りは薄ぼんやりと日光に照らされる。今日は絶好の行楽日和こうらくびよりだと断言できる、そんな快晴だった。

 俺は玄関を出ると振り返る。

 立派な古民家がそこにあった。

 周囲一帯のみねの上に建つ、まるで長崎の街を見下ろす天守閣てんしゅかくのようにも思える屋敷やしき。その家こそが、田中家の持ち家であった。大きさこそ屋敷というには控えめであるが、何かしらの文化財に指定されてはいないかと、気後れしてしまうほどに立派な風格がある。


 もしかしたら田中家は地元の名士なのかもしれない。

 ふと、そんなことを思う。


 田中ちゃんの祖父母である老夫婦も、会話をするとこちらが見劣りを気にするほどに貫禄かんろくと気品に溢れていた。そうなると、ただ一介いっかいの旅人のそで触れ合いとしては奇特きとくな経験をしているかもしれない。そんなふうに旅のえつに入る。

 すると後方より、俺を呼ぶ声が聞こえてきた。


「佐藤さーん。おはよう」

「ああ。おはよう田中ちゃん。今日はよろしく頼む」

「うんっよろしく」


 挨拶あいさつを交わすと田中ちゃんはまぶしい笑顔を見せてくれた。うなずいた拍子ひょうしに結った髪が揺れる。今日は一日、彼女に長崎の名所を案内してもらうことになっていたが、同行人の元気が良いとこちらも嬉しくなる。

 どうやら石段いしだんを登ってきて現れたらしい彼女は、息切れひとつさせていない。見ると山の下のほう、下界げかいまで連なる長い階段だった。地元民としての慣れもあるだろうが、本当に元気な娘だ。


「何みてたの?」

「いや、すごい立派な家だなって思って」

「あー、古い家だからね。何でも昔は料亭とかやってたみたいだよ。それを代々受け継いでるってかんじ」

「なるほど、だからか。ご飯、美味うまかったもんな」


 昨日の田中ちゃんの手料理を思い出す。とんでもなく美味おいしかった。きっとそれもまた、田中家にて受け継がれてきた味なのだろう。


「私は普通だよ。あっ、お婆ちゃんの料理は本当に美味しいからさ、佐藤さんがいる間に作ってもらえるよう頼んでみるね」

「これ以上お世話になると申し訳ないところなんだけど──そんな風に言われると興味がつきないなぁ」

「覚悟しといてよ。マジお金取れるレベル」

「あかん。お金取られる」


 有料となると貧乏学生には痛い。


「いくら積めばいい?」

「さてどうでしょう。高級料亭のお品書きに金額なんて書かれていると思うかな?」

「あー……一度だけ親父に連れられて入ったことあるけど、あれ恐怖だよな。金額が気になって、味もよく分かんないし」

「そうなんだ。私、そんなお店入ったことないから分かんないや」


 他愛ない会話をしつつ、どちらともなく歩き始めた。

 田中ちゃんが現れた長い石段を、二人で並んでくだって行く。向かうのは山を下りた先、平地にある路面電車の停留所だ。長崎の街の観光を、チンチン電車でめぐるのだ。

 道中をおしゃべりしながら進んでいると、彼女のことがわかってくる。

 彼女は天真爛漫てんしんらんまんな娘であるようだった。楽しそうにあれこれと会話しては多彩な表情を覗かせてくる。その様子は可愛らしいとしか言い表せず、俺に「何だろうか、この気持ちは?」と疑問を抱かせる。


 思えば、生まれてこの方、十九年。

 毎日、毎日。兄弟の顔を見て育ったものだ。

 そう、むさ臭い弟の顔をだ。

 今でこそ大学に進学して一人暮らしを始めたから、しばらく顔を見てはいないが、まだまだ懐かしいという感慨を覚えるには至らない。見飽きているから。

 しかしどうだろう。田中ちゃん。

 彼女がもし俺の兄弟であったとして、見飽きるなんてことはあるだろうか?


 いな。断じて否。


 頭によぎるのは『妹』という一文字、その言葉は俺の脳髄のうずいに甘美な稲妻を走らせる。なるほど妹がいたのなら毎日こんな感じの生活が送れるんだなと、世の諸兄姉しょけいしたちへとうらやみの感情を抱く。だが、彼らからすれば「夢から覚めろバカ」ということらしい。いいじゃないか、夢ぐらい見させて欲しい。


「あっ、ちょっと止まって」


 俺が愚にもつかない妄想もうそうを繰り広げていると、田中ちゃんから静止を受ける。

 ちょうど狭い路地へと入りこみ、石段が交差点のようにクロスしている場所だ。俺たちの側面には民家が立ち並んでいるために見通しは悪い。こんなところで立ち止まる理由がわからずに、呆然としていると「ダダダダッ」と何かが転がり落ちてくるような音がする。どうやら交差点の右方より、誰かが下降くだりおりてきているようだ。

 最初は「何事かな?」とのんびりと傍観ぼうかんしていたが、その音は段々と大きくなる。なにやら相当な物量がやってくるように感じて、いよいよ無視できない轟音ごうおんが耳へと届く。何か巨大なモノが迫ってきている。


「あの……田中ちゃん?」

「んー、ちょっと待ってね。先に行ってもらうから」


 思わず尋ねるも、彼女は何事もない様子でいる。いったい何が起きているのかとハラハラしていると、それは唐突に現れた。

 右方よりツナギを着た一人の男性と、彼に牽引けんいんされた巨大な箱。初めはリヤカーか何かかと勘違いしそうになったが、車輪のないただの箱だ。その中にはゴミゴミとした雑多な物が詰められている。


「あ、どーもー」

「どーもー。ご苦労様でーす」


 彼らは立ち止まらずに、凄い勢いで階下へと駆け降りていった。

 とにかく速く、石段にぶつかっては漫画みたいな飛びねぶりを見せるゴミ箱。それらは豪快な音をらしながら、遠く下方へと小さくなっていった。


「なに、あれ?」

「え、ごみ収集だけど?」


 あまりにも異様で衝撃的な光景に、呆然と尋ねてみると、平然とした返事があった。詳しく聞いてみると、路地が狭く、階段しか通路がない山の手の町においては、収集車なんて進入できるはずもなく、ああして人力にたよった手法をとっているとのことである。主な経路が階段なので、ゴミ箱に車輪なんて付けようものなら制御がつかずに危ないのだとか。

 ええ? だからといって……ええぇ?

 こういっては何だが──


「長崎ってちょっと、変じゃない?」

「そう? 普通だよ」


 これからの観光が俄然がぜん楽しみである。

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