第12話 チンチン電車が嫌がる俺を無理やり【改稿済み】

 宿を確保しきれなかったことを報告すると、あれよあれよという間に田中夫妻の御実家へと厄介になる段取りが組まれてしまっていた。その急具合といえばナイアガラ瀑布ばくふもかくやといったほどである。


 そのようにして俺は田中家へとお邪魔している。

 山上にあり高い場所にあるその家は、暗くなれば長崎の夜景を拝むことができる。そして標高もさることながら、そのたたずまいは立派で、きっとかくというものも一等高いと思わせた。

 そんな格式高そうなお屋敷の一室にて。余分な調度品がなく、質素だからこそ雰囲気のある和室の客間。俺は座布団に座り込んで電話をかけていた。

 数回のコール待ちをした後、相手の声が耳に届く。


『佐藤くんっ、無事なのっ!?』

「おお」


 でかい声だ。

 電話越しに高橋の興奮した声が響く。


『アキちゃんから路面電車にかれたって聞いて私……気が気がじゃなくて』

「ああ、なるほど。そこから話が伝わったのか」


 アキちゃんというのは俺の弟にあたる。

 俺がチンチン電車に接触した後、警察とのやりとりというものがあった。事情聴取というやつだ。その際に「保護者に連絡を」とのことだったので家族には連絡を入れていた。無事息災ぶじそくさいだと説明はしていたが、だからと言って心配にならないわけではなかったようだ。


『怪我はないの?』

「かすり傷だな、絆創膏ばんそうこう貼るのも億劫おっくうなほどだよ」

『頭を打ったりはしてない?』

「ああ、大丈夫だ」


 高橋からあれこれと質問攻めにあうも、面倒がらず一つ一つ答えていく。身を案じてくれる人がいるというのはありがたいことだ。


『路面電車っていうから、あの大きさの鉄の塊に佐藤くんが潰されちゃったんじゃないかって』

「俺もチンチン電車にかれる日が来るとは思わなかったけどな。いやほんと思ったよりもチンチン電車って大きくてさ、当たり前のように硬いし、そしてチンチン電車が嫌がる俺を無理やり──」

『……佐藤くん。それ、チンチン電車って言いたいだけでしょう』

「バレたか」


 電話越しにとがめるような気配を感じ取る。その様子に普段通りの態度が想像できて、彼女の気持ちもだいぶ落ち着いてきたようだと察した。しかし彼女はもとより情に厚い女性だ。本来であれば、こちらから電話をかけなくても向こうから連絡を寄越よこしてきただろう。


「遠慮なんかしないで、そっちから電話してきても良かったのに」

『……ごめんなさい』

「責めてるんじゃなくてさ」


 気落ちしたような声に苦笑してしまう。

 まだまだ、全てが元通りとはいかないようだった。


「旅に出る前に君が言ってたこと、まだ気持ちは変わってない?」

『……実は、自分の気持ちがよく分かんない』

「そっか」


 そこは仕方ないだろう。

 人の気持ちなんて、すべてがすべて理屈をこねて説明できるものではない。だから今は、彼女が普段の調子を取り戻しつつあることを喜ぶことにする。

 そしてもう一つ気掛かりなことがあった。


「あーその、なんだ……鈴木とは上手くやってるか?」


 仲良くしているのか、それとも不必要に仲直りしすぎてはいないか。正直なところ俺たち三人の関係において、彼ら二人の間柄あいだがらがいちばんこじれそうな予感はしていた。


『あのあと謝られたよ。土下座で』


 あいつやっぱりやりやがった、と舌を巻く。

 結果はどうなったと尋ねてみると『一言も口きいていない』とのことだった。あわれなり鈴木。


『実はまだぐちゃぐちゃなことばっかり。鈴木くんが、あんなことさえしてくれなきゃって思う自分もいて、私が悪いことだって色々あるのに。彼は単純に好意が抑えきれなかったことは分かってる、私だって彼を受け入れようとしたのに』

「あんまり聞いていて楽しくない話だなぁ」

『ぁ……ご、ごめんなさい』

「あー、いや──今のは俺が悪かった、すまん」


 ついポロリと漏れ出したボヤキのつもりだったが、彼女にとっては非難の言葉であろう。口では「許した」と言いつつ、後でネチネチ嫌味を言うなんてのは狭量きょうりょうだと反省する。

 そもそもの話だ。

 高橋は俺に不貞を目撃されたとき、全てを鈴木のせいにして「嫌がった私を無理やりにっ」と俺に泣きつけば保身は果たされたのである。やはり、こういう男女のちょめちょめトラブルの際には力の弱い女性側の証言は強い。『同意の上だった』『いやそうじゃない』なんて口論するのは、テレビのワイドショーを見ても溢れている。

 そこを馬鹿正直に「私は不貞を働きました」と認める高橋は、武家の娘かなと問いたくなる。そういういさぎよい面もまた、俺が彼女を『いい女』だと評する一因となっている。


「まあ早急に解決しなきゃいけない問題でもない。なんとかなるさ、ケセラセラだ」

『佐藤くんはその言葉、好きだよね』

「ああ。ただの現実逃避をそれっぽく整えてくれる魔法の言葉だぞ」

『そんな身も蓋もない言い方』


 俺のおどけにかすかにだが笑うような気配が生まれる。よきかな、よきかな。彼女が笑ってくれるのなら、俺はいくらだって道化になろう。


『ケセラセラか……覚えとく』

「それがいいさ」


 ふと雰囲気がやわらいだので、その調子のまま談笑を続けた。しばらくはほんわかとらくな時間が続く。そのように穏やかに過ごしていたのだが、客間の外に人の気配を感じる。


「佐藤さーん、失礼します。晩御飯について、質問があるんだ……ですけど。佐藤さんって食物アレルギーとか──」


 脈絡みゃくらくもなく客間のふすまを開けて顔をのぞかせたのは、この家の主人の孫娘さんだった。つまりは田中夫妻により、俺のお世話を命じられた妹さんの方だ。

 彼女は開いたふすまの隙間からこちらを覗き、俺が電話中だと気づくとバツの悪そうな様子を見せる。その可愛らしい仕草に、これは彼女のことを『田中ちゃん』と呼ばねばならんと決意したのは、ほんとどうでもいい話だ。


「あっ、ごめんなさい」

「ああ、大丈夫だよ」


 田中ちゃんは慌てたように襖を閉じ、引っ込んでしまう。その際に彼女の結った髪が動物の尾っぽのような躍動やくどうで揺れた、それがなんだか可笑しかった。

 俺は「すぐそっちに行くから、ちょっと待っててもらえる?」と声をかける。すると「わかりました」と返事があって、襖越ふすまごしに彼女が離れていく気配を感じた。


「ごめん高橋、ちょっと用事が──」

『──今の声、女の子?』

「わかった、話しあおう」


 おっと、漫画みたいな展開だぞ。

 高橋の声音こわねに含みがある。

 俺は咄嗟とっさに、彼女から激怒されたしなめを受ける漫画的ストーリーを妄想もうそうした。だが大丈夫である。高橋は決して思い込みが激しかったり人の話を聞かなかったりする女性ではない。キチンと説明すれば状況は理解してくれるはずだった。

 もとより高橋に電話をかけた理由というのは、現状について申しひらきするためにあった。それをすっかり忘れてしまっていた。

 伝える必要がある。

 俺もまさか田中ちゃんと同棲どうせいなんてことになるかと危惧きぐしていたが、もちろんそんなことはない。彼女は夕飯を作ってくれた後は自宅へと帰る手筈てはずとなっていた。あくまで給仕きゅうじとしてのお世話係なのだ。彼女には帰る家があり、家族が待っている。まさかそんな状況で手出しなんてできようはずもない

 そんなこんなを高橋へと説明する。

 すると、彼女から何かを決心したような返答があった。


『あの……うん、大丈夫だよ。佐藤くんに好きな人ができたのなら、覚悟はできてる。私にとやかく言う資格なんてないから』


 そうだった。

 この娘は今、めんどくさい精神状況にあるんだった。


 その後、懇切丁寧こんせつていねいに事情を説明し直したが、どうにも手応えがつかめない。最後には田中ちゃんを待たせていることもあり、有耶無耶うやむやなまま通話は切れてしまう。

 大丈夫であろうか、はなはだ不安である。

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