第11話 鈴木とは違うんです【改稿済み】

 俺が命を救った女性というのは、いいところのお嬢さんであったようだ。

 ほがらかに会話する老夫婦の姿をみて、何となくそう思う。所作が優雅というべきか、洗練されている様子が見受けられるのだ。そうなると一般家庭で野放図のほうずに育った俺としては付け焼き刃の礼儀作法で応対するしかなく、ヒヤヒヤするしかない。


 彼らは名を田中と言った。

 長崎の街に住む、変哲ない一家だという。


 俺はお孫さんに礼をさせるから待っていてほしいと言われていた。彼女は現在、両親と共に別室で点滴を受けている。急ぐ旅ではないのでこれをこころよく承諾する。

 そういう経緯により、病院内にある談話スペースへと場所を移してコーヒーををいただきながら、この度の騒動について事情を聞いてみた。


 まずは当のお孫さんが身重みおもの体に関わらず一人でいた理由であるが、なんと家から抜け出したのだそうだ。

 県外にとつぎ、妊娠発覚とともに帰省きせいした彼女であったが、ちと鬱屈うっくつしていたそうである。なにせ自分のために、長崎市内にて別に居を構えていた祖父母まで出張でばってきた。初孫であるから浮かれていたのだという。結果として彼女の生家せいかにおいては一家総出でのサポート体制が敷かれており、食器を片付けることすらさせてもらえず、息苦しさを感じていたとのこと。

 そんなこんなが積み重なり、ついには鬱憤うっぷんが爆発したのだ。

 彼女は気晴らしと悪戯心いたずらごころをもって一人黙って散歩に出かける。するとその出先で調子が悪くなった。これはまずいと路面電車を用いて帰宅しようとしたが、ついには倒れ込んでしまったと。

 そういう始末であるらしい。


「あの娘は、後できつくお説教です」


 そう言って笑う奥方の目が一番怖かった。

 俺には苦笑することしかできない。


 ふと、話の最中で一人だけ沈鬱そうに黙り込んでいる者がいることに気づく。田中家のもう一人の孫娘。おそらく、妹さんらしき少女だ。

 彼女はずっと黙り込んでいた。その様子はどこか、何かを恐れているようにも見える。気になりはするが、どのように話しかけるべきかが分からない。そのように言葉を選んでいると、次第しだいに話題は俺の事情へとうつっていく。


「放浪の旅、と。いいですな、青春ですな」


 俺が旅の目的を語ると、田中さんがそのように評した。

 さすがに彼女と親友が不貞を働いた云々うんぬんは、必要ないために省いている。ただ突発的に漫遊の旅に出たとだけ伝えた。

 俺の話を楽しそうに聞いていた田中さんは、地元のどこそこが見応えあると情報を教えてくれつつ「何か困っていることはないか?」と尋ねてきた。


「実は──」


 俺は自らのバックパックを示す。

 路面電車との接触で大きく破れてしまっていた。おかげで俺自身は軽傷けいしょうですんだのだが代償があった。持参した旅道具の中でテントだけが使い物にならなくなっていた。どうやら衝撃は全てコイツが受け持ってくれたようだ。

 そうなると、宿泊事情というものがシビアになってくる。


「どこか飛び込みできる宿泊先をご存じないでしょうか? その、恥ずかしながら価格最優先で」

「ふむ」


 俺が問うと、田中さんは奥方とアレコレと相談しはじめた。

 二人ともやけに真面目な顔をして話し合ってくれている。

 その真剣な様子に、これは期待できる返答があるかなと呑気のんきに思っていると、改まって話しかけられる。


「佐藤さんは、長崎にどれくらい滞在する予定なのですかな?」

「そうですね……長くても一週間ぐらいかなと考えています」

「なるほど。実は先ほど話したとおり、私ども夫婦は今、娘夫婦の家に厄介になっている身の上でしてな。長いこと自らの持ち家を空けているのです」

「はい」


 唐突な話の展開に、うん、どういうこと? と首をひねる。

 彼らの家事情と俺の宿泊事情がどう関係するのかが咄嗟とっさにはつながらない。そのように俺がとぼけていると、田中さんが豪気な提案をしてくる。


「いわば空き家を持て余しとるような状況ですので、よければ使ってやってください。もちろんお代なんていただきませんから」

「えっ!? いや、それはさすがに──」


 会って間もない人物に持ち家を好き勝手させるというのは、それは豪気にぎる。何より、俺自身がその信頼に応えられる自信がない。もちろん空き巣やらの悪事なんて犯しやしないが、それでも何が起こるか分からない世の中だ。不注意で火事なんて起こそうものならば、目も当てられない事態になる。

 そういう不安もあり「お気持ちは嬉しいですが──」と、やんわりと辞退しようとする。だが俺の言葉をさえぎって、田中さんが何かに気づいたように言う。


「確かにそうですな。いきなり、よそのお宅に一人で放り込まれたとなれば勝手も分からぬでしょうし、色々と不安なことも出てくるでしょう」

「ええ」


 どうやら無茶を言っていることを悟ってくれたらしく、ほっと安堵する。純粋な善意からの申し出であろうが、センシティブな事柄である。後々にどんなトラブルが湧出ゆうしゅつするか分からない以上、お断りするに越したことはない。


「でしたら、この娘に色々とお世話させましょう。頻繁ひんぱんに我が家に出入りしておりましたから、勝手は知っておるはずです」


 と思ったならば、それまでもくして話を聞いていた妹さんを指し示して、そう言い放たれる。

 って、問題が増えとる。

 おかしい、田中さんは孫娘が大事じゃないのだろうか。先ほど土下座しながらに見せた男泣きは嘘だったというのか。それとも、俺という男は絶対に誠実をつらぬくと過分な信頼でも得てしまったのだろうか。みくびってもらっては困る。俺としても健全な男子大学生であるからには、それなりに下衆げすな一面だって持ち合わせているのである。

 ほれ見ろ、妹さんも困惑しきった目でこちらを見てきているぞ。

 俺は混乱している。


「ちょうどこの子も学校が長期休暇中ですからな。観光案内でもさせましょう」

「それは、大変ありがたい申し出ではあるんですが──」


 観光案内であるなら素直にお願いしたいところだ。

 というかそれだけでいい。

 そんな俺の心情をかどが立たぬように伝えようとするも、かなしいかな、伝わらなかった。田中さんは「いかがですかな?」と熱のこもった視線で尋ねてくる。そのあまりの熱意の入れように、ふと理解する。きっと俺に対して、なにかしらの謝礼を形にしたいのだろう。そう思うと簡単に無下にするのは難しい。


「──では他に宿が見つからなければ、お願いしたいと思います」


 最終的には、言葉を濁すことで話がつく。

 それと同時に、絶対に宿を探し出さねばならんと奮起することになる。

 このミッションには妹さんの貞操ていそうがかかっていると言っても過言ではないのだ……いや過言である。いくら基本的に心がいやしい男子大学生の身であろうとも、俺は同時に紳士でもある。よこしまな思いを抑えきることなぞわけはない。俺は鈴木とは違うんです。

 そのように変なテンションをもって宿探しに奮闘した。

 だがしかし、なんの因果かどうしても宿は見つからなかった。

 最後の砦、ラブホテルですら満室であった。

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