第10話 威風堂々とした土下座【改稿済み】

「ありがとう。本当にありがとう」

「え、いやあの。頭を上げてください」


 長崎市内のとある病院。その待合ロビーにて、俺はご年配の男性からお礼を言われていた。困惑するしかない。ただ感謝の意を述べられているだけなら俺も戸惑いはしないが、その男性は床にひざまずき深々と頭を垂れているのだ。

 有体ありていに言って、土下座だ。

 それはもう威風堂々とした立派な土下座であった。


「あんたは孫の恩人だ、それどころか、ひ孫の命まで救ってくださった。どれほど感謝してもしきれない」

「本当にありがとうございます」


 俺が対応を取りかねていると男性の隣に控える、おそらく奥方おくがたであろう女性もまた、正座をして折り目正しく礼を述べてくる。こちらは男性のように両手をついて這いつくばるような姿勢はとらなかったが、それでも地べたに座しているのだ。仰々しいことには変わらない。


 現在、俺の目の前には四人の人物がいた。


 俺に礼を述べてくる、年配のご夫婦。

 前述したように、彼らはどういうことか俺にしてかしこまっている。

 同伴している医師の男性。

 こちらは俺とは直接には無関係だ。ただ病院業務の一環として老夫婦と同行していたところを現状に巻き込まれた。彼の表情は俺と同様、驚きと動揺に満ちている。

 そして、老夫婦の孫娘らしき少女がいた。

 俺がチンチン電車の停留所にて救助した女性とは違う、おそらく妹さんかなにかだろう。年のころは俺と同じか、若干年下といったところ。活発そうな凛々しい容貌で、適度に長い髪を後ろに結っている。彼女はその気の強そうなまなじりを頼りなさそうに緩めさせてオロオロとしていた。


 以上の人物が待合ロビーの一画を占有していた。


 地面に縫い付けらたように微動だにしない老夫婦にどう対応すればいいのか、誰も分からずにジッと動けない。ただ一人、とし若き少女だけがとるべき行動がつかめずに不安そうに動き回っている。しかしやがて彼女も、老夫婦と同じように地面に座してしまった。


 俺は困りきってしまい、医師の男性に「どうにかなりません?」との意を込めてアイコンタクトを送ってみる。すると彼は苦笑するばかりだ。「ごめん、むり」と言われた気がした。


 ザワザワと周囲が騒々しい。

 看護師や通院中の患者、通りかかる全ての人間が俺らの動向に注目していた。

 それはまあそうだろう。俺もこのような異様いようを目の当たりにしたら、いったい何事なにごとかと野次馬根性まるだしで注目するのは間違いない。しかし、いつまでもこのままなのもよろしくない。さすがにいたいけな少女まで地面に座らせて衆目にさらすのは忍びなかった。

 俺は覚悟を決めると、三人と同じように地面に正座した。まさか高みから彼らを見下ろすわけにもいかない。


「お礼の言葉、確かにお受けしました。どうか顔を上げてください」


 呼びかけると三人の顔が上がる。

 ようやく視線が合った。

 年配の男性は目尻に薄らと涙を浮かべている。どうやら男泣きのようである。よっぽど孫娘が大事なのだろう、ひ孫の誕生を心待ちにしていることも十分に伝わってきた。

 ああ、この家族はいい家族なんだなと、ぼんやりと思った。


「お孫さんも怪我がなくて良かったです──さ、注目されてますし。そろそろ立ちませんか?」

「ん、おお。これはお恥ずかしい。そちらの迷惑も考えずに勝手に盛り上がって申し訳ない」

「いえ、大丈夫ですよ」


 俺が起立をうながすと、男性はようやっと周囲からの視線に気がついたようだった。恥じ入るように身じろぎしている。どうやら感情がたかぶってしまい、本気で周囲に気を配ることができていなかったようだ。


 そこからは全員が立ち上がり、落ち着いた雰囲気で話は進んでいく。

 まずは医師の男性より、俺が救助した女性の容体ようだいについて説明を受けた。

 路面電車の路面へと倒れ込んだ彼女だが、現状で母子ともに目立った異常はないそうだ。入院など、おおげさな処置をとる必要もない。女性が気を失ったのも貧血が原因であり、処置はするが普段から家族の皆さんで注意しておいてくれ、とのことである。

 いや、俺に忠言されても困るんですが。

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