第9話 チンチン電車【改稿済み】

 長崎空港へと降り立って、それから公共交通機関を乗り継いでゆく。

 そうして俺は長崎市内に到着した。


 異郷の光景をまずはグルリと見渡してみる。

 目についたのは、すぐそこにある山々だった。市街地にほど近いところに急な角度の山が屹立きつりつしている。もちろん人跡未踏じんせきみとうの山脈のような高峰こうほうが連なっていたりはしないが、目前に突然現れるとその存在感は大きい。

 そして山の対面にはすぐ海がある。港として有名な長崎の海は人工的に整えられていてシティーな雰囲気がある。そんな港へは外国からの大小様々な船舶が行き交っていた。

 そして何故か、その山と海の上に市街地がのっかっている。通常なら平地にこそ市街を作ろうとするものだが、平な場所が少ないためにそれがかなわないのだ。急峻な山の上にまで、海面のきわにまで建物が林立している様子は、何ともヘンテコな感慨を俺にいだかせる。



「さて、と。旅先を目に焼き付けるのもいいが、それより先に──」


 そんな長崎の市街の中で、一人旅だからこそ独り言をする。

 物事を口にだして確認することは有用だ。ただ癖になって、周囲に人がいるときにでもやり出したら問題なので注意は必要である。


「寝床の確保だな」


 今回の旅は日程が未定だった。

 風のふくまま気のむくままに流される心算こころづもりではあるが、毎日ビジネスホテルに宿泊となると即座に予算オーバーとなる。できうる限りの安宿を手配する必要があるし、時と場合によっては野営をする可能性もある。そのために持ち前のキャンプ用具一式を持参している。

 とはいえ、今回の旅はあまりネイチャーな部分を追い求めず、あくまで観光が目的だ。だからこそ野営はあくまで最終手段であり、持ち出したのもテントとシュラフぐらいだ。

 まあそれでも、ちょっとしたバックパッカーのような旅装になっているが。


 そのように今後の行動指針を思案していると、ふと、とある物体が街中を走っていることに気づく。近寄って確認するも、間違いなかった。


「チンチン電車だ」


 路面電車だ。東京でも見れないことはないが、こう旅先で見る光景としてはシミジミと感じ入るものがある。その姿は心なしかレトロな雰囲気を感じさせ、路面電車があるかないかで、都市の馴染みやすさというものが変わってくる気すらしてくる。

 あと名前がいい、チンチン電車。

 伏字ふせじをしなくて良い、いい響きだった。

 小学生かな、俺は。


 とりあえず腹が減ったし、長崎名物でも食べに行こうかと路面電車に乗り込むことにした。空港からの移動の最中に、目当ての店は調査済みだ。


 路面電車の停留所は道路の中央に位置している。俺は人が二人すれ違えるだろうかというぐらいのはばの縁石に立ち電車を待っていた。

 しかし、えらく狭苦しく感じるプラットホームだ。まあ大通りに線路を通して、その中にしつらえている停留所であるからには仕方ない仕様ではある。こういう、普段感じられない不自由も旅の楽しみの一つだった。


 そんな風に旅の醍醐味だいごみを噛みしめていると。ふと、対面に一人の女性がいることに気づいた。路面電車くらいの規模だと、向かいのホームからでも顔色がはっきり分かるほどに近い。


「大丈夫かな」


 その女性の顔色は悪く、今にも倒れそうだった。しかも見てはっきり分かるほどの身重だった。つまりは妊婦さんだ。そんな女性が単独で、それも具合が悪そうに立っているとなると、心配になってしまう。

 誰か周りで介助するやつはいないのかとホームを見渡すも、それらしき人物は見当たらないし、たたずむむ人々は誰も彼もが自らのスマホを掲げ見ていて、彼女に気づいた様子がない。


 そんな気の抜けない様子にハラハラとしていると、チンチンと甲高い音を響かせて路面電車がやってくる。俺は、このまま何事もなく電車に乗り込んでくれと、祈願していたが──


「やったっ!」


 歓喜しているわけじゃない。やってしまったという嘆きの言葉だ。

 女性がフラリとよろけるような挙動を見せた後、線路内へと前のめりに倒れ込んだのだ。迫ってくる電車は金属がきしむような音をたてて緊急停止を始めるも間に合わない。周囲の人間も突然のことに呆然としていて、事態を把握できていない。

 危機的状況であった。

 

 そんな中で俺はというと──とっくに駆けだしていた。


 線路内で倒れ込んでいる女性へと駆け寄ると、火事場の馬鹿力で抱え上げる。多少乱暴であったが女性をホームへと押し上げることに成功した。そして自らもホームの縁石へと登ろうとするも──


「うおっ」


 バックパックが路面電車に引っかかり、物凄い衝撃と共に身体が吹っ飛んだことが理解できた。

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