7.落ちたがりの空挺騎士

 パレードが始まる。

 リーリア殿下が出発して十数分後、第一皇女シドレッタ殿下の幌騎車キャリッジが超高高度に上がってきた。

 途端、周辺の見物人から割れんばかりの歓声が広がる。


 リーリア殿下の出発は、もっと穏やかだった。

 ぱらぱらと拍手や声が上がり、粛々と出発した幌騎車は何事もなく無事に先を進んでいる。

 シドレッタ殿下に熱狂的な賛同をする人々がここには集まっていて――だから、間違いなく狙われるのは今だ。


 動き始める幌騎車の窓が下がり、シドレッタ殿下が笑顔をのぞかせる直前、僕は流し込んだ理力ザ・ルールと共にアクセルを回した。

 目指すは空。

 エンジンを最高まで回していても、リグレットの弱点はトルクのなさだ。低回転域の薄さは、重力と相まってどうやっても僕を引きずり落とそうとする。


『おい、あんま目立つ動きすんなって――』

『……シィラン。来るぞ』

『はっ、それどういうことだ、エクリュ――ぅげっ!?』


 隊長たちの声を無視して、僕は一直線に空を目指した。

 パレードの上空、人混みを割って進むごとに、周りからものがなくなっていく。

 騎馬も人も、建物すら減っていく。


 空。から。くう。

 ただ青い空間に、僕とリグレットだけが飛ぶ。

 空虚な風の匂いが肺に満ちる。


『クラウスッ! このバカ、気持ちよく飛んでんじゃねぇ! お前の仕事なんだと思ってんだ!』

『集中しろ、次弾が来る――クラウス、追えるか?』

「――任せてください」


 冷ややかなエクリュ隊長の声に、一言で応える。

 車体を最大限に傾けたUターンで、僕は一気に地上方向へ進路を変えた。

 上から見下ろすゴマ粒のようなパレードの一団は、時折きらりと光って見える。

 狙撃を弾く反射光だ。


『いいか、飛行バカ。45度、60度、あとあの変な赤い看板の向こうだ。すぐ追え』

「言われなくても見えてます」


 褒めたくはないが、シィランの指示は妙に的確で困る。まあ、盾の指揮を担当してるんだから、どっちから狙撃が来てるかなんてわかってるんだろう。僕の視界を想定して角度指定してくるのは腹が立つけど。


 地上方向へ引き落とす鎖のような重力をそのまま使って、一気にリグレットは最高速まで駆け落ちる。

 滑らかに身体を倒し、まずは一人目の狙撃犯のもとへ向かった。


 ビルの影、荷物をまとめて逃げ出そうとしていた男に向かって捕縛錠バイクカフを射出する。

 命中。これで、逃走はおろか手足も動かせないはずだ。

 真横からビル壁に押し付けられ、ねばねばと絡めとられた一人目を横目に、僕は速度を緩めないまま脇道を走り抜けた。


「一人目の捕縛位置を転送します」

『すぐ回収に向かう。お前は』

「二人目を狙います」

『トロトロしてんな、早くしろ! 逃がしたヤツが自爆狙って向かって来やがったら堪らんだろ』

「信用してますから。向かって来られても、あんたなら大丈夫でしょ」

『おい、そういうとこだけ投げてくんなって言って――』

「まあ、そんな隙は作らないんですけどね」


 二発目の捕縛錠が、上空に逃げ出した二人目を捕らえた。

 射出の勢いで引きずり回され、最終的に上に突き出していた看板に縛り付けられている。

 それを目で確認してから、僕は最後の狙撃手の元へ向かった。


 視界の先、僕らと同じような騎馬に跨った人影がある。

 ヘルメット越しに目が合った瞬間、にやりと笑われた気がした。

 慌てて捕縛錠を射出するが――間に合わない。


「ちっ、逃がすか――!」


 展開した捕縛ネットの脇をすり抜け、騎馬が僕の方へ向かってくる。

 シートの上で、銃口がきらりと光った。

 ヤバい。


「――っとぉ!?」


 真横に身体を倒し、斜めに滑るように円を描く。

 首筋を掠めていく銃弾。

 それに手を止めず、ひたすら動くリグレットの後ろを、重ねた銃声が追って来る。


『今のは銃か!?』


 どうやらパレードの中心まで、音が届いてたらしい。

 即座にシィランから通信が入った。


「邪魔だから黙っててください」

『おい、それ心配してる先輩に言うことか!?』


 ヘルメットの下で打った舌打ちを、残念ながらマイクが拾ったらしい。

 言い返されたが、それに応えるのも今は面倒くさい。


『気を付けろ、クラウス』

「はい」


 答えながら、揺れるハンドルを押さえ、身体でリグレットを引き起こす。

 得意の最小径のUターンで、さっきの騎馬を追おうとして。

 だが――振り向いた先、騎馬が僕の進路を遮るように待ち伏せていた。


「っと――!?」


 普通の空挺騎士エアロナイトなら、急ブレーキを踏むだろう。

 だが、僕のリグレットはこんなことでは止められない。止まらない。


 絶対にブレーキを踏まない。

 それが、空に出るときの僕の誓いだ。


「こんなもので、逃げられると思うな!」


 再びハンドルを切って車体を傾ける。

 今度は横じゃない――上だ。


 足下に相手の騎馬を補足したまま、僕とリグレットは空へ向けて駆け上った。

 当然、その隙に態勢を立て直したターゲットは、下へと逃げていく。


 だが、超高高度から地上までの急降下は、僕の得意技だ。

 空中でリグレットを転回させ、僕の視線は地上を――ターゲットを捉える。

 逃がさない。


 降下が始まる。

 重力と全開のエンジンが、あり得ない加速でびりびりと車体を揺らす。

 あっという間にターゲットとの距離を詰めて、僕は手を伸ばした。


「逃げるな――!」


 振り向いたヘルメットの内側で、歪んだ唇が微かに開いた。

 次の瞬間、ほとんど直角に曲がったターゲットの騎馬が、建物の隙間の脇道へと滑り込んでいく。


「クソが……ッ!」

『おい、なにやってる、クラウス!? ダメなら一回戻ってこい』

「あと少しです!」


 とっさに言い返した直後、エクリュ隊長の冷ややかな声が響いた。


『挟むぞ』

「隊長に、手間を取らせるわけには――」

『いいから追え』

「……了解」


 もともと一人で墜とすつもりだった敵だ。

 言われる前に既に、ターゲットの潜り込んだ脇道へと向かっている。


 建物の影が、一瞬視界を奪う。

 二、三度瞬きをしたところで、ターゲットが道の奥から更に細い隙間へと入り込んでいこうとしているのを見つけた。

 ぐねぐねと曲がり続けることで、僕を撒こうと言うのだろう。


 いつもなら、一度空へとのぼり周囲を見回すところだ。 

 だが、隊長が挟むと言うなら、たぶん――


 小回りのきかないリグレットで、僕は不格好にターゲットを追った。

 小器用に壁をすり抜け車体を振り回すターゲットに対し、僕の方はそうはいかない。アクセルを戻しきれないせいで、どうしても大回りになってしまう。


 とは言え、そんなリグレットの性質を、僕は熟知している。

 左右で幅の足りないときは上下を、最悪は壁を蹴って反動を利用しながら後をついていった。

 思ったよりも車間があかないことに、ターゲットはすぐに気付いたようだが。


 ちらりと振り返った目前の騎手に対し、僕は微笑みを返した。

 見えているかどうかは知らないが――いや、あれだけ挑戦的な相手だ。間違いなく見てるはず。


 ぐん、と前方の車体がアクセルを回した。

 加速するターゲットとの間がどんどんあいていく。

 挑発に乗ってくれて嬉しい気持ち半分、追いつけなくて悔しい気持ち半分ってとこか。


 僕が舌打ちをする直前、通信音が鳴った。


『――離脱しろ』

「了っ解っ」


 返答しながら、真下にハンドルを切る。

 お得意の急降下の直後、伏せた背中を掠めるように斜め上から捕縛ネットが降って来た。

 絡めとられたターゲットは更に加速して振り切ろうとしたが――既に車体の中まで粘る糸が入り込んでいる。

 強制的に停止したエンジンと共に、ターゲットは、すぐ下にあるごみ箱の中へと落ちていった。


『よくやった、クラウス』

「いえ、助かりました……」


 捕縛錠を射出したエクリュ隊長の騎馬が、斜め上方を旋回している。

 僕の方へと回り込む彼の騎馬の名はウンディーネ。水のようにどこへでも忍び入っていく、レスポンシブな騎馬である。

 リグレットとちょうど正反対の、取り回し重視のセッティングだが――直線最高速は別にして、なぜか僕はこのひとに勝てない。


『なーんでクラウス君は、エクリュにだけは素直なのかねぇ』

「速いですから」

『おれだって速いでしょうよ』

「あんたとは違うんですよ、鬱陶しいな」


 シィランもまあ……認めたくはないが、まあまあ速い。速いのだが。

 あいつの走り方、なんか妙に適当で「セッティング? 知らん知らん、エンジニアさんにお任せよぉ」とか言うから、本当に参考にならない。


『とにかく、仕掛けてきた狙撃犯はこれで全員か』

「はい。三人でした」

『そっち片付いたの!? じゃあ早く戻って来いよ、こっちだって次の攻撃がいつあるか――』


 シィランの声が途切れた――と思った瞬間。

 巨大な爆破音が、超高高度の空に響いた。

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